七賢さんの酒蔵開放話のつづきです
今回は明治天皇がご宿泊されたというお部屋を見学してきました
七賢さんには何度か来ているのにいつも試飲と買い物に一杯いっぱいで。。。今日こそはもっと歴史にふれよう!と思いまして、ね。
酒蔵七賢の創業は、江戸期の寛延三年(1750)「七賢」という名前は天保六年、大中屋母屋新築の折、かねて御用を勤めておりました信州高遠城主内藤駿河守より竣工祝にと『竹林の七賢人』(諏訪の宮大工、立川流三代目、立川専四郎富種刻)の欄間一対を頂戴致し、以来酒銘を「七賢」と称したそうです。
その七賢人、今回じっくり眺めてきましたよ!
この欄間があるお部屋。
明治13年、明治天皇本県御巡幸の砌、母屋の奥座敷を行在所(あんざいしょ/仮の御所)としてお使いいただいたそうです。
当時の天皇といえば「神様」ですので神様がお使いになったお部屋を人間が使う訳にいかない、としめ縄をはられ足を踏み入れることができなくなったそうです。
明治13年から戦後まで、使えない。 ってことは欄間もずっと見られない 凄い話ですね。
案内の方が丁寧に説明してくれるので、当時の様子をかいま見ることができます。
この門は陛下がお通りになった門。旧甲州街道に面していますが、陛下(神様)が使って以来、開いたことの無い「開かずの門」になっているそうです。
酒蔵開放日でなくても見学できますので、お近くに行かれる時は必見ですよ
台が原宿ののんびりした空気を味わっていただきたいです。
街道沿いの田中神社まえに小さな土俵があったので、思わず土俵入りしてしまいました
本当に晴天で、良かった。。。
乗って来たバスです。この後帰りの高速道路も渋滞することなくスムーズで。
楽しいバスツアーでした
今回は明治天皇がご宿泊されたというお部屋を見学してきました
七賢さんには何度か来ているのにいつも試飲と買い物に一杯いっぱいで。。。今日こそはもっと歴史にふれよう!と思いまして、ね。
酒蔵七賢の創業は、江戸期の寛延三年(1750)「七賢」という名前は天保六年、大中屋母屋新築の折、かねて御用を勤めておりました信州高遠城主内藤駿河守より竣工祝にと『竹林の七賢人』(諏訪の宮大工、立川流三代目、立川専四郎富種刻)の欄間一対を頂戴致し、以来酒銘を「七賢」と称したそうです。
その七賢人、今回じっくり眺めてきましたよ!
この欄間があるお部屋。
明治13年、明治天皇本県御巡幸の砌、母屋の奥座敷を行在所(あんざいしょ/仮の御所)としてお使いいただいたそうです。
当時の天皇といえば「神様」ですので神様がお使いになったお部屋を人間が使う訳にいかない、としめ縄をはられ足を踏み入れることができなくなったそうです。
明治13年から戦後まで、使えない。 ってことは欄間もずっと見られない 凄い話ですね。
案内の方が丁寧に説明してくれるので、当時の様子をかいま見ることができます。
この門は陛下がお通りになった門。旧甲州街道に面していますが、陛下(神様)が使って以来、開いたことの無い「開かずの門」になっているそうです。
酒蔵開放日でなくても見学できますので、お近くに行かれる時は必見ですよ
台が原宿ののんびりした空気を味わっていただきたいです。
街道沿いの田中神社まえに小さな土俵があったので、思わず土俵入りしてしまいました
本当に晴天で、良かった。。。
乗って来たバスです。この後帰りの高速道路も渋滞することなくスムーズで。
楽しいバスツアーでした