電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

三峯神社参拝

2004-08-16 22:52:23 | 日記・エッセイ・コラム
 子どものスポーツクラブの海合宿があったため、8時少し過ぎに、埼玉県の飯能駅まで車で送っていった。8時38分のレッドアロー号で池袋まで出、それからJRで東京駅に行き、千葉の岩井海岸まで行くことになっている。一泊二日の合宿だ。幼稚園の頃から、合宿には参加していたので、親から離れて、過ごすことには慣れている。元気に出かけていった。

 私は、今週は夏休み。家に帰ると、不燃ゴミを整理し、市の清掃局まで運び、処分を依頼した。1400円也。その後家に帰り、ガソリンスタンドにより、ガソリンを満タンにして、三峯神社に妻の運転で向かう。出発時間は、10時頃。299号線に入り、一路秩父路へ。西武秩父駅の近くで左折し、140号線に入り、秩父市役所の横を通り、三峯神社へ。私は、20年ぐらい前に一度来たことがあるだけだ。妻ははじめてだという。ロープウェーには乗らず、神社の入り口にある「大滝村村営駐車場」まで車で行く。

 途中で三つの「道の駅」に寄った。「道の駅」といのはある意味で高速道路のサービスエリアのようなものだ。最初は「果樹公園あしがくぼ」、次が「荒川村」、そして三峯神社入り口の近くにあるのが「大滝温泉」である。最初の「果樹園あしがくぼ」は、今年3月にオープンということで、新しく、気持ちの良いところだったので、帰りにも寄って、土産を買った。

 ところで、どうして、三峯神社へ行ったのかというと、今三峯神社にお参りに行くと、私の将来にいいことがあるということを、妻がどこからか聞いてきたのだ。というわけで、会社の繁栄と私の仕事の充実を祈願して来た。私は、特別信心深いわけではない。ただ、妻の気持ちを尊重し、自分の気持ちも晴れやかになるように一緒にお祈りした。妻は、私が無神論なのを知ってか知らずか、あちこちの神社へ私を連れて行く。私は、美しい自然の中で森林浴をしながら、すがすがしい気持ちになる。それは、精神的にとてもいいことだと思う。疲れや、仕事の悩みが少し軽くなったような気がしてくる。だから、妻の気持ちにいつも感謝している。

 家に帰る途中、近くのレンタルビデオ店で『ティアーズ・オブ・ザ・サン』を借りる。寿司と軽いサラダをおつまみにして白ワインで夕食後、妻と二人で残ったワインを飲みながら、映画鑑賞。この映画については、Misa'さんの映画日記紹介がぴったりだ。

……米国海軍特殊部隊シールで、任務遂行に100パーセントの実績を誇るウォーターズ大尉(ブルース・ウィリス)は、内戦の激化したナイジェリアからアメリカ国籍の女医リーナ・ケンドリックス(モニカ・ベルッチ)救出を命じられ、精鋭部隊を率いてジャングルの奥地へ赴く。が、リーナは難民と一緒でなければこの地を離れることはできないと拒否する。一旦は無理矢理リーナのみを救出用ヘリに乗せ飛び立ったものの、上空から難民の惨劇を目にしたウォーターズは軍の命令を無視し難民を助ける為に引き返すアメリカ軍の命令に背いてまで 自分の良心に従い、決死の救出作戦を敢行した米国海軍特殊部隊ウォーターズ大尉(ブルース・ウィリス)の勇気と、7人の部下との信頼の絆を描いた感動作。


とてもアメリカ映画らしいと思った。しかし、イラクと違って、うまくいきすぎているところが映画なのかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プログラミング言語が好き

2004-08-15 00:02:00 | プログラミング
 私は、普通のサラリーマン(出版社ではあるが)であり、プログラマーではない。また、会社の情報部門でいろいろなシステムに携わるようなエンジニアでもない。ただ、パソコンというものが作られ、個人でもコンピュータが持てるようになったとき、不思議な感動を覚え、自分もその最先端に触れてみたいという一心で、パソコンを買った。最初のパソコンは、1980年頃のシャープのMZ80という機種だった。NECのPC8001の次に発売されたものだと思う。

 MZ80は、クリーンコンピュータといわれ、BASICをROMとして内蔵するのではなく、使用のつど内臓カセットからロードして使うようになっていた。要するに、カセットテープからとろとろと言語をロードしてから、やっとBASICが使えるわけだが、それでも自分が本を見ながら打ち込んだプログラムが動くのを見るのは、驚きだった。

 その後、IBMのDOS/Vパソコンを買ったが、そのころは、アセンブラやC言語の本を買ってきて、同じようにプルグラムを打ち込んでみたりした。もちろん、仕事の方は、ビジネスソフトにお世話になっていた。私は、ビジネスソフトは以前は、一太郎、ロータス123、Paradoxであり、現在は、Word、Excel、Accessを使っている。

 それはとにかく、その後、C++に挑戦して挫折した。もう、プログラムには関わらないと思った。しかし、インターネットが普及し、CGIなどが必要になったとき、Perlを知った。なんてすごい言語だと思った。やっとPCも性能が上がり、スクリプト言語が普通に使えるようになった。要するに実用的な処理ができる言語となった。

 それと同時に、大枚をはたいて、VB6.0を買った。あまりに簡単にWindowsプログラミングができるのに驚いた。しかし、所詮、入門書をまねて、小さなソフトを作ってみるだけだった。この言語も、次第に忘れていった。仕事が忙しくなり、ビジネスソフトを使い回すだけで手一杯だった。

 インターネットが当たり前になり、メールでの情報のやりとりが当たり前になった頃、Linuxを知った。MacやWindowsの外に、PCで使えるフリーのOSがあることを初めって知った。そして、それは、PC上でほぼUNIXと同じことができることに驚いた。

 Linux上では、フリーなソフトがたくさんあり、当然プログラミング環境も整っていた。ここで、LispやJavaやRubyを知った。Webにも手を出し、JavaScriptやPHPまで手を出したりした。入門書を買い集め、その通りに入力しては動かして遊んだ。それで、何か新しいことに自分も参加しているような気がしていた。しかし、憶えては忘れ、一体私は何を望んでいたのだろうか。

 50を過ぎてからは、特に記憶力が減退し、新しいプログラミング言語を覚えても片端から忘れていった。同じ人が、いろいろなプログラミング言語の解説書を書いているのをみて、自分もそれができると思っていたが、それがとんでもないことだと知らされた。私ができたことは、入門書を見て、言語環境を構築し、本に書いてあるプログラミングを自分で打って、実行させることだけだったのだ。だから、全部忘れてしまってもおかしくない。何となく、絶望的なきもちになった。

 しかし、やっと最近になって分かった。一つは、自分のやりたいことから、プログラミングを考えてみるようになったことがある。例えば、携帯電話に会社の社歌を入れたいから、Javaをつかいiアプリを作って、動かしてみるというように。この方が、勉強になりそうだ。やってみると、ほぼ一日で、それが実現できた。するとそれが、まだできるかもしれないという自信になった。このことは、現在では、プログラマーでなくても、自分でプログラムを使う場面が身近になってきていることも原因になっている。そうすると、こつこつとやってきたプログラミングの勉強が、とても役に立つ。アセンブラからJavaやC#、そしてRubyやJavaScriptなどオブジェクト指向言語まで、詳しくはないが、流れが分かるになってきた。そして、「コンピュータのきもち」(山形浩生)が多少は分かるようになって来た。そうだ、私は、「コンピュータのきもち」を分かるようになるためにプログラミングの勉強をしてきたようなのだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子どもと囲碁

2004-08-14 19:29:08 | 子ども・教育
 土曜日は、子どもを連れて、市ヶ谷の日本棋院に通っている。1年生の時から「子ども囲碁教室」に通っているので、もう3年になる。しかし、なかなか進歩しない。

 時々私と囲碁を打ったりしているが、ほとんどは日本棋院にいって打つ。だから、週にせいぜい3・4局くらい打つだけになってしまう。近くに囲碁仲間がいないということもあるが、どちらかというと、「集中力」と「勝つということへの執着」がないように思われる。

 今、アテネオリンピックが始まったばかりだが、かつて日本は水泳王国といわれていた。しかし、国が支援し、小中学校にプールを作り始めてから、日本はオリンピックで勝てなくなった。そう、一億総中流家庭という言葉が使われるようになってから、日本は水泳で勝てなくなった。それは、水泳だけではない。全てのスポーツにおいて、勝てなくなっていったような気がする。

 とにかく、スポーツは、ハングリーな国か、超豊かな国がいつでも圧倒的に強いような気がする。結局、囲碁も似たような軌跡をたどっているような気がする。

 囲碁は、中国で生まれ、日本で磨かれ、その後、また中国や韓国で見直され普及していった。戦後しばらくは、日本は、中国や韓国より強かったような気がする。しかし、その後、少しずつ、中国や韓国が強くなり、今では、国際棋戦ではたいてい韓国選手が優勝している。日本の囲碁界には、すでにハングリー精神がなくなっている。そうかといって、日本の囲碁界は、ゴルフのタイガー・ウッズが稼いだような高収入の世界でもない。

 しばらく前に、『ヒカルの碁』というコミックが小学生の間で読まれ、そのおかげでかなりの小学生たちが囲碁に惹かれて囲碁を始めた。私の息子は彼らを見ながら、我が道を行くかのごとくカタツムリのような歩みで、囲碁に取り組んでいる。現在七級で私に井目でやっと勝てるかどうかだが、いつか彼の中で、勝ことへの意欲と、集中力が目覚めることを祈っているのだが…。

 三年生くらいになると、サッカーをやったり、ピアノをやったりという習い事はだんだん限られてきて、塾とか英語教室、習字など学力向上に結びついたいわゆる学習塾へ力が入り始める。これでは、集中力などなかなか育ちそうにない。つまり、やることがありすぎるし、やれることもありすぎるのだ。

 その上、最近は、インターネットからゲームをダウンロードしてきて、自分でインストールするようになってしまった。そう、ゲームに目覚めてしまったようなのだ…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二宮金次郎の像

2004-08-13 21:23:33 | 日記・エッセイ・コラム
 妻が、実家の物置にあったという二宮金次郎の鋼の像をもらってきた。我が家の猫の額のような庭の赤と白のハナミズキの間においた。それはそれで、落ち着いた。息子の担任が家庭訪問に来て、庭の金次郎の像を見て、「気持ちが和みますね」と言ったという。
 
 息子は、薪を背負いながら本を読んでいる姿をうさんくさそうに眺めている。「どうせ、ぼくにも、本を読みなさいと言うことでしょう!」などと叫んだりする。そう、何となく分かるものだ。

 ところで、この金次郎の像については、山ちゃんガハハ / 考証 紅蜻蛉団が、面白い考証と追跡調査をしている。金次郎の像には、大きく二つあり(もちろん、後の調査でもう少しバリエーションがあることが分かったそうだが)、グループA (鳩豆R型)とグループB (鳩豆L型)とに分かれるそうだ。

……グループ間の違いを2つ挙げよ…そのような試験が出されたらどうしますか ? …何の試験だ。
ちなみに僕の二宮金次郎イメージは、両手で本を持っているはずだったが違ったようでした。

さて、答えですけどね、  
まず共に共通するのは、右手で軽く薪を押さえ、左手だけで本を持つところです。
次に違い…いいですか、この発表は世界を揺るがしますからね。
グループAのR型は、着物の裾が出ている。そして必ず右 (R) 足が前になっている。
グループBのL型はモンペを履いて裾が出ていない。そして必ず左 (L) 足が前になっている。
つまり、着ているものと足の出方には統一性があるのだっ。


 しかし、これについては、いろいろな人からの報告があり、さらに、次のような金次郎の像があるそうだ。

拝んでいるニノキン
草鞋を差し出すニノキン
物を読んでいるのではなく、書いているニノキン
大人のニノキン…この場合「尊徳」さんなので"ニノソン"


 ちなみに、我が家の金次郎の像は、グループA (鳩豆R型)の典型で、一番左上の像とほぼ同じである。

 それは、とにかく、金次郎について、金次郎の生き方と像とを結びつけながら、面白い報告をしている。よくこれだけ、調べたなと感心する。現地調査をして、写真まで撮っている。山ちゃんガハハさんのサイトは、この外にも、とても面白い記事がたくさんあり、身につまされる思いがする。
 
 私も昔、二宮金次郎の伝記を書くために、資料を読んだり、小田原や今市へ行ったりしたことがあるが、こういう視点があるということには、思いもつかなかった。私が見て来た金次郎の像の形は、今我が家にある像の形のものばかりだったような気がする。

 ところで、金次郎の経営哲学は「勤労・分度(倹)・推譲」であり、「勤労」とは徳に報いるために働くこと、「分度」とは収入の範囲内に支出をおさえること、「推譲」とは勤労、分度をしてたまった物を将来のために残したり、人に与えたりすることである。こういうことは、今の政府の役人にしっかり見習って欲しいところである。特に、国家の予算と経営は、こういう哲学で実行されて欲しいと願う。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「子曰く、其れ恕乎。」

2004-08-12 14:59:55 | 子ども・教育
 朝日新聞の今日のWebニュースによると、また、記録更新らしい。今年の夏は、本当に暑い。

……東京都心(大手町)では12日午前9時26分に最高気温が30度を超えて真夏日となり、連続真夏日日数を38日間に伸ばして都心の観測史上最長記録を塗り替えた。

 ところで、齊藤孝さんの『子ども版 声に出して読みたい日本語 3』は、『論語』だ。大滝まみさんのかわいらしいイラストの中に大きな明朝体活字で鎮座する孔子の言葉は、それはそれで愉快な印象を与える。もちろん、『論語』なので、内容はシリアスだ。私は、「儒教」は好きではないが、『論語』は好きだ。

 齊藤さんの本から、一つだけ引用してみる。本では、書き下し文と現代語訳が見開きになっている。また、すべての漢字に読み仮名がついている。

子曰く、
其れ恕乎。
己の欲せざる所を、
人に施すこと勿かれ。

「先生! 死ぬまで大切に
 しなければならないことを
 一つあげるとすれば、
 なんですか?」
「まあ思いやりだね。
 自分が望まないことは
 人にしむけないことじゃ」

 私は、この孔子の言葉は、中学生のときに覚えたような気がするが、たしかに小学生でも意味と一緒に声に出して読んでほしい言葉だ。できたら、一年生から。

 あとがきの「腰を立てて背筋を伸ばして論語を声に出そう」の中で、齊藤孝さんは次のように述べている。

……論語は子どもにはむずかしいのでは、という心配はいらない。小学校一年生のクラスで『声に出して読みたい日本語』(草思社刊)からいろいろなテキストを用いて授業をしてくれた先生がいる。そのテキストの中で一年生がいちばん好きだったのが論語だったということだ。

 私も、ブログを始める前には、一度声に出して、この言葉をつぶやいてみようと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする