今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

蘇るシャッポの時代、いまここに

2017年06月23日 | シャッポ
今日は久々にシャッポの捜索に行ってきました。年寄りはしつこいのです。
まあ捜索と言っても散歩するだけ。シャッポが忽然と消息を絶ってから半年、季節はすっかり夏になって、酷暑の下での街歩きは老体にきつかった。かつて店で二枚看板だったニャーとシャッポ。 家でのんびり顔のニャーを見ていると、時としてシャッポを思い出すのです。

あれだけ信頼を寄せてくれたのに応えられなかった贖罪の意識が、自分を捜索に駆り立てるのだと思います。しかし今日も、シャッポどころかダイフクやモドキやカブキも含めて、ニャンコの一匹にすら出会いませんでした。

    夏景色になった近くの遊歩道(東側に隣接する公園から)
              北方向
              南方向
              西方向
        ※北方向の先にノラたちのいる大きな公園がある
        ※西方向の先がバス通り(チビの事故現場付近)

また少し、シャッポの写真が集まりました。しかし時は流れ、思い出話をしようにもシャッポを知らないスタッフも多くなって・・。しかも店では、テンちゃんたちが新しい時代を築こうとしています。でも、5年ほど前からつけている自分のニャン日誌、あとは当時の写真さえあれば、この店でシャッポが生き生きと過ごした8ヶ月間を蘇らせることが可能だ。

             
     ちびを失って1ヶ月、よく一緒に昼寝した机の上で思い出に耽る?
                (昨年10月のはじめ頃)

店でシャッポが目撃され始めた昨年の3月、シャッポは人影を見ただけで瞬時に消えるような警戒心の強いノラだった。ポンだ何だと噂になって、ラックの下に隠れながらも初めて人前で食事したのはそれから1ヶ月後のこと。その頃はチビが一足早く合流して、ニャーと親交を深めている最中でした。

その後、シャッポは3日でスタッフの存在を気にしなくなり、5日後にはスタッフに食事をねだるようになり、1週間後にはスタッフに甘えるまでに大変身。その変化の早さには目を見張るものがあった。当初はニャーに威嚇されていたけど5日後には並んで食事。チビに至っては既にじゃれ合っていました。

             
            チビとシャッポ:お遊びの合間の一休み
                 (昨年5月の終わり頃)            

             
         チビの事故死から間もない頃、二枚看板も微妙な関係に
                 (昨年9月中旬の頃)

ニャーより小型なのに、ニャーの3倍から5倍は食べたシャッポ。当初は空腹に疲れ果てたノラ特有の食欲かと思ったけど、その食欲が衰えることはなかった。この食欲を満たすために、シャッポは変わらざるを得なかったとの見方もできます。

今の身近なノラたちのことを思えば、当時のシャッポの変わり身は出色の早さでした。今更ながらですが、彼の生い立ちに思いを馳せたことがない。果たして純粋ノラなのか元家猫なのか、シャッポの人格(猫格)について深く知ろうとしてなかったように思います。

自分の日誌を振り返ってみると、シャッポは6月の終わり頃から時折ニャーを追うようになっています。その頃は仲良し三匹となった平和な日々が、再び現れ始めたダイフクに緊張が走るようになった頃。しかし当時はアホ保護者がニャーを♀だと思っていて、シャッポの行動を思春期に目覚めたホの字行動と決め付けていたのです。

ちょうどその6月の終わり頃、シャッポは3日ほど消息を経っています。後にも先にも、2日以上店を空けたのはこのときだけ。このときは店から500mほど離れた別の店で、当店のお客さんに目撃されている。店に戻っては来たものの、あれは何かの合図だったに違いない。

そしてチビとの死別、店頭での(軽い)虐待。いろいろな転機を乗り切ったシャッポではあったが、ニャーとの関係は悪化の一途で、本気で襲い掛かることも度々でした。そして11月の流血騒動。ニャーはついにわが家へと避難しました。

             
    店でひとりになった頃のシャッポ、甘え放題だけどダイフクの影に怯えて
      (中央の正面ゲート前ベンチの上で、昨年11月はじめの頃)

シャッポは何故ニャーを襲い始めたのか。シャッポが自ら店を離れたのだとすれば、その原因(動機)はこの辺にあるように思います。店での共同生活を嫌って自分の領地にしたかったのか、店のスタッフを独占したかったのか、あるいは何らかの転嫁行動だったのか。いずれにしても何も気づかなかった保護者の落ち度は言うまでもないが、機会があったらこの「ニャンコの転嫁行動」について考えてみたいと思っています。


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Shappo in dream

2017年04月29日 | シャッポ
人は夢を見ます。思索に耽りがちな人や感性の強い人は特に見やすいそうです。なるほど、だから夢は若い時によく見るんですね。その内容は、そのときのコンディションや環境によるけど本人の性格も影響してくるとか。自分の場合は、心配性なせいか楽しい夢というのを見たことがありません。

シャッポの夢を見ました。年甲斐もなく、しかも2日連チャンで。
いわゆる明晰夢(めいせきむ)の類です。自分でも夢だとわかって見ていた。しかし映像がリアルで、遠くからシャッポを見ている自分まで映っている不思議な夢でした。

          
           看板猫時代のニャー(手前)とシャッポ
     (YKさん保管写真:シャッポの写真が集まってきました)

最初に見た夢はシャッポとチビが遊んでいる夢。
取っ組み合いをしては一休み、また取っ組み合いをしては一休み。昨年の春から秋にかけて店でよく見られた光景です。シャッポはおデブなのですぐに疲れる。一方痩せ型でアスリートタイプ、しかも遊び盛りのチビはエンドレスです。困ったような顔のシャッポ。でも取っ組み合いならシャッポの方が断然強い。ときどきちょっと力を入れて、うるさいチビを懲らしめています。「チビのヤツ、早く疲れないかな。」そんなシャッポの溜息が聞こえてきます。でも二匹とも嬉しそう。心底幸せそうな顔をしている。

ところで、ここはどこだろう。店の裏駐車場に似ているけど違う。それに今何時なの? 夜? 夕方? 確かに二匹の姿が見えるのに明かりがない。二匹はいったい、どこで遊んでいるのだろう。

そこで急に胸が締めつけられたようになって、目が覚めた。ある思いがよぎったのです。彼らは天国で遊んでいたのだと。それは、シャッポが既にこの世にいないことを意味していました。

          
            昨年の6月、三匹時代が始まった頃
             (手前から)シャッポ、ニャー、チビ

もうひとつの夢は、もっとリアルだった。
場所は紛れもないこの店。今より少し先の梅雨頃のこと。夜になって、シャッポが帰って来た。ネットで調べていると、半年とか1年経っていなくなったニャンコが帰って来たなんて話が時々ある。シャッポも半年経って、店に戻ってきたのです。

シャッポは痩せてました。明らかに疲労困憊で空腹そうだった。しかも雨がしとしと降っていてびしょ濡れ。シャッポが何処で何をしていたのかはわかりません。でも前日の夢以来、もしやと不安が増していた自分に応えるかのように元気でした。シャッポは疲れてはいたけど店に入ると、かつて知ったるわが家とばかりに足取りが軽くなったのです。

そこには寝床もなければ食べ物も置いてなかった。しかも夜だから誰もいない。でもシャッポは、朝まで待てばスタッフが来ることを知っている。で、バックヤードの片隅で雨宿りしながら朝まで待とうと。

ところがそこは、何か気配が違っていた。忘れもしないダイフクだけでなく、他のいろいろなニャンコの臭いがする。まるで他のニャンコの生活の場のようだ。しかもしかも、事務所の中からは見たこともないニャンコが威嚇してくる。

「えっ? 何あれ?」 シャッポは目を疑った。自分は場所を間違えたのか、とも思った。そしていろいろ考えたり悩んだり迷ったりしながら、ついに意を決したのか、店の外に向かって歩き出したのです。

ちょっと待て、シャッポ。行ってはだめだ、もう少し待てば自分が行くから、だから早まるな、もう少しそこにいてくれ・・・。 懸命に呼び止めているのに伝わらない。シャッポは何度も何度も振り返りながら、店を出て行く・・・。 「こんなはずじゃなかったのに。」
そこで目が覚めました。

          
         店頭で若者達から虐待に遭った頃のシャッポ


たかがシャッポ、されどシャッポ。
特に2度目の夢は、現状の本質を示唆したメッセージだったのです。シャッポが唐突に消えてから4ヶ月。その間に店ノラの時代は変遷して、シャッポは過去の存在となり、戻って来ても以前のように居場所を確保するのはそう簡単ではない。

お泊りのできなかったシャッポには、屋外の隠れ場所に寝床を用意していた。そんな状態で、宿敵ダイフクをはじめニャーモドキやカブキと共存できるとはとても思えない。強制お泊りさせるにしてもテンちゃんと別部屋が必要になる。かと言って保護者はそう簡単に見つからないし、わが家にはもともとシャッポと袂を分けたニャーがいる。おかあさんというお迎え予備軍もいる。

それでもシャッポ。再会すればもちろん最大限のことをする。でもそれをシャッポが受け入れてくれるかどうかは確証がない。今でも時間さえあれば捜索を兼ねて散策に出歩いているけど、現実は刻々と変わっていたのでした。


ノラの生活は移り変わりが速い。その数はあまりにも多く、その一匹一匹に人生(猫生)がある。この先何度となくシャッポのような経験をするに違いない。自分は、ノラたちと共存できる幸せな社会を見ることができるのだろうか。

          
        事務所にて、この10日後にシャッポは忽然と消えた
                (SYさん保管写真)

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シャッポとチビの記念日

2017年04月10日 | シャッポ
(過去ニャンコの記事なので未公開写真が少なく、再掲写真も含まれます)

どっちのニャンコも一年前の3月に店に現れ、4月にはスタッフと交流を深めて店の子になりました。チビは当初ニャーにくっついていたけど、シャッポが仲間になってからは大の仲良しになって、3匹の中では融和剤のような役割だった。そしてニャーとシャッポが揃っての看板猫、お客さんの間でも評判の存在に。それから半年も経たないうちに、人馴れに時間のかかったチビの事故死で歯車が狂い始めた。

             くつろぐ三匹

三匹とも今はいません。(ニャーはわが家ですが。)
でも未だに、店内のここかしこで三匹が見え隠れしていた光景が思い浮かびます。何だかノラの世界は消長が激しいだけに、はかないと言うかせつないと言うか・・。 短かったひとつの時代が終わって、ああ、またトシ食ったんだなあと。

    
      ニャー&チビ       シャッポ&チビ      ニャー&シャッポ

先日シャッポをよく知るお客さんと話す機会がありました。
そのお客さんは、まだシャッポが完全に店に定着していなかった5月6月頃、店以外の数ヶ所でシャッポを見かけたとのこと。いずれもシャッポ捜索中に見回ったところだったけど。

それからノラの話になって、自分がシャッポ捜索中ニャンコすら見かけてないことに驚いてました。たくさんいるんだそうです。考えてみれば、ダイフクをはじめカブキだのモドキだの毎夜毎夜来ているわけだし・・。で、教わった公園の片隅に出向いたところ、ノラがいました。それこそシャッポに似たのも。 この話は、また別の機会に報告します。

             シャッポの店番

それにしても、シャッポが唐突に姿を消してから4ヶ月になろうとしている。
当初は何となく戻って来るような気もしていたけど、必死の捜索も虚しくついに迷宮入りしてしまった。あれだけ信頼を寄せてくれたシャッポを見放してしまったことに後悔と反省はつきない。そして、どうして?という気持ちは強く心に残ったままだ。

事件事故でないのなら、シャッポが自分の意思で消えたのなら、食べ放題の食事と暖かい寝床に勝る不満があったということです。店頭でいじめられて以来お客さんを怖がるようになって、自分より強いライバル(ダイフク)が再び現れたり、恋の相手がいなかったり、そして何より、信頼する保護者があれしなさいこれしなさいと干渉し始めた。

             甘えん坊シャッポ

ニャンコは不満を言いません。ただ黙って去るだけ。
それは、このブログの最初の記事で自分が書いたことだったのに。
シャッポが教えてくれたこと。
愚かな人間は、事が起こってはじめて自分の愚行に気づくのです。


            
           シャッポよ、もしも達者でいるのなら
              今頃お前は何を思う?


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名札をつけよう ~シャッポの教訓~

2017年03月06日 | シャッポ
前回の総括記事「迷宮入りしたシャッポの失踪」(2/3)で一区切りとしましたが、もちろん"これにて終了"なんてことはなくて、捜索も続けるし反省会も行います。思い出に耽るなんてまだまだ先の話じゃい。

朗報としては、徐々に暖かくなって、ご近所のガーデニング好きのおかあさん達がちらほら店に戻ってきました。そして時折聞こえる「あらぁ、そうだったの。いなくなっちゃったの」の一声。シャッポがいなくなったのはガーデニングの季節が終わった昨年の暮れだったので、多くのおかあさん方はここにきて初めて知ることになるのです。それで、この力強い援軍に情報収集の期待も高まるわけで・・。

いなくなったシャッポが残していった"贈り物"と言えば;
たくさんの写真
臭いのついた寝床(毛布付)
愛用の食器
オジン(私)の健康(捜索で歩き回る)
教訓その1(かまい過ぎない)
教訓その2(去勢しておく)
教訓その3(名札をつける)

今回はこのうちの教訓3(名札をつけよう)の話です。

シャッポをはじめチビやニャー、おかあさんに付けていた首輪は百均の安いもので、それななりに使えたのですが名札は付いてませんでした。シャッポが行方不明になったとき、そのことをこんなにも後悔するとは夢にも思わず。

そうなんです。ニャンコはそれほど唐突にいなくなるんです。まったく予想だにできない状況で。だから全国のニャンコの保護者様、備えあれば憂いなし、ウチの子に限ってなんてことはないと思って、必ず名札をつけてやって下さい。もちろん地域猫さんも同様です。

で、名札付きの首輪について調べました。
殆どがワンちゃん用ばかりで、ニャンコ用のは少ない。また、最近流行のワンタッチのものは外れ易いので、穴留め式(ピンバックル)の首輪がお勧めです。ニャンコにもよりますが、ワンタッチのものだと、シャッポやチビは月に1度か2度は失くしていたので。

名札部分はだいたい2cm角くらいの大きさです。ネット通販などではプレートだけでも売ってますが割高なので、近くのホームセンターを回って見つけました。ピンバックルでも途中に強化ゴムが仕込んであって安全装置になっています。

      
  下が従来品(百均)、上が名札付ピンバックル(500円くらい)

次に名前の書き方です。
もちろん、ニャンコの名前を書いても意味がありません。失踪した際保護してくれた人がわかるように、極細マジックペンで自分の苗字と電話番号を書き込みます。電話番号は市境とか特別な地域を除いて局番は不要でしょう。なるべく書き込む文字数を少なくして、その分文字を大きくしたいからです。

書き終わったら、消えないように上からセロテープを貼り付けます、セロテープが丸まったり剥がれたりしないうようにプレートの裏表を使って工夫します。様子を見ながら、必要に応じて貼り替えるといいです。

さて、さっそくニャーの首輪を交換しました。
       プレート裏
           プレート表

これで安心。次におかあさんです。
前回のおかあさんの記事では、うまくできるか少し不安気に書きましたが、実際には難なく交換できました。(既に昨日のソトチビの記事にも写ってた。)

       首の後ろ側(横にあるのが前の首輪)
           前から

一見きつく付いてるようですが、この二匹は毛がふさふさしているのでそう見えるだけです。また、リードをつけて外に出るときはこの首輪は使わず、子犬用の首輪を使っています。ニャンコが首輪抜けを図ったときの力は想像以上に強いからです。

どうです? これでまずは一安心。
シャッポの反省会はまだ続きます。でも捜索関係の記事は、街のノラたち探索ということで「その他カテゴリー」に移動することになります。

      
       この記事の主役はこちら、シャッポでした


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迷宮入りしたシャッポの失踪

2017年02月03日 | シャッポ
帰らぬシャッポ。
スタッフの何人かが変わったこともあって、店ではシャッポの話題も殆ど出なくなりました。事件事故迷子に保護、足を使い情報網を駆使しても結局手掛かりひとつ得られなかった。近況写真も増えない今となっては、店では過去の存在になるのもやむを得ない。

     ニャー(右)と事務室で

シャッポから得た教訓。
自らの命より種族保存の行動を優先させる本能の呪縛から解き放つためにも、やはり去勢が必要だったこと。人間の都合に合わせて"調教"しようとしないこと。ニャンコは強制を嫌うので、自分から変わるのを待つのが基本だ。

     仕事の邪魔して大あくび

そして何より、たくさんたくさん癒された。
人懐っこさと野生の顔を交互に見せたシャッポ。あのデレデレと勇猛果敢さのアンバランスが何とも言えない存在でした。人間に見せた信頼と不信、自分への店内ストーカーだったシャッポ。今もどこかで達者だとすれば、彼はどっちの顔をしているのだろうか。

     雨の日にニャー(右)と

個々の命と向き合うということ。
多くの報われるべき命が救いを待っている。焦る気持ちはあっても、関わった命からの信頼にはしっかりと応えたい。身がひとつしかない以上これらは二者選択となり、自分は後者を選んだ。それは、シャッポに見限られたとしても変わることはない。

     店の番人(番猫)?

答えの出ない大命題。
ノラか家猫か。人間社会の中で暮すニャンコには、このどちらかしかない。最近同じようなブログをいくつか読みました。家猫(室内飼い、外飼い)が脱走してノラになって、再会したときは自由で楽しそうで家に帰ることを拒絶された、というもの。

そうだろうか。自分には忘れることができない、テンちゃんを初めて見たときのあの衝撃。ノラの生活が"楽しい"なんてことはあり得ない※。それでも、時としてノラを選ばざるを得ない事情があるのだろう。それは去勢によっても拭えない。そこを解明しない限り、家猫の脱走は続くのだ。

※ニャンコはどんなに困っている時でも苦しい時でも柔和な表情をします。その表情で彼らの状況は誤解され易い。(昨年9/29記事「くものこと」)

     大親友だったチビ(右)と

千変万化。
しかしその一方で、ニャンコに限らず動物たちの環境変化への順応性はかなり強いようだ。アフリカの草原で暮らしていたライオンでさえ、動物園の檻の中で不満なく暮すことができるのかもしれない。種族保存の本能と食料調達の不安を取り除けば、彼らが自由でいなければならない理由も減るだろう。ただ、やはり前述の"何か"があって、機会があれば脱走しようと試みる。

     甘えん坊シャッポ

自分なりの応援歌。
他のスタッフの人たちの理解と協力を得て、店に迷い込んだり周辺で遭遇したノラを保護して、里親探しをしようと思います。一度に3匹くらいが限界かな。シャッポのように失踪してしまう子がいても、それはそれで仕方ない。 もちろん"事件"を起こさせないための手立ても必要だし、地域猫的なニャンコの共同生活についても勉強する必要がある。

経験からして、置き餌をすればいつの間にかノラが集まってくる。ノラに門戸を開けておく店、(宣伝はしないが)それが自分なりの応援歌です。

また会う日まで
シャッポよ、楽しかった日々をありがとう。君のことは忘れない。

    

<後日追記>
ひとつ大事なことを忘れてました。シャッポに名札をつけていなかったことを大変後悔したことです。ニャンコにやさしい名札について調べてから、改めて書こうと思います。


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