今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

ノラネコとノネコ ~その2・「ノネコ」という生態は存在しない~

2023年09月01日 | ノラたちの幸せを願って
その1(7/27記事)を書いてから随分時間が経ってしまいました。
今回はまず、その1からの流れで奄美問題に関する環境省の対応について紹介します。ノネコ?の駆除方針が随分非難されてしまったので環境省も必死だ。下欄に紹介したようなパンフレットを作ってネコに優しいイメージを演出しています。このイメージ通りなら問題なさそう? いえいえその1に書いたように、「ノネコ管理計画」は実質不可能な譲渡計画を立てて、(譲渡できないからと)殺処分することを目的としているのです。

次に、その1でも取り上げた「鳥獣保護管理法」について
下欄添付した資料からもわかるようにこの法律は本来、野生の動物たちを護るための法律です。駆除捕獲などは免許制かつ地方自治体の許可制です。勝手に殺せるわけではありません。つまりその1の冒頭に述べた広島県呉市の大学院生による猟奇的な猫殺傷事件。この男の「ノネコだと思った」というのは言い訳にもなりません。動物愛護法違反か鳥獣保護法違反、どっちにしても罰金か懲役刑です。

ただし、この法律には問題があるようです。観光地である広島県の宮島で、名物の鹿を野生動物だと宣言したために弱った鹿に誰も手を差し伸べることができず、結果として見殺しにした。そもそも人(観光客)とともに過ごす鹿を野生動物などとすることが問題だけど、鳥獣保護管理法では許可なく野生動物に手をだすと罰せられるのです。(情報元下欄添付)

さて本題に戻って野良猫(家猫)ではなく野生の猫という概念は、いったいどこで生まれたのでしょうか。昭和38年の第43回国会農林水産委員会において、アメリカでファーラル・ドッグ、ファーラル・キャットと呼ばれる犬猫を参考にノイヌ・ノネコの定義付けを行い、昭和22年に狩猟鳥獣に加えたと林野庁指導部長が発言しています。この時の国会の質疑(質問:湯山議員、答弁:若江指導部長)のやりとりが実に面白い。「ノイヌが家に入って来たらそれはノイヌですか、それとも野良犬ですか家庭の犬ですか?」・・この概念の無理筋を見事に暴きました。だからと言って法律が修正されることはなかったのですが。下欄に添付した資料にありますので是非ご一読下さい。

同じ猫が人間の都合によって名前も種別も待遇も変わる。生き様が違うと言ったってその生き様を変えたのも人間だ。これは役人特有のロジックでありご都合主義です。少なくとも国会答弁を操るような役人には、動物愛護の精神など毛頭ない。地方自治体も同様で、役人に期待することはまず無意味だと思う方が賢明だ。現場(=保健所=愛護センター)には運ばれてくる動物たちを不憫に思い、助けたいと願う担当者が沢山いるとは思いますが。

法律を変えて世の中を動かそうと思ったら、とにかく政治家(議員)に動いてもらうしかありません。彼らは役人の上にいるのですから。このような問題には与野党関係ないのです。議員を動かすには、どんな業界にもいる著名な人が世論をバックに働きかけてくれるのが一番の早道。候補者は何人かいても、世論の後押しがまだ足りません。まずはchange. Orgのワンクリックから始めてみてはいかがでしょうか。下記に添付したどうぶつ基金さんのサイトにchange. Orgのページがリンクされています。

注)どうぶつ基金さんのサイトでは、鳥獣保護管理法下の動物(例えばノネコ)はいつでも虐待、虐殺することが可能のような書き方をしていますが、先に述べたようにこれは大きな誤りです。実はこのようなミスリードをしている記事(サイト)はかなり多く、これも当問題を複雑化深刻化させかつ広島の大学院生のような凶悪犯を生み出す要因のひとつだと考えています。

モドキ「ノラと家猫の区別だってつかないぞ」

関連資料(読みやすいものを選びましたが、ネット上には他にもたくさんあります)
・環境省のパンフレット
・鳥獣保護管理法について
・宮島の鹿
・ノネコ制定の経緯(国会答弁が面白いです)
・どうぶつ基金さんの記事(ワンクリック賛同・change.orgのページにいけます)

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ノラネコとノネコ ~その1・奄美の問題~

2023年07月27日 | ノラたちの幸せを願って
本テーマはノラたちの幸せを追求する当ブログにとって、避けることのできないものです。
この議論が噴出したのは2018年、世界遺産を目指す奄美大島で「ノネコ管理計画」なるものがスタートした時でした。固有種のクロウサギを守るためにノネコを駆除する。これに対し世間の非難が集中した。当ブログでも2年半ほど前に「奄美大島と天売島」なるタイトルで記事にしました。その後、奄美大島は世界遺産に登録されましたが、ノネコ管理計画は10年計画なので、今も進められています。

猫を駆除する? 当ブログでも再三述べているように、猫は動物愛護法によって守るべきとされている動物です。しかしながら100%人間に依存しない猫は野生動物と同じなので、愛護動物の対象外というロジックがある。役人特有の逃げ道です。そしてそういった猫を「ノネコ」として家猫や野良猫と区別して、鳥獣保護管理法の対象とし「狩猟鳥獣」としているのです。(ただし駆除狩猟は免許制。勝手に駆除したり保護すれば罰せられます。)

前出ノネコ管理計画はこのロジックを使ったもので、同じ猫なのに理屈をつけて駆除(殺処分)するとは何事ぞ、という非難が集中したのでした。自分は当初からこの問題を追っていましたが、最近になって(この3月)耳を疑うような凄惨で猟奇的な猫虐待事件が発生した。広島の大学院生が、罠にかかった猫をバールで殴り無残に切り裂いてしかも調理して口にした。その一部始終を動画に撮って公開したのです。
逮捕された男は容疑を認めたが、「愛護動物ではないノネコだと思った」と一部を否認。周到な言い逃れまで用意していた。一方斬殺された猫は人に懐いた地域猫だったと、ボランティアの人たちの憤りと落胆をまいどなニュースが報じている。

わが家と店のノラたちの守り神、みうとテンちゃん

この事件をきっかけに、自分はノラネコとノネコの違いについてできる限り多くの記事に目を通してきました。現状やはり奄美大島についての記事が多く、また感情的な記事も多いので、なるべく冷静に一方的でなく、よく調べた上で書かれた記事を選んで下にリンクしてみました。今回はそれらの記事を紹介しつつ自分の感想も述べ、本題の「ノラネコとノネコ」についてはその2で考察することとします。

奄美大島のノネコ問題に関しては、何と言ってもその管理計画の概要を確認することから始めなければなりません。この計画は奄美市の他、環境省、鹿児島県や5つの町村と協議の上策定したと書かれています。ノネコを捕獲し1週間以内に譲渡できなければ殺処分するという内容。尚下にリンクした奄美市のHPには管理計画の他、野良猫のTNRや飼い方などについても決めごとが紹介されています。同HPを見た限りでは、世間から非難囂々になるようなひどいものだとは思えませんでした。

世界遺産登録のために猫を殺すのかといった感情的な非難が多い中で、注目すべき反対意見は、肝心のクロウサギが減るどころか増えているという(専門家による)調査結果が新しく出ているのに参考外としていること。また森にいるノネコと街にいる野良猫をどう区別するのか。さらには年間4000万余り(計5億円・いなくなったマングース駆除時代からの延長)の予算をつけたのに実績が少ないなど。(=税金の無駄使い。ちなみに2020年が最少で27匹の捕獲です。)


テンちゃん、レジ外台にて (2019.6.16没)

擁護の意見は、下に紹介した記事では非難されている事柄に対して事実を検証するという形で述べられている。この記事にあるように、島内のノネコは3000匹もいない。(実は奄美市のHPにも600~1200匹と書いてある。) 捕獲後殺処分までの収容日数はむしろ一般の保健所よりも長いと反論しているけど、殆どの譲渡対象者が本土の人々という難しさを考えれば、決して長いとは言えないと思います。さらに、実際に殺処分された猫はいないという弁論はさすがに違うでしょう。殺処分がないのは、多くのボランティアの人たちが私費を投じて引き取っているからです。引き取り過ぎた保護団体が破産したという報道もありました。

この記事が言うように、日本ではまだ多くの猫が殺処分されているし、海外でも特にオーストラリアやニュージーランドでは野良猫(ノネコ)を全頭駆除(殺処分)する方針を打ち出して世界中から非難されています。でもそれを理由に奄美での殺処分を正当化するのは、引用の仕方が確証バイアス的な姑息に過ぎる。例えば逆の例としては、過去に小笠原で同様の問題が生じたときは捕獲した猫のすべてを本土に移送して譲渡したことがある。今年は韓国の馬羅島(マラド)でも同様のことがあって、捕えた猫を順次本土に送っている。奄美と一緒に世界遺産になった沖縄では、 同様のプロジェクトがパブリックコメントを集めた結果延期になった。(添付Evaレポートにいきさつと全体の流れがまとめられています。)

と、いろいろありますが、自分はこれらのどの記事がいいとか悪いとか言いたいわけではありません。しかしどの記事にも不満がある。当ブログのシリーズ「エサをやるなは殺せと同じ」を中心に再三書いてきたように、どんなノラ(ノネコ?)でもそのルーツを辿れば必ず捨て猫にたどり着く。しかも猫の遺棄は今なお進行形だ。まずノラ(ノネコ)を生み出す人間の行為に終止符を打つ。その視点がなければ、ノラ問題もノネコ?問題も奄美の問題も決して解決しないのです。残念ながら今回目を通した大量の記事の中には、猫の遺棄問題に焦点を当てた記事は一つもなかった。メディア関係者も含め人々の視点を変えることが如何に難しいか、痛切に感じた次第でした。

※その2に続きます。

みう、当家の裏庭にて (2019.8.9没)

~参考資料~
大元の計画
反対記事
擁護記事
沖縄の例
 (以上、クリックしてポップアップ)

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司法の壁? いやいや単に裁判官の怠慢でしょう

2023年02月03日 | ノラたちの幸せを願って
ネットニュースを読みまくっていると、毎日毎日動物虐待の記事が絶えませんね。
殆どが猫ちゃんです。
例の悪名高き「生き物苦手板」では、猫が死ぬまで熱湯をかけて観察したとか・・。
(そのサイトを直接見たわけじゃないですが。)
こんな救いようのない連中は同じ方法で死刑にするしかない。
かつて「死刑に処すべし」という記事でそんなことを書きました。

当ブログでも注目した二つの猫虐待事件。
ひとつは千葉在住の平田雄一郎が猫100匹を空気銃で打ち抜いた事件。
一昨年11月8日に結審し懲役1年6月、執行猶予3年となった。(千葉地裁)
岡部裁判長は執行猶予付きの理由を「反省しているから」とした。
この判決については、過去記事「どうしてこんなに軽いのか・・」でも取り上げました。
そもそも、この男が反省などと無縁なことは当時の週刊誌にも記されています。(脚注1)

もうひとつは京都市在住の酒井修平が次々と猫を購入して虐待殺傷した事件。
その裁判が先月末に結審し、上の事件同様懲役1年6月執行猶予3年となった。(京都地裁)
案の定の執行猶予付き。実質無罪と変わらない判決だ。
過去記事「ここまでやるか・・」ではペットショップ側の問題を取り上げたけど、
杉本彩さんがこの事件を追って深く掘り下げています。(脚注2)

前述過去記事「どうして・・」にも書きましたが、日本の動物虐待犯罪は検挙しても7割以上が不起訴、起訴してもほぼすべてが執行猶予付きの判決か10万円以下の罰金です。
英国で、猫13匹を殺傷した被告人が5年3ヶ月の実刑を受けたのとは雲泥の差です。
その判決は、市民に押されてのものだった。
日本の裁判官は、いったい何を考えているのでしょうか。

ある裁判官は言ったとか。「過去の判例と照らし合わせてこの程度が妥当かと。」
ちょっと待てよ。それでは何のための動物愛護法改定だったのか。
2020年6月から同法は改定され、愛護動物の殺傷は懲役2年以下または罰金200万円以下から、懲役5年以下または罰金500万円以下に厳罰化されているのです。
その厳罰化の意味を、この裁判官たちは何と心得る? 何が「過去の判例に沿って」だ。
こんなの迷惑以外の何物でもない。やる気がないのなら裁判官なんて辞めちまえ! 
すべて執行猶予付けて無罪同然にするのだったら、裁判官なんて要らないじゃないか。

そもそも5年以下とか500万円以下とか、いったい何のためにあるのか。
今の判決は次元が違うほどかけ離れているではないか。
こういうのを法律蔑視と言うのです。裁判官がだ。
実はどうしてこんなことになるのかその理由(真相)を探っていて、とある弁護士さんの講演記録に当たりました。
少し古く、動物愛護法改定前の講演です。(脚注3)
しかしながら正直言って、この内容は自分には難しい。
特に「保護法益」という考えがいまだによくわからない。

ところでこの講演に、先に述べた「生き物苦手板」が出てきます。
不思議でならないのは、何故投稿者を捜査して検挙しないのかということ。
動物愛護法違反の証拠を公表しているようなものなのに。
自由を奪われじわじわと傷つけられて殺される。
それがどんなに怖くて痛くて悔しくて無念で絶望的なことか。
その恐怖がわからない人間は、同じことを味わって覚えさせるしかないだろう。
司法がこんな感じでは、「闇の仕置人」にでも頼むしかないのかな。

「仕置人ならまかしとき」(ノラの守り神・テンちゃん)

   (いずれもクリックしてポップアップ)

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年頭の提言 「不幸なノラ猫たちに真の愛護を」

2023年01月26日 | ノラたちの幸せを願って
全国的に記録的な寒波に襲われ、人も猫もこの寒さを凌ごうと必死です。
昨日は晴れなのに庭の最高気温は2℃。今朝は-7℃と最低記録を更新した。
それでも家と店の外猫たちは食べに来ています。キジロの背中はまさに氷の冷たさでした。
温暖の地と言われた当地でこの有様だから、北国のノラなんて想像を絶する厳しさに違いない。

昨日読んだあるブログの話です。公園を犬散歩していたら小さな動くものを見た。
その後見つけた段ボール箱に犬が向かう。案の定中には・・。
それは捨て猫の箱だった。中の食べ物はなくなっていて、外に探しに出たのだろう。
何匹いたのか、その子たちの行く末はもう見えている。
よりによってこの大寒波の前日に捨てるなんて、とブログ筆者の憤りは治まらない。

当ブログの外猫たち(保護待ち):①モドキ (店)

前に書いたように、日本には「当たり前のように猫を捨てる文化」があるのです。
(「ノラたちとの共存を目指して」場外編その5)
その数は"自然増"に勝るとも劣らないと推測される。
しかし行政もメディアも”動物愛護家”たちも、そのことに正面から向き合おうとしない。
まるで不都合なものに蓋をするかのように。

むしろネットニュースには、ノラや捨て猫が保護されて幸せになった話が満ちている。
人々はそういう話に癒され、それゆえ好まれるからだ。
でもそういったニュースの初めの部分をよく読んでほしい。
それまでどれだけ過酷な生き方をしていたのか、身内や仲間をどれだけ亡くしてきたのか、それがたったの一言、あるいは一行で書いてある。
幸せになった話の何十倍何百倍もの、悲惨で凄惨な物語があるのです。
それらの不幸な物語を作ったのもまた、人間だ。

②シン (店)

先日読んだ硬派系雑誌の記事。
「無責任な餌やりでノラ猫が増えた結果・・云々」というくだりがあった。
話の主体は「云々」の方で、実にさりげなく一行だけ添えられていた。
猫とは無縁と思われるそんな雑誌にも引用されるほど、今や通説となったこの考え(言い方)。
こうして無意識無関心な人々が次々と感化され、さらに広がりを続ける。
それがどんなにノラたちを追い詰め、不幸な話を増やしていくのかなど考えたこともない。
しかしノラたちにとっては、まさに今日明日の食べ物こそが生死の分かれ道なのです。

こんな状況を打破し、ノラたちを救う道筋はただひとつ。
まず食べ物を与え、「飢え」から解放してあげること。
自然増を防ぐための避妊去勢手術は当面は必要だろう。
ただしそれを餌やりの条件にしてはならない。子供だって飢えたノラには食べ物を与えられるように、それが情操教育の第一歩というものだ。
同時に動物用の安全な経口避妊薬の開発を急ぎ、ノラのリスクと人々の手間の軽減を図る。

しかし何といっても一番大事なこと。
前述「不都合なものにした蓋」をぶち壊すことだ。
野に生まれたどんなノラでさえ、元をたどれば捨てられた猫にたどり着く。
何をしたって、猫捨てを止めない限りノラ問題は絶対に終わらないのです。
動物愛護先進国と言われる欧州でも猫捨ては止まない。
犯罪は、どんな国にもある。
しかし日本と違うところは、社会が声をあげて猫捨てを非難し糾弾する。
難しいことじゃない。
「餌やりでノラが増えた・・」を、「猫捨てでノラが増えた・・」に代えるだけでいいのです。
あとは相互注意活動を繰り返せば、必ず流れは変わります。

③サビ (店)

社会が無関心だから猫捨てが横行する。
「犯罪防止は警察の問題」と言ったって、現状では警察の手が回るわけがない。
国は、ペット業界の処遇が絡むのでそう簡単には動かない。
社会が、われわれ国民が意識を変え、メディアを動かすしかないのだと思います。

この問題はノラ猫の話ばかりじゃない。
輸入販売を自由にしたままで外来動物の駆除(殺害)を打ち出したり、無尽蔵な開発で追い出された猪などを害獣扱いして駆除したり、すべて同類の話です。
アフリカでは長年の密漁で象が激減し、絶滅危惧種に指定された。
理由は象牙の密輸です。ただそれだけの理由で何万頭という象が殺される。
世界が問題視して象牙の輸出入を禁止し、中国を含む各国が市場を閉鎖した。
日本だけが市場を開放している。
環境省は日本のせいだと認めてないが、象牙の売り場所がある限り密漁は続くのです。

身近な問題、遠い海外の問題。
私たち日本人はもっと意識を大きくして、声を挙げていくべきではないでしょうか。

④キジロ (家裏)

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まだ保護できる? ~悩ましい問題~

2022年11月16日 | ノラたちの幸せを願って
不幸な猫をなくしたい。
そのためにはまず「殺処分」「虐待」「遺棄」をなくさなければならない。
(※「遺棄」には保護者の本意でない脱走も含みます。)
はっきり言って、それさえ保証できればペットショップだって何だっていいんです。
でも、それだけじゃ猫たちは幸せになれない。

サクラがいなくなった家裏ではキジロが健在

これも大変インパクトが大きい、多頭飼育の崩壊があります。
悪徳ブリーダーなどによる確信犯的なものは、滅茶苦茶に取り締まって根絶すべきだ。
問題は無知、または善意に起因する多頭飼育化です。
昔の人は猫に不妊手術なんて考えたことないし、その結果どうなるなんてましてやだ。
厚労省をはじめ各NPOが盛んに注意喚起してるけど、効果は期待できません。
こういった人たちはネットも見ないし俗世間から遊離してるので、啓蒙活動も届かないのです。

この問題に関しては、自分なりのアイデアがあります。
今の日本ではとにかく親権だの所有権だのが強すぎる。
最近特に多い幼児の虐待、そして動物の不届きな飼育、いずれも親権所有権の壁で周囲の監視や命のサポートがうまくできないことが問題だ。
確かに所有権も重要だが、常に頂点にあるのではなくそれを乗り越えた法整備も必要だろう。

最近は常連になりつつあるシン(店)

さて、ここまできてようやく本記事の主題、「善意に起因する多頭飼育の崩壊」について。
少し前になりますが、変わった原因による多頭飼育崩壊が報道された。
その方は保護した猫にきちんと不妊手術を行い、一匹一匹名前をつけて大事に育てていた。
次から次へと現れるかわいそうなノラ、一匹たりとも見捨てることはできなかった。
その結果保護猫の数が増え、経済的だったか本人の病気だったかの理由でまともに飼育できなくなり、やがて凄惨な多頭飼育の現場へと化したのです。
ようやくその現場に救出が入った時、本人は泣いて(猫たちに)謝ったという。

愛読している石井万寿美先生のブログ記事に次のようなのがありました。(先月)
犬猫保護で知られる坂上忍さんが、25匹目で(保護を)打ち切ったと。
石井先生はその坂上さんの決断を称賛しておられます。
無理に沢山保護しても、手も財力も足りなくなって多頭飼育崩壊に陥ってしまう。
そうなれば人も犬猫も不幸になるだけ。
身の丈を知り、限界を見極めることが大切なのだと。

このひと月ほど姿を見ないサビ(店)

確かにその通りなのです。それはわかっているのです。
わが家には現在10匹の保護猫がいます。
店には2匹、まだ保護できず外でお世話しているノラが3匹。
高齢保護者が、計15匹の猫たちをお世話しているのです。
3年前の粗相問題で、当家の頭数は8匹が限界だと決めました。
でも昨年の11月、子猫のケンが現れてこれから冬に向けて大変だと保護した。
最近は外で暮らすサクラの体調に異変が生じ、これは大変だと保護した。
そんなわけで現在10匹です。里親さん探しもそう簡単ではありません。

もし今、救いを求めるノラの子猫に出会ったら、
空腹で衰弱した子猫が助けを求めてきたら、
果たして家の頭数が限界だからと見捨てることができるでしょうか。
教えて下さい、石井先生。

ついに復活したモドキ(店)

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