今日は休みで一人家にいました。
いつもと変わらないはずの家が、テツがいないだけで何と無機質なことか。
こんな時はまた思い出綴りで、自省の念を込めてくものことを書いてみようと思います。
ニャンコのまどろんだ顔、あれには本当に癒されますね。
でも気をつけなくちゃいけないのは、ニャンコは苦しかったり嫌なことに耐えているときも、あの柔和な顔をしてるんです。しかも彼等は最後の最後まで、前向きに生きる気力を失いません。だから尚更、彼等の真の状態を注意深く見ていないと、後悔することにもなりかねないんです。
生まれて間もないくもが3匹目のニャンコとして家に来たのは、かれこれ17年前のこと。妻の知り合いから譲られたときは血統書付だの何だのと、でもそんなの本人にとっても我々にとっても、まったく関係ないことでした。
一度屋根から落ちて両足骨折という大事故を経験しましたが、手術と矯正、必死のリハビリの結果多少の後遺症で済み、それ以外は順調に成長しました。物心ついてからは先住のハナと居場所を住み分け、その人生(猫生?)の殆どを2階で過ごすことに。

散歩、食事とトイレ以外は殆ど2階のベッドで過ごし、特に夜はベットの主(=私)と寝場所の奪い合い。まるで人間の彼女のように腕枕で寝たがるところまではよかったけど、とにかく寝相が悪い悪い、おそらく30分間隔で写真を撮ると、仰向けのままプロペラのように回転する彼女が写っていたことでしょう。朝、目が覚めるとたいていは彼女がベットの真ん中で、こっちが落ちそうになっていて・・(本当に落ちたことも度々
)

人間のように寝るくも
15才になった頃(2年半前)から痩せ始めました。その後しばらくは腎臓の値(cre)も一進一退、でも今度は黄疸が目立ち始め、そして何より、4kg以上あった体重が2kgを割るくらいまでに落ちて・・。
2年前にハナが亡くなった後、くもは居住を1階に移したのですが、いまにして思えばあれは階段の上り下りがきつかったんだと思います。性格も急におとなしくなってより一層、人のそばにいるようになりました。

このときに、もっとしっかり対応しておけばよかった。
これがくもに対する最大の謝罪で、今でも後悔に苛まれ続けることになったのです。
当時を振り返ってみると、テツが既に激痩せに陥り(一日数回嘔吐)、そしてハナの死と、とにかく落ち着いた日々がなかった頃でした。で、くもは、痩せてるとはいえ手がかからなかった。そしていつも、あのまどろんだ顔でじっとしていて、平和そのものに見えたのです。たまに帰省してきた子供達が、(痩せ方が)変だと騒いでもあまり気にせず、くもは大丈夫だと思い込んでいました。
それは、ハナが亡くなってからまだ3ヶ月後の、昨年1月25日のことでした。
その日の朝、いつものようにまどろんでいたくもです。

黄疸が目立つけど、幸せ顔に見えるくも
しかしこのとき、彼女の状態はすでに限界を超えていたのででしょう。
その日の夜、まるで模型が倒れるようにばったりと倒れ、それ以後立つことはありませんでした。

翌朝慌てて病院に、そのときは腎臓の値も数倍に上がっていてイオン濃度も異常に高く、かかりつけの先生はやさしい先生なので何も言わなかったけど、「何でこんなになるまで放っておいたんだ」と我々を責めたかったに違いない。実際、3ヶ月前にハナが亡くなったときのくもの検査結果はむしろ快方に向かっていたのに、先生に言わせれば、そばにいる人の観察が一番大事なのだと・・・。
くもはその2日後、病院で亡くなりました。
そのときは退院の準備もしていて、病院から訃報を受けるまで、死ぬなんて夢にも思っていないアホ振りでした。倒れた夜、翌朝入院するまで一晩抱いて温め続けたのが、彼女との最後になりました。
15年と3ヶ月の、猫生でした。
ハナのときも今回のテツのときも、悲しくはあるけど精一杯やったので後悔はありません。
でもくものことだけは、一生後悔し続けるんだな、と思っています。

在りし日のくも、テツ、そしてハナ
(3年ほど前の写真です)
後日訂正)
文中、両足骨折と書いたのは記憶違いでした。
正しくは右大腿部骨折。
いつもと変わらないはずの家が、テツがいないだけで何と無機質なことか。
こんな時はまた思い出綴りで、自省の念を込めてくものことを書いてみようと思います。
ニャンコのまどろんだ顔、あれには本当に癒されますね。
でも気をつけなくちゃいけないのは、ニャンコは苦しかったり嫌なことに耐えているときも、あの柔和な顔をしてるんです。しかも彼等は最後の最後まで、前向きに生きる気力を失いません。だから尚更、彼等の真の状態を注意深く見ていないと、後悔することにもなりかねないんです。
生まれて間もないくもが3匹目のニャンコとして家に来たのは、かれこれ17年前のこと。妻の知り合いから譲られたときは血統書付だの何だのと、でもそんなの本人にとっても我々にとっても、まったく関係ないことでした。
一度屋根から落ちて両足骨折という大事故を経験しましたが、手術と矯正、必死のリハビリの結果多少の後遺症で済み、それ以外は順調に成長しました。物心ついてからは先住のハナと居場所を住み分け、その人生(猫生?)の殆どを2階で過ごすことに。

散歩、食事とトイレ以外は殆ど2階のベッドで過ごし、特に夜はベットの主(=私)と寝場所の奪い合い。まるで人間の彼女のように腕枕で寝たがるところまではよかったけど、とにかく寝相が悪い悪い、おそらく30分間隔で写真を撮ると、仰向けのままプロペラのように回転する彼女が写っていたことでしょう。朝、目が覚めるとたいていは彼女がベットの真ん中で、こっちが落ちそうになっていて・・(本当に落ちたことも度々


人間のように寝るくも
15才になった頃(2年半前)から痩せ始めました。その後しばらくは腎臓の値(cre)も一進一退、でも今度は黄疸が目立ち始め、そして何より、4kg以上あった体重が2kgを割るくらいまでに落ちて・・。
2年前にハナが亡くなった後、くもは居住を1階に移したのですが、いまにして思えばあれは階段の上り下りがきつかったんだと思います。性格も急におとなしくなってより一層、人のそばにいるようになりました。

このときに、もっとしっかり対応しておけばよかった。
これがくもに対する最大の謝罪で、今でも後悔に苛まれ続けることになったのです。
当時を振り返ってみると、テツが既に激痩せに陥り(一日数回嘔吐)、そしてハナの死と、とにかく落ち着いた日々がなかった頃でした。で、くもは、痩せてるとはいえ手がかからなかった。そしていつも、あのまどろんだ顔でじっとしていて、平和そのものに見えたのです。たまに帰省してきた子供達が、(痩せ方が)変だと騒いでもあまり気にせず、くもは大丈夫だと思い込んでいました。
それは、ハナが亡くなってからまだ3ヶ月後の、昨年1月25日のことでした。
その日の朝、いつものようにまどろんでいたくもです。

黄疸が目立つけど、幸せ顔に見えるくも
しかしこのとき、彼女の状態はすでに限界を超えていたのででしょう。
その日の夜、まるで模型が倒れるようにばったりと倒れ、それ以後立つことはありませんでした。

翌朝慌てて病院に、そのときは腎臓の値も数倍に上がっていてイオン濃度も異常に高く、かかりつけの先生はやさしい先生なので何も言わなかったけど、「何でこんなになるまで放っておいたんだ」と我々を責めたかったに違いない。実際、3ヶ月前にハナが亡くなったときのくもの検査結果はむしろ快方に向かっていたのに、先生に言わせれば、そばにいる人の観察が一番大事なのだと・・・。
くもはその2日後、病院で亡くなりました。
そのときは退院の準備もしていて、病院から訃報を受けるまで、死ぬなんて夢にも思っていないアホ振りでした。倒れた夜、翌朝入院するまで一晩抱いて温め続けたのが、彼女との最後になりました。
15年と3ヶ月の、猫生でした。
ハナのときも今回のテツのときも、悲しくはあるけど精一杯やったので後悔はありません。
でもくものことだけは、一生後悔し続けるんだな、と思っています。

在りし日のくも、テツ、そしてハナ
(3年ほど前の写真です)
後日訂正)
文中、両足骨折と書いたのは記憶違いでした。
正しくは右大腿部骨折。