今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

生きることの意味を問う? ~療法食を拒否するニャー~

2019年02月18日 | ニャー
人間にはあり得ないが、動物には安楽死という言葉がある。
競走馬は骨折すると安楽死処分となる。人間のように車椅子や義足を利用するのは難しいからだろうか。身体の具合が悪くもないのに突然拒食症になった猫は、放っておくと死ぬまで何も食べないのだそうです。自然に生きる動物にそのようなことはないそうだから、拒食症はストレスなど人為的な原因による疾患と考えられ、そのまま放っておくのは自然死というより安楽死と同じことだ。

今、自分の傍らにニャーがいます。いや、自分が家にいるときはいつも傍にいる。かつての相互信頼と相棒のような関係が戻ったのです。みうをはじめとして次々と新しい猫を迎え、ニャーが敵意を抱くたびに叱り付けてきた。ニャーのストレスを気にしながらもニャーを責め続けたことで、自分との信頼関係を崩壊させ、この上ない寂しさを味わわせ、挙句の果てはストレス由来と思われるF.L.U.T.D.(下部尿路疾患)に追い込んでしまった。そうなってようやく事態の深刻さに気付いたこの愚かな保護者は、それ以来ニャーのために尽くしに尽くし、何とかニャーの信頼を取り戻すことができました。


振り向けばニャーがいる暮らしが戻りました

しかしニャーは、以前の健康なニャーではなかった。尿結石から腎機能低下を起こして病院に駆け込んだ正月のときは、5日間の皮下輸液で腎機能の数値が正常に戻った。しかし尿の詰まりは解消せずその後も苦しみ続ける。一方失った食欲は少し回復。それで強制給餌を止め、腎臓の値が正常に戻ったので皮下輸液も止めた。オシッコが出ないで苦しむニャーを何とか楽にできないかと、そっちの方に神経を集中したのでした。しかし事態は再び悪化し、膀胱炎が再発した。

病院での処置は膀胱炎治療のメタカムと抗生剤の投与。尿pHは再びアルカリに上昇していたがエコーで見る限り、詰まっているのはストルバイトというより炎症で剥がれた微細繊維(膀胱の皮膚片)ではないかと。小さな繊維の集合体のようなものが尿道の入口でもやもやしているのが見えた。消炎剤投与を始めて数日経ったある日、ニャーが尋常ではないほど苦しみだした。徹夜で付き添ったその日は1日オシッコが出なかった。完全に詰まったのだと確信した。


体調が悪くても穏やかな表情は変わらない
(後ろで光ってるのはみう)

再び病院に駆け込んで、4度目の尿管カテーテルによる膀胱洗浄と腎機能検査。そのとき詰まりはなかったが、病院にい行く途中で多量の尿漏れがあり、おそらくそのときに開通したのだと思われた。問題は腎機能。正月に駆け込んだときより悪く、急性腎不全の再発でした。

とりあえず効き目の長い抗生剤を打ち、それ以来毎日輸液を行った。正月のときと同様食欲を完全に喪失していたので強制給餌を再開した。しかし今度は食欲がなかなか復活しない。正月に5日で腎機能が回復したときは、食欲も戻ってきてその兆しがあった。腎機能が回復すれば体内の尿毒が減少して食欲が復活する。逆に言えば、食欲が出ないうちは腎機能が回復していないのではないか。しかし2週間ほど経つと、ニャーがもの欲しそうにこっちの顔を見るようになった。でも何をあげても匂いを嗅ぐだけで食べない。


当時の強制給餌には抵抗もなくいい子そのものだった
(撮影:オバン)

それでも食欲が出たということで、腎機能検査に行きました。結果はCRE2.0、BUN21。ほぼ正常に戻っていた。ほっとしたのもつかの間、そのとき先生に言われたのです。再々発を避けるために療法食に徹すること。輸液をしばらくは続けること。しかしこのふたつの条件は、ニャーにとっても保護者にとっても大変な難題でした。

在宅輸液に関しては、はじめのうちはよかったが感性の強いニャーは次第に意識過剰になり、準備するだけで身体を硬くして逃げようとする。遂には輸液中に暴れだして、一度は保護者の手に、二度目は自分(ニャー)の身体に深く刺さるという事故が相次いだ。それで保護者の方がすっかり自信をなくしてしまったのです。


何はともあれ正常値に戻ってよかった
病院の帰りには古巣の店に立ち寄りました

さらに、ニャーは療法食をまったく食べなくなっていた。そのため強制給餌には通常の液状食をやっていたがそれはダメだと。再発防止のために何としても療法食を。先生のアドバイスで、すり鉢を買ってきて水でふやかした療法食を液状にし、ニャーの口から流し込むことにした。ところが、それが見るからにまずそうなのです。案の定、それまでの強制給餌のときはまんざらでもなかったニャーが明らかに嫌そうな様子で、そのうち全身の力で抵抗するようになったのでした。

この2日ほどはニャーを押さえつけて、すりつぶした療法食を無理矢理流し込んだ。療法食に徹するとなれば強制給餌しかない。ニャーは激しく抵抗し、今度は普通の食事すら食べなくなった。せっかく信頼関係を回復したのに、これじゃあまるで迫害だ。何とかニャーに健康を取り戻してほしい保護者と、その保護者の行為にとまどうニャー。こんな状況での強制給餌を続けられないことは明白だ。それで、冒頭の悩みに陥ってしまったのでした。


かつて店時代に定位置だった場所にて
とっても懐かしい光景が蘇りました

猫には死という概念があるのかないのか、専門的にもネット上でもいろいろな議論があります。自分には、かつてテツがその前日に涙を見せたように猫は死を理解しているのだと思えます。ただ人間のような捉え方ではなく、もっと自然に受け止めている。だから生きるために我慢するという発想がないのです。耐え忍ぶだけの人生(猫生)なら生きている意味がない。食べることを止めてしまったニャーは、この先どのような道を選ぶのだろうか。何が何でも愛猫を失いたくない保護者には、どのような道があるのだろうか。

ニャーは今年になってから1kgほど痩せました。家に来た頃は大柄な子だと思っていたのが、今では背骨も浮き出てキーやクウよりも小さく見える。とにかく食欲を回復させるための情報を漁って、試行錯誤の日々が続いています。オシッコの詰まりもなく数値的には健康なニャー。食べない原因が心因的なものであることは明白だ。自分がニャーにした仕打ちのツケがこんな形で回ってくるとは。相変わらず穏やかな表情で自分の傍にいるニャーを見ていると、かつての自分の仕打ちを責めようともしないそのやさしさに、心底救われた気がするのです。


手前のリンを見つめる視線が昔に戻った?
食べなくても今のところ元気なニャーです


コメント
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