今日の朝刊(朝日新聞)の1面の見出しです。
問題提起されたのは猫の多頭飼育の崩壊。ワイドニュースでも時折取り上げられるようになった。ただ、1面見出しというのは随分な力の入れようだ。おそらく、実際にはかなりの頻度で起こっているのだろう。
掲題の多頭飼育はノラたちをかわいそうだからと保護し続けた結果です。しかしいつの間にか、自分にとってなくてはならない存在になる。ワンちゃんのように保護者に服従しないニャンコたち。気持ちの上では常に対等な彼らだが、しっかりと心を通わして信頼関係を構築することができる。それだけに彼らの好意は人にとって何よりの癒しになり、時として生きる糧にさえなるのです。

他人事ではない、わが家も高齢保護者と8頭暮らしだ
掲題の老人(男性)は介護が必要で相談相手もなく、劣悪な環境で暮らしていた。警察から連絡を受けた介護相談員が動く。そして介護保険の申請と適用。訪問サービスをはじめ各種サービスを受けられるようになった。問題は、ペットの世話が介護保険の適用外なこと。「ネコの生きる権利は守って」と訴える男性。相談員は、猫たちの救済にも動き出す。
つてをたどってボランティア団体やキャットシッターの助けを借り、不妊手術の資金を募り、猫たちを守った。里親募集も始めた。まったく頭が下がる熱意です。
この話はハッピーストーリーとして描かれている。記事はその内容を静かに伝え、思い切った提案をしているわけでもない。しかしこの話をよく読めば、当の相談員が民間のボランティアに支えられつつ私的に活動した結果であって、行政や公的機関のサポートは皆無だった。もし相談員が役人的な人だったら、猫たちが殺処分となった可能性は否定できない。実際、そういう不幸なケースもままあるのだろう。

あと20年は生きてほしい0才児のチキンとポニー
でも看取るより看取られる可能性の方が高い?
アニマルセラピーという言葉が広く知られています。動物たちの癒し効果を治療に使ったり生活意欲向上に役立てたりする活動だ。しかしこの分野は、民間の認定資格は存在するが公的な保証は何もなく、関連する法律もない。唯一適用されるのは動物愛護法だけど、この法律はペット業界の闇(引き取り屋の存在)でわかるように申し合わせたようなザル法だ。日本の法律ではニャンコもワンコも、あくまでも器物扱いなのです。
掲題の老人は何か罪を犯しただろうか。ノラをかわいそうだと思って保護することは悪いことか。認知症を患い、要介護となったのは本人が悪いのか。猫や犬たちを使えるだけ使い、要らなくなったら物のように捨てる。こんな社会が変わらない限り、掲題のような老人はこれからも増える一方なのだと思います。
われわれ日本人も、そろそろ身近な動物たちを真の仲間として考え直し、然るべく法律を立て直す時期に来ているのではなかろうか。


暖かくなると行動が変わってきたモドキ(左)とサクラ
やはり保護しないとノラとの長い付き合いは難しい?