本日、真田山プールに行く途中、生國魂神社の周辺に屋台の列が、、。
プールで1200メートル泳いだ後に立ち寄ることに。
午後4時に真田山プールを出ました。

枕太鼓と鉢合わせになりました。
屋台の裏の道を通り、公園に行き、自転車を止めました。



茅の輪をくぐりました。

通りすがりのおばさんにうつしてもらいました。プール帰りのえむびーまんです。



境内から茅の輪の外を見ると

本日は本宮という事です。昨日は、真田山プール定休日なので、この辺りは通っておらず、知りませんでした。

枕太鼓が来ました。茅の輪のところでお祓いを受けていました。



拝殿から見た本殿。

続いて獅子舞が、



そして、御鳳輦(ごほうれん)を中心とした渡御列(とぎょれつ)
朝10時に、生國魂神社を出発して、大阪城にある元宮まで行き、戻ってきたといいます。
清風学園の生徒を中心に500名の行列と言います。
先頭は、道案内の神様(さるたひこ)。天狗のような面をかぶった人が猿田彦のようでした。




続いて、御白杖(おんはくじょう)渡御において神様の杖かわり(御杖代)として使えるわらべ。


御神輿もきましたが、拝殿前から横に抜けました。
御錦蓋(おんきんがい)。蓋(きぬがさ)とは、長い柄のついた絹張の傘。御神霊をお遷し申し上げる際にもちいるとのこと。



御錦蓋は、拝殿を突き抜けて、本殿の中へ。


そして、おととし、戦火で焼失していた御鳳輦が奉製され渡御が復活したそうです。
戦前の大阪城までの渡御は、2000名規模だったとか。
御鳳輦が、拝殿に向かってきました。



そのま拝殿へ。


御鳳輦は、拝殿でとまり、白い布におおわれ、その前には、御錦蓋が。
ほぉーという掛け声が。神様の移動がはじまりました。
私は、御鳳輦(ごほうれん)の扉があけられ、何かがとりだされ、御錦蓋(おきんがい)に移されるとおもいきや。
具体的な形のものの移動は全くありませんでした。



そして、御錦蓋は、神様を載せて、本殿へ。

御鳳連は、頂上にある鳳凰が取り外され、拝殿の外へ。



そして、金神輿・銀神輿が、拝殿にはいり、突き抜けて、本殿の中へ。



そして、素早く、扉が閉められます。

本殿の扉は、すべて閉められました。

そして、拝殿の中央部への立ち入りが許され、真ん中に。午後5時でした。
拝殿の中。風神雷神が飾ってあります。


しばらくすると、扉が開けられました。

金神輿・銀神輿が拝殿へ。

向かって右が金神輿。左が銀神輿。

↓金神輿。

↓銀神輿。


本殿の中では神事が。

神事を終え、神官や御白杖のわらべたちが拝殿へ戻ってきました。

そして、金神輿・銀神輿は、拝殿の外へ。



渡御の神事が終わりました。午後5時半でした。
いくたま祭りには、過去何回も来ていますが、神事を見るのは今回が初めてでした。神様が私に見せてくれたのだと感じ、うれしくなりました。
おみくじ(200円)をひくと、4番吉でした。
そして、境内にある摂社・末社全てにごあいさつ。





渡御列参加者700名がいなくなり、静かになった境内。
向こうに見えるのは、ラブホテル群。

そして、自転車で事務所へ。
真田山プールの行きかえりには、生國魂神社への立ち寄りは、遠回りにはなりません。
パンフレットでは、環幸祭は、午後5時半からとなっていました。
実際には、環幸祭は、午後5時からでした。スケジュールをまったく知らない私が、環幸祭を最初から最後まで見られたのは、偶然と言えば偶然でした。