本日は、阪神大震災から23年目。
神戸の人は、23年前にそんな大地震があったか。と知っている人は、26才以上の人に限られます。
中学生・高校生・大学生は、知りません。
数年前、神戸三宮のカードカルトで、地震の話題が出た時、神戸の子は、阪神大震災の事を知っているのを前提でしゃべったら、
みんな、阪神大震災って、何っ?て言います。
私は、信じられず、居合わせた店の客、かたっぱしに聞いてみました。
店にいたのは、みんな、中学生、高校生です。
ほとんどの子が知りませんでした。
知っている子でも、神戸で大地震があったということを聞いたことがあるという程度でした。
当時、センタープラザ西館にカードカルトは3店舗あり、うち、1店、大学生だった店長だけが、阪神大震災の事を知っていました。
小さい時、阪神大震災にあって、恐かったて。
それ以外、私が聞いた子は、全員、阪神大震災後に生まれた子でした。
それから数年、現在も同じ感じです。
成績の良い子は、阪神大震災という名称を知っています。
アホの子は、その名称すら知りません。
神戸にかつて、大地震があったという事も知らない子が大半です。
阪神大震災
神戸大学では、900名の学生が建物の下敷きになり、うち45名が亡くなりました。
建物の下敷きになると、うち5%が亡くなるようです。
兵庫県以外の被害をすべて、大阪府で発生したものと仮定すると、
大阪府の被害は、死者32名 重軽傷者 3700名 全壊902棟 半壊7322棟 一部損壊92695棟となります。
兵庫県で死者が多かったのは、自衛隊の出動が遅れたことによります。
自衛隊出動が遅れた原因は、当時は、兵庫県知事からの要請がなければ、自衛隊が出動できなかったからです。
兵庫県知事はと言えば、地震発生時、公邸ではなく、愛人宅にいたので、県庁から知事に5時間以上連絡がつかなかったと言われています。
もし、貝原知事が、どすけべえな知事でなくて、公邸にいたら、自衛隊の出動が5時間以上早くなり、もっと多くの人が救出されていたと言われています。
そのため、貝原知事は、震災で亡くなった霊から多くの恨みを買い、阪神大震災20年目の式典を目前に、乗っていた車に別の車が追突、あっけなく亡くなりました。
霊の力は、恐ろしいものです。
私が作った神戸大学情報統計部の六甲道合宿所 は、全壊。ただし、建物賃貸名義は、山本隆雄 になっていましたが、
町内地図に、神戸大学情報統計部と書かれていたため、義援金は1円ももらえませんでした。
全壊だったので、当月の家賃は支払っていたので、損。かつ、敷金もかえって来ませんでした。
大家さんは、余力がないとして、再建してくれませんでした。
部室として使っていた民家は、天井が落ち、壁が崩れ、部室で寝ていた部員は、室内に散乱したガラスで切り、重傷でした。
私は、ベットの上で阪神大震災を迎えました。最初、震度3くらいの揺れ。揺れは終わり地震は終わったと思ったとたん、今まで、経験したことのない大きな揺れ。
これ以上揺れたら家がつぶれる。これ以上揺れんといてくれ。とベットの上て願っていました。
揺れが小さくなった時、家がつぶれなくて済んだと思い、全身の力が抜けたのを覚えています。
テレビをつけると朝日放送のおはよう朝日だけやっていました。
ライフラインには、影響はありませんでした。
東住吉区では全壊はなかったものの、1000棟以上が、半壊と一部損壊になりました。
地震直後は、あちらこちらの屋根にブルーシートがかぶせられていました。
南港通りの今川沿いのビルは、すべての窓ガラスが割れ、路上に破片が落ちていました。
私が、駒川中野駅に行く途中に毎日通る道だったので、発生時間帯によれば、けがをしたことになります。
ひょうたん良先生の話によると、大阪では、阪神大震災のような大きな揺れを経験することは当分ないという事です。