11月17日・18日は、関西文化の日の集中日。
ほとんどの博物館が、無料開放の日となっています。
朝から出かけようと思いましたが、朝は、雨だったので、寝ていました。
昼から、、。時間がないので、浪速区内にあるリバティ大阪(大阪人権博物館わへ行くことに。
行くのは初めてです。
それらしき建物の前に着きましたが、入り口がありません。
入り口は大通り側ではなく、裏通り側にありました。
ここが話題になっているのは、公式サイトに張り付けられている以下の内容からわかります。
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意見陳述 pdf 174KB
大阪人権博物館は2015年度からも運営を継続しますので、なお一層の支援と協力をお願いします
時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。本年は大阪人権博物館(リバティおおさか)が大阪人権歴史資料館として1985年12月4日に開館して30周年になります。開館以降、周知のように当館は、今日に至るまで日本で唯一の人権に関する総合博物館としての社会的役割を果たしてきました。
当館は約3万点におよぶ人権資料の収集・保管をはじめ人権問題の調査研究、人権に関する総合展示と斬新な特別展、企画展の開催、人権問題についての普及活動、ホールでの人間性豊かな文化事業、学校における人権教育や社会における人権啓発との連携などの多彩な事業を推進し、これまで来館者を中心とした総利用者は約153万人を数えています。これらの人権に関わる当館の存在意義と社会的役割は、大阪をはじめ日本国内はもとより国際的にも大きな関心を集め、微力ながら人権意識の伸長に寄与してきたと自負しています。
しかし2013年度から、大阪市は大阪府とともに当館に対する補助金を全面的に廃止しました。それによって当館では、事業費や管理費のみならず人件費を大幅に削減し、全体の運営費を約半額以下に抑えて自主運営の道を歩むことになりました。そのため入館料と各種の利用料などを値上げし、また新たに企業や団体、個人から寄附金(スポンサー)と賛助会費(サポーター)を募ることによって、自主運営のための自主財源の確保に努めてきました。その結果、2013・2014年度は苦しい状況のなかでも辛うじて運営を継続してきました。しかし昨今の経済状況の悪化が続くなか、寄付金と賛助会費は当初の予想に反して充分な効果をもたらさず、自主運営の継続についてはきわめて厳しい状況となっています。
これらの状況に追い打ちをかけるように、今年の2月に大阪市より現在の博物館用地を建物を取り壊し、原状回復の上、大阪市に返還するように迫られました。もし、それが出来ないときは「本市としては必要な手続き」をとる、つまり訴訟による裁判を想定しているとしか考えられない姿勢を明らかにしています。
当館がこれまでに果たしてきた役割と博物館用地の歴史的経過により、大阪市に対しては、引き続き現在の博物館用地のこれまで通りの土地使用料の免除もしくは大幅な削減、そして誠実な話し合いを要望しています。
今年度からは、運営を継続するため、展示など多彩な事業について従来どおりに実施する予定です。しかし経費の大幅な削減のため、開館日を縮小して水曜日から土曜日とします。何かと皆様にはご迷惑をおかけすることもあろうかとは思いますが、運営のための止むを得ざる判断であることをご理解ください。
また、2015年3月22日に開催した第15回理事会におきまして、理事長には石橋武、専務理事には赤井隆史が新たに就任することになり、これに伴い前理事長の成山治彦、前専務理事の小頭芳明は引き続き理事として財団の運営に関わることになりました。
4月からについては、「定款の目的達成のための公益的事業を推進している限り、博物館の開館は問題はない」と主務官庁に確認したうえで、これまでどおりの運営を継続することに努めていく所存です。皆様におかれましては、当館への一層の支援と協力をお願いする次第です。
2015年4月1日
公益財団法人大阪人権博物館
理事長 石橋 武
専務理事 赤井 隆史
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まず最初に入った展示室では、日本国憲法について。私は、神戸大学に行っているとき、世界で一番優れた憲法は、日本国憲法だと教えられたのを覚えています。世界中の憲法学者が理想の憲法と評価しているのが、日本国憲法ということでした。
その次に入った特別展は、夜間中学。兵庫県に多くの夜間中学があったことに驚きました。そういえば、昔は、奈良県だけが文盲率が高かったのを覚えています。
ちなみに、カードカルト近鉄奈良駅前店とJR奈良駅前店にいたバイトの20歳の子。漢字が読めませんでした。トレカの対戦をするときに、「全国大会」が読めないことに驚きました。以後、カードカルトでは、奈良県でバイトを雇う場合、漢字テストをしようと考えたくらいでした。
通常展 じっくり見ていると時間がかかりました。
アイヌ人・琉球人・朝鮮人のコーナーがありました。
そういえば、アイヌ人の存在を忘れているなぁと思いました。現在の大阪の子供たちは、アイヌ人を知らないのでは、、、
私が、子供の時は、みさき公園などの遊園地で、アイヌ人ショーがありました。当時の私がショーにより受けていたイメージは、アイヌ人は、背が高く、色が白く、民族衣装をまとっているということでした。
1931年ごろの琉球人の出稼ぎ先を見ると、4割が大阪でした。大阪でも大正区に沖縄村があります。沖縄に行ったとき、現地の人としゃべっていて、大阪から来たというと、親戚のだれだれが大阪に住んでいると必ず言うことに驚きました。沖縄の人は、親戚縁者の誰かは、大阪に住んでいることがよくわかりました。
朝鮮人のコーナーには、大阪と朝鮮とのつながりの歴史の中で、東住吉区にある百済駅(貨物駅)の写真が出ていました。
東住吉区の大阪市編入前の町村は、田辺町・北百済村・南百済村・矢田村。区内を南北に流れる駒川の昔の表記は、高麗川。
いじめで自殺した少年・少女のパネルと生前、本人が書いたものが展示されていました。
一般的に、統計データが古いのが気になりました。最新の統計データが2007年。今から、10年ほど前のものとなっていました。
無料なら入りますが、500円支払ってまで、入りたいとは思えませんでした。
大阪市によってつぶされようとしている珍しい博物館です。つぶされる前に一度は、見に行くことをお勧めします。