本日は、神戸大学の六甲祭へ。
卒業後も、毎年、私の作った情報統計部(現在名・コンピュータ部ココア)の展示場に顔を出すのが目的でしたが、昨年は出展していませんでした。
今年も、六甲祭の電子パンフで見た限り、出展していませんでした。
でも、行きます。なぜなら、私は、神戸大学にいるとき、神戸大学で一番有名で、一番有力な学生いわゆるドンだったので、思い入れがあるからです。
神戸大学で、情報統計部を作り、学内最大の250名の巨大サークルに。学術系サークルの連合体、学生学会の副会長を3年間務め、各サークルの予算なんかを一人で勝手に決めたりしていました。ちなみに、なぜ、副会長を3年間。会長にならなかったのか。それは、神戸大学のおきてによるものでした。
学生学会の会長・副会長は、六甲台(法学部・経済学部・経営学部)の学生でなければならないという暗黙のおきてがあったからです。もちろん、六甲台以外の学部の学生で副会長に就任したのは、開学以来初めての出来事でした。それで、会長より力の強い副会長が誕生したわけです。ちなみに、私が神戸大学を卒業するときには、私のつくった情報統計部の法学部の学生を会長に就任させました。
また、六甲祭では、神戸大学最大の人気企画、世界の占い博を開催し、2日間で、500円の入場料で800名の入場者を呼び込んでいました。40万円は、情報統計部の資金となりました。もちろん、そのお金の大半は私が個人的にいただいていました。
同じ時期に神戸大学にいた、ノーベル賞受賞の山中伸弥教授や自民党の高市早苗さんも、当時は、私の存在を知っていたと思われます。
神戸大学で私のライバルと言えば、映画研究部の部長で、放送委員会を立ち上げた住田功一君がいました。彼は、NHKのアナウンサーをしています。
この六甲祭も、私の頃にできたもので、それまでは、全学的な学園祭はなく、法・経済・経営学部の六甲台祭や教養部の水無月祭や教育学部祭め農学部祭など各学部でバラバラで開催されていました。
全学統一の学祭を作ろうと進む中で、反対勢力・各学部の学祭を残そうという動きもありました。その先頭が、当時、民青の神戸大学の支部長をしていた松田隆彦さんでした。
統一学祭になると、教育学部祭における共産党色が消されてしまうからでした。ちなみに、松田さんは、最近は、神戸市長選へ共産党推薦で出ています。
私は、統一の学祭、六甲祭を推進していた方でした。
今でもそうだと思いますが、神戸大学の中でも、なんの力のない学生もいれば、有力な学生もいるわけです。水面下で有力な学生たちの力関係で決められている面もあると思われます。
私は、その人物の一人、いわゆる神戸大学の学生側のドンだったので、人一番、神戸大学の学祭に愛着があるのです。
もし、神戸大学に山本隆雄がいなければ、全学統一の六甲祭はなかったかもしれません。
JR大阪駅から快速電車で六甲道駅まで。
そこから、神戸市バスで神大正門前下車。
パンフレットをもらいます。
通りすがりの人に撮影してもらいました。
階段を登り切ったところから見た神戸の街。
気になる看板。無料。
整理券を受け取りました。13時15分からの部。
六甲台の本館で、展示室を見ていきました。
神戸大学の進路相談室がありました。
現在の神戸大学のパンフレットやトートバックが置かれていて、もらいました。
そして、心霊映像映写室へ。深夜に神戸大学のこの教室 232へ肝試しに行く途中、一緒にいた仲間たちが、次々と消え、この部屋で白いお化けが現れる。
そこで、映像が途絶え。・・
そして、実際に、白いお化けに扮した人間が、教室の中を後ろに駆け抜けるというものでした。
めちゃしょうもなかったです。
そして、毎年見ている天文研究会のプラネタリウムへ。
そして、校舎をあとに。模擬店へ。
縄跳びをしながらダンスをする器用なものが披露されていました。
メインステージ。あまり人がいません。
大昔は、パワー全開体育会という超人気イベントがあり、身動きできないほどの観客がいました。
はちゃめちゃな内容で、20本くらいのペニスが当たり前のように2000名以上の観客の前に披露されていました。
もし、神戸大学でない大学で同じことをすれば、わいせつ物陳列という刑事事件になっている内容でした。
最近は、まともなものしかなく、観客も少なくなっています。
現在のキャンパス案内がありました。
一番下の農学部の海抜が80m。一番上の国際人間科学部のグランドの海抜が230mです。
学内だけで、150mの標高差があります。
六甲台地区は、海抜130m~180mです。
近くの建物のオープンテラスへ。
私の持っていったカバン(上新電機でもらつった粗品)と本日もらった神戸大学のトートバック。
そこからの眺望。
そして、上の階へ。階段からの眺め。道路は、バス通り。
一つ上の階のフロア。天井があります。イスが置かれています。
そこからの眺め。
そして、別の建物の展示へ。
数学研究会POMBの展示場へ。
知能クイズのようなものをしていました。
受けました。
私は、係りの人に、文句を言いました。
問1のカメラは、私の○をつけた位置の1台でよいのでは、、と。
すると、私の○をつけた位置に、二つの壁の延長上が一致すれば、そこで良いけど、わざと少しだけずらしたと。
ただ、定規がないと、延長上があたかも交差するようにも見えるので、もっと極端に、延長上が交差しないように見せるべきであった。すみませんと。
結局2問正解で、問1も正解とすると、3問正解。現役の神戸大学生と同等の知能と判断されました。
六甲台のグランドへ行く途中で、魚のかぶりものをして、水着で演奏しているのを見かけました。
トランクスではおもろないわい。競パンはけよと思いました。
そして、六甲台のグランドへ。
フォ―ミュラに乗らせてもらいました。
そして、係の子に写真を撮ってもらいました。
この車は、レプリカではなく、本当に動く車という事でした。
そして、グランドでは人だかりが、、。
ビンゴが開催されていました。
私も、ビンゴの用紙をもらいました。
結局、何も当たりませんでした。
グランドには、多くの模擬店があり、多くの人が、、
模擬店は終わりかけ。
私が通っていた教育学部学舎をズームイン。海抜210mの位置にあります。後ろに見える六甲山上は、海抜が900mほどあります。
教育学部本館の7階の化学の実験室。どんなに晴天でも気圧計は900ミリバール台を示してたいました。
化学の先生は、気圧計が壊れているのではなく、海抜200メートルを超えているので、海抜0mに換算すると、1000ミリバールを超えるので、この数値で正しいと言っていました。
グランド横には、人だかりが、
ジャグラーサークルの演技でした。
最後は、ジャグリングサークルの代表が、
大拍手。かっこよく見えました。
私も、学生時代を思い出しました。
神戸大学生と言うだけで、女子大生からモテモテの頃を。
関西の大学で、大学名を言うだけで、一番モテるのは、神戸大学生と言われています。
京大・阪大・神大 同じ日に3つの大学生から合コンを申し込まれたら、女子大生たちは、迷わず、神大生を選ぶと。
阪大生と合コンに行く際は、芋堀りに行くと言われていると当時のLマガジンには書かれていました。
私の作った情報統計部には、女子部員も多くいましたが、神戸女学院の学外部員も多数いました。
確か、向こうから、学祭の時に学外部員にしてください。と言ってきたと思います。
神戸大学のほとんどのサークルには、神戸女学院や神戸女子薬科大など、よその女子大学の部員が多くいました。
世界の占い博をやっていたころは、ほとんどの客が女性で、占い師は大半が男子部員。
客の女子大生から付き合ってくれという申し込みが多くて困っていた部員もいました。
そして、グランドの一部で発煙筒が上がりました。
アルカラというバンドの有料ステージでした。
外から見えないように塀が作られていました。当日券は2500円。3歳以上チケットが必要と書かれていました。
正門前からバスに乗ると混むので、六甲台北から乗ろうとしましたが、グランドの西側は、コンサートのため閉鎖されていて、バス停に行けませんでした。
それで、2つ下の六甲団地前から乗ろうとしました。
が、バスが2台続けて行ったところでした。
それで、神大正門前に止まっていた2台目のバスに乗りました。座れました。
神大正門前発六甲道駅行きの臨時バスでした。
六甲道駅のホーム。
大阪方面行だけに、へんなホームドアの代わりのホームロープがあります。
ロープに触ると、反応しました。
そこからだけ、電車が到着しますとロープが上がります。ご注意ください。
というアナウンスが、、
そして大阪へ。そして、梅田から地下鉄で大国町まで。そして、事務所へ。