夕方のニュースの時間。日によって、見ているチャンネルはまちまちです。
一番好きなキャスターは、朝日放送の浦川キャスターです。庶民目線で親近感が一番あるからです。
主婦層からの性的好奇心が高いのが、関西テレビの新実キャスターです。若さと京大野球部出身というのがウリです。
また、ニュース番組での企画力がすごいのが、毎日放送です。
読売テレビでは、ずけずけとものを言う高岡さんに興味がわきます。
本日は、たまたま、関西テレビを見ていました。
兵頭の今昔散歩コーナー。昔の写真を見て、現在のその場所に行き、撮影するという企画です。
昔の写真に写り込んでいるものを手がかりにして、通行人からの聞き込みで、そこを特定するというものです。
今回は、ちんちん電車が停車している駅。どの駅(停留所)かわかりませんが、平野方面の標識が、、
昭和55年の撮影と言います。
当時、最寄りの平野線中野停留所から天王寺駅前停留所や恵美須町停留所に、よく使っていたので、写真を見て、すぐに田辺停留所だとわかりました。
平野線は、恵美須町停留所から平野停留所までの6キロの路線でした。
私は、西平野停留所と平野停留所だけは、ほとんど利用したことはありませんが、その他の区間は、沿線となるので、光景をおぼえていました。
田辺停留所で乗車・下車したことがなかったので、写真に出ている喫茶店には見覚えがありませんが、他の停留所では、あんな光景は出てこないので、消去法であり得る停留所として田辺停留所と割り出しました。
平野線で思い出が深いのは、中学3年生の時、社会科クラブの部長をしていて、ブロック大会で、66年の歴史を閉じる南海平野線というテーマで研究成果を発表したことがありました。
平野線の各停留所には、長いホームがあります。電車2両分のホーム長があります。
チンチン電車が、2両編成で動いていた時代があるのではないか。と思い、いろいろと文献を調べました。
すると、飛田通いが盛んだったころには、2両編成で運転されていた。というものを見つけました。
それで、飛田通いって、何かと思いました。
沿線に飛田停留所はありますが、最もさびれた駅でした。
ウィキペディアより 飛田停留所跡地
他の停留所には、駅前に商店街が広がっていますが、飛田停留所だけは、駅舎がなく、ホームがあるだけでした。
こんなさびれたところに、2両編成にしないとさばききれないような人数の人が、どうして、行くのか、夜も眠れないぐらい悩みました。
親に「飛田通い」を聞いても、父親は教えてくれません。母親は、そんな言葉を聞いたことがないといいます。
学校で、職員室にいる先生にかたっぱしから飛田通いについて聞いてみたことがあります。
女の先生は、みんな、私の母と同じ、そんな言葉なんか聞いたことがないといいます。
男の先生は、にたっと笑ったりするだけで、教えてくれません。
そして、ブロック大会の発表時、意味もわからないまま、飛田通いが盛んだったころは、南海平野線は2両編成で運行されていた。と言いました。
他校から、飛田通いって何ですか、と聞かれなかったので、ほっとしたのを覚えています。
橋下市長が外国特派員協会で質問を受けた際、フリー記者の田中龍作さんから「飛田はお店の2階に上がってお金を払えば買春できることは大阪ではませた中学生では誰でも知っています。」という有名な発言がありましたが、
私は、ませた中学生ではなかったから意味が分からなかったのだと思えました。
現在では、インターネットで「飛田通い」と入れれば、一発で、大阪を代表する赤線「飛田」に通う事とわかるので、現在の中学生は幸せだと思われました。
でも、赤線(売春)が合法であった時代、飛田にある唯一の停留所・南海平野線飛田停留所は、そこを発着するチンチン電車を2両編成にしないと乗客をさばききれないくらい人であふれていたわけで、
そういう時代を知らない私にとっては、想像ができません。
その時代、飛田には、置屋が220軒。遊女2700名いたと言われ、1日に2万人の男性が通うとしたら、そら、飛田停留所はこむやろなぁと思われました。
有名な言葉「やり手ばばあ」は、飛田新地から生まれたことばなのかなぁとも思いました。
当然、今回の関西テレビのニュースランナーのスタッフ。誰一人、飛田通いが盛んであったころ、南海平野線は、2両編成で運行されていたとは、知らなかったと思われます。