フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

一生懸命なのに滑稽なこと

2020年03月11日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

最近、真面目な話ばかりしてるから、たまにはふざけた話でもしようかな。

一生懸命やってるのに、どうしても笑ってしまうようなことってありませんか?

たとえば、チェーホフの「小役人の死」という小説。

オペラを見ていた小役人が、大きなくしゃみをします。

それで、前列にいた偉い役人のはげ頭に、くしゃみをしたときのタンがつきます。

偉い役人はブツブツ言いながら、ハンカチではげ頭についたタンを拭きます。

これは大変なことをしてしまったと思った小役人は、青い顔をして謝ります。

「どうか、お許しください」と。

「わかった、もういいいよ」と偉い役人は言います。

しかし、まだ怒ってるようなので、もう一回「どうか、お許しを」と言います。

「わかったから、もう邪魔しないでくれ」と怒鳴られます。

怒鳴られてビビった小役人は、オペラが終わって、もう一度謝りに行きます。「どうか、お許しください」と

「もう、いいって言ってるだろ。もう忘れているのに。お前は私を馬鹿にしてるのか」とまた怒られます。

まだ、怒ってらっしゃる。謝り方が足りないんだ,と小役人は思います。

翌日、わざわざ出向いて、小役人は謝りに行きます。「どうか、お許しください」

「お前は私を愚弄しているのか。お前の顔なんか見たくない。もう来るな」と言われます。

激しく怒られた小心者の小役人は、ショックで死んでしまいます。

ほんとに一生懸命やってるのに、滑稽ですよね。

こういうことって、日常生活でないかな。

あんまり思い浮かばない。

そうだ。たとえば、男が一生懸命に女性にやらせてくださいとお願いする。土下座して。

それが一生懸命であればあるほど、アホに見えますよね。

でもこういうアホになれたら人生楽しいなと思う。

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エディット・ピアフと悲劇について

2020年03月10日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

ちょっと前に、面白いドラマを見た。
「死にたい夜にかぎって」という小説をドラマ化したものだ。
母親に幼くして捨てられた主人公。何度女性に裏切られても、愛さずにはいられない。
どんな不幸が起こっても、「まいっか」と笑い飛ばす。

ドラマを見ていたら、山本舞香がエディット・ピアフの「愛の讃歌」を歌っていた。

あの歌を聞くと理由もなく涙が出てくる。
山本さんが、下手くそだが味のある歌い方をしたからかもしれない。

あなたの燃える手で
あたしを抱きしめて
ただふたりだけで 生きていたいの
ただ命の限り あたしは愛したい
命の限りに あなたを愛するの

エディット・ピアフは子供のころ、角膜炎で目が見えなかった。
母は売春婦で、父親は大道芸人。身内の間をたらい回しにされた。
愛情の薄い幼年期だったに違いない。
臆病なピアフは、ナイトクラブのオーナーに説得され、歌い始め、成功する。
パリの酒場で歌っていたピアフは、ふらりと立ち寄ったボクサーのマルセルと出会う。
はじめて会ったときから惹かれ合う二人。
ピアフは妻子のあるマルセルと大恋愛になる。しかし、彼は飛行機事故で死んでしまう。
愛の讃歌は、マルセルが死んだ後に歌った歌だ。
歌詞の中の愛する男は、マルセルのことだ。
彼女の壮絶な人生を考えれば考えるほど、彼女がどれだけ真摯に愛を求めていたのかが想像できる。
その彼女の悲劇的人生は、僕の心を揺り動かす。
それはなぜなんだろうか、と考える。


小林秀雄の「悲劇について」の一節だ。
ちょっと引用してみよう。


悲劇は人生肯定の最高形式だ。

人間に何かが足りないから悲劇が起こるのではない、何かが在り過ぎるから悲劇が起こるのだ。

否定や逃避を好むものは悲劇人足りえない。

何もかも進んで引き受ける生活が悲劇的なのである。

不幸だとか災いだとか死だとか、およそ人生における疑わしいもの、嫌悪すべきものをことごとく無条件で肯定する精神を悲劇精神という。

こういう精神のなす肯定は決して無知からくるのではない。

そういう悲劇的智恵をつかむには勇気を要する。

勇気は生命の過剰を要する。

 

意訳すると「愛のためなら、人生に何が起こっても構わない。なんでも来やがれ。受けて立つ」ということかな。

 

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対立や恐怖から、恋に落ちること

2020年03月09日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

ポールオースターは僕の好きな作家で、その中でも「幻影の書」が一番好きだ。

この本には、いくつか開いた口が塞がらなくなるようなシーンがあるが、その中でもとびきり衝撃を受けたシーンがある。

ちょっと紹介する。

妻を亡くし、絶望で怒り狂っている男がいる。
アルマという女性が、その男をある場所に連れ出そうと説得している。

しかし、男は行かないと言う。アルマは震えながらピストルを向けて、一緒に来てくれと懇願する。
男は撃つなら撃て、と言う。
男はアルマの様子から、ピストルに弾が入っていないと感じる。
そして、男はアルマからピストルを奪い取り、自分の頭に突きつける。弾は入っていないと思って。
アルマは金切り声をあげて、やめてと言う。男はふざけやがってと思い、ピストルの引き金を引く。
しかし、引き金はピクリともしない。安全装置がかかっていたのだ。
ピストルには弾が入っていた。アルマがうっかり安全装置をかけたままにしていた。
もし、アルマが安全装置をしっかり外していたら、男は死んでいたことになる。
そのとき、自分が死の一歩手前にいたことに気づく。

ここまでは、よくある話かもしれない。
僕がびっくりしたのは、この次だ。
この危うく殺しあうことになった二人。
アルマは、銃口を向けたことに対して、後悔し、精神的に打ちのめされる。

男も落ち込んでいるアルマを見て、自分の気持が変化していくのを感じる。
そして、その後、キスをして、愛し合うことになる。
ええー、という急展開。


しばらくして、この奇想天外なシーンは、チェーホフの「熊」という短編小説のオマージュかもしれないな、と気づいた。

「熊」のあらすじも、簡単に説明する。


地主のスミルノーフという男が、若い未亡人に、死んだ旦那さんに貸していたお金と返してくれと迫る。

ところが女性は全く払おうとしない。そこで二人は大喧嘩になる。
しまいに彼は彼女に決闘を申し込む。彼女も受けて立つ。
男と女は互いに銃口を向ける。そのとき、スミルノーフは、突然、不思議な気持ちになる。
「これぞ女だ、本物の女だ」と。そしてスミルノーフはこの未亡人を好きになる。
スミルノーフは、妻になってくれと彼女に申し出る。そう言われた彼女も心が揺れ動く。

召使いたちが決闘を止めに入ると、二人は抱擁し接吻していた。

本当にこんなことがあり得るのだろうか?
恋愛に関して、吊橋効果というものがある。そのことを考えると、科学的にありうるのかなと、推測する。
吊橋効果とは、吊橋を渡ったときのように、不安や恐怖を一緒に経験すると恋愛感情になりやすいというものだ。
ピストルで殺し合うのは、究極の恐怖だ。
だから、その恐怖を経験した二人は、かなりの確率で、恋に落ちるのかもしれない。
どうだろうか?僕にはわからないが。


YouTubeにチェーホフの「熊」のラジオドラマがあったので、リンクを貼っておきます。
12分くらいです。よかったらどうぞ。 チェーホフ「熊」

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戦うということ

2020年03月08日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

死にたくない、と思うことがある。夜、暗闇の中で考え事をしているときに。

逆に、死にたいと思ったことはない。

もし、苦境に立たされたら、命を断つより、戦う方を選ぶだろう。

そういう意味では、僕は生まれながらのファイターだ。最後の最後までしぶとく戦い抜くだろう。

ただ、擬似的に、殺されて死ぬときがある。

はぁって思うかもしれないが、それは、将棋で負けたときだ。

将棋は、シンプルに言えば、王様を殺し合うゲームだ。負ければ死ぬ。

最近のアプリは持ち時間が10分に設定されている。だから、相手の持ち時間とプラスして20分で終わる。

20分間の死闘である。

僕は普段は集中力のない人間だが、将棋を指しているときは信じられないくらい集中する。

負けたくない、つまり、死にたくないからだ。

基本的に攻め将棋である。子供の頃から変わらない。攻めて攻めて攻め倒す。相手に対する殺意が強すぎるのかもしれない。

逆に、僕とは違って、王様をきちんと守って、安全にしてから、それからゆっくり攻める人もいる。

将棋を指していると、相手の性格がよくわかる。

気の強い人、慎重な人、打たれ強い人、諦めない人、たまに根性のひねくれた人もいる。

僕は、序盤中盤は強いが、終盤の最後の詰みを逃してしまうことが多い。

勝つことを急ぎすぎて、興奮してしまうのだ。

それで、最後の最後でポカをしてしまう。

映画の悪役のようだ。もうすぐ勝てるというところで、油断して武器を奪われ、殺されてしまう。

実際の人生でも、本当に大切なものを、最後にポロッと逃してしまう。

オンライン将棋を指しはじめた頃は、負けると頭にきて、怒りの扱いに苦労した。

しかし、勝負事において、感情的になることは、マイナスに働く。

だから、怒りをコントロールすることを学んだ。それで、今は負けても、冷静でいられる。

どんな強い人も勝ち続けることはできない。負けたときにこそ、人間の本当の真価が問われるのだ。

負けたくなくても負けるように、死にたくなくても死ぬときが来る。

僕は、将棋を通して、死ぬことを学習しているのかもしれない。

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思慮のない言葉で

2020年03月07日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

たとえば、新人が仕事でミスをしたとき、おもわず強く言ってしまうことがある。

相手に反省がないならが、強く言うことも必要かもしれない。

しかし、反省しているのに、そんなに強く言う必要はない。

でも、それが言える立場にあると、つい言ってしまう。

その思慮のない言葉が、どれだけ相手を傷つけてしまうか。

言葉は、人の心を温かくすることもできるし、鋭く切り裂くこともできる。

これは実際の話だが、結婚して一年くらいの女性に言った言葉だ。

彼女のお腹が少しふわっとしていた。

てっきり僕は妊娠したんだなと思い、「今、何ヶ月なの?」と聞いた。

しかし、お腹周りがすこし太っていただけだった。ほんの少し。

その時の彼女の晴れ渡った顔が、みるみる曇っていったのを、今も忘れられない。

たぶん、僕の言葉で彼女の一日は台無しになっただろう。ひどいことを言ったと思う。

人を傷つけないように話すこと。それはほとんど不可能だ。

そんなことを気にしていたら、何一つ話ができないのかもしれない。

たしかに、そうだろう。

だけど、自分の意図しないところで、人を傷つけてしまうことが怖い。

なぜなら、僕の無神経さゆえに、たくさんの人を傷つけてきたからだ。

本当にそのことを心から謝りたいと思う。

しかし、人を傷つけるのを恐れて、コミュニケーションをとらないのは、間違いだと思っている。

拙い言葉であっても、自分の中にある気持ちを素直に相手に伝えていきたい。

結局、人は人との関係性の中でしか生きれないのだから。

自分の気持をうまく伝えられず、誤解されるかもしれない。また、間違って怒らせてしまうかもしれない。

それでも相手との会話を楽しくするように、トライし続けていこうと思う。

なんか懺悔するみたいな文章になってしまったが。

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パニックになってもあきらめないこと

2020年03月06日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

ゴキブリは殺されそうになると、IQが跳ね上がるという話がある。
僕もいまブログの内容を全く考えていない。
はたして、僕のIQは跳ね上がるのだろうか。どうでもいいことだが。
そういえば、都市伝説のような話だが、ゴキブリは自分で飛べることを知らず、殺されそうになったとき、はじめて自分が飛べることを知るそうだ。
命の危険にさらされたときに、とにかく生き延びようとする生命力が、ゴキブリにはある。
じゃあ、僕たち人間はどうなんだろう。
コロナでトイレットペーパーを買い占めてるようじゃあ、だめかもしれませんね。


では、僕自身が命の危険にさらされたことがあっただろうか。

思い出せない。山でのことならありそうだが。
あっ、思い出した。命の危険があったこと。

記憶があいまいだが、多分、梅雨の時期だったと思う。
高速道路で車を走らせていた。

ワイパーを全開で振っているのに、それでも追いつかないくらい土砂降りの雨が降っていた。
それで、助手席に乗っている友人が、エアコンを入れた。
そうしたら、フロントガラスが曇って,前がまったく見えなくなってしまった。
僕は、手でフロントガラスを拭いて、その少しの隙間から運転をしていた。しかし、その隙間もすぐに曇ってしまう。
ほとんど前の見えない状態で、しばらく運転するはめになった。

僕は90%パニックになっていた。
たぶん、このまま前の見えない状態で運転していたら死ぬ。止まると後ろから衝突される可能性がある。
考えろ、考えろ、考えろ。
そもそも、なんでフロントガラスが曇っているんだ。
ダッシュボード付近やエアコンの辺を見た。
なんだ、A/Cのボタンが押されてないじゃないか。エアコンじゃなくて、単なる送風だ。
僕は、A/Cのボタンを押した。
すると、曇がみるみるうちに取れてきた。
パニックになっても、諦めず、考えること。
それが生き延びるために必要なことだ

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最後の会話

2020年03月05日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

もう十年以上前のことになる。じいさんが肺ガンで死んだ。
じいさんは周りには優しい人だったが、僕にとっては厳しい人だった。
僕は悪ガキだったので、じいさんとよく衝突した。僕とじいさんの間には、ちょっとした感情のもつれがあった。
僕の実家は新潟の西蒲区で、東京からはそれほど遠くはない。
いつでも、帰れるが、あんまり帰らなかったのは、そのことが影響しているのかもしれない。

あれは、暑い夏のことだった。じいさんが、もう少しで死にそうだという連絡が来た。
それで、僕は実家に帰った。
僕はじいさんの寝ている寝室で、二人きりで話した。
これが、最後の会話だということが僕にはわかっていた。次にじいさんに会うときは葬式のときだ。
僕は、このときのことを感動的に書けるが、そう書きたいとは思わない。
僕はじいさんが大好きだったし、それと同時に、大嫌いだったからだ。いまだにその狭間に心が揺れ動いている。
僕は、二人っきりのときに、じいさんに今まで育ててくれたことの感謝を述べた。
それは僕にとってのある種の和解のようなものだった。
じいさんは、僕の言葉を聞いて、泣き崩れた。声を上げて泣いた。
いつも厳しくてしかめっ面をしていたじいさんがあんなふうになるなんて予想もつかなかった。

でも、最後の最後で、きちんとお礼を言えて、ほんとうに良かったと思っている。

僕たちは、いつか死ぬし、いつ死ぬかわからない。
僕は、好きな人と話をしているときに、この最後の会話を思い出すことがある。
今話しているこの人が、もし明日死ぬとしたら、どうする?と。
だから、好きな人との会話は、できるだけ素直に自分の気持ちを伝えて、楽しく笑って終えたいと思っている。

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「かわいい」と思うとき

2020年03月04日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

たまに、この女性は本当に「かわいい」なぁと思うことがある。

若くて外見が可愛いのとはちょっと違う。外見の場合を、あえて漢字で「可愛い」と表現する。

僕が言っているのは、ひらがなの「かわいい」である。

この「かわいい」は、若い子でも思うし、同い年くらいの人でも、けっこう年配の人でも思うことがある。

僕の主観的な気持ちのことなので、もう少し説明が必要かもしれない。

自分の心の中を、じっくり観察してみる。

そうすると、僕がそう感じるときは、僕の保護本能がくすぐられているときなのがわかる。

保護本能とは、この人を守りたいという気持ちである。

つまり、かわいいなぁと思っているときは、この人を守りたいと思っているときなのである。

じゃあ、どういう人を守りたいと思うのか?

まず、けなげに一生懸命頑張っている人である。そういうときに、この人を応援しつつ、守ってあげたいと思う。

次に、思いやりがあって素直に感情表現している女性である。笑ったり、すねたり、泣いたり。それで、ちょっと傷つきやすそうなところがあったりすると、この人を守らなきゃと思ってしまう。

さらに、ちょっとおっちょこちょいの女性だ。一生懸命なのにドジだったりすると、もうだめだ。

こんな感じの女性をみたら、僕は女性の年齢に関係なく「かわいい」なあと思ってしまう。

そんなとき、僕の男としての保護本能がメラメラと湧き上がってくるのだ。

だからといって、どうなるわけではありませんが。

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僕の好きな短編小説 芥川龍之介「蜜柑」

2020年03月03日 07時00分00秒 | 読書・書籍

今日は、僕の好きな短編小説を一つ紹介したいと思います。
その短編小説は、芥川龍之介の「蜜柑」です。
芥川龍之介の小説の中でも一番好きな小説で、文章で人をこういう気持ちにさせられたら最高だなあと思います。
この小説で書かれたことは、芥川が実際に体験した出来事だそうです。
だから、主人公は芥川龍之介自身になります。

「蜜柑」は、短編小説のお手本のような小説で、小説の構成もなかなか興味深い。
短編小説は、起承転結のような長い構成は難しい。そこで、前フリとオチのような一つの変化で読ませることが多い。
この小説も、前フリがあり、ある出来事があって、大きく心が変化するという構成になっています。
前フリとは、最後のオチと真逆な状態のことです。例えば、アホみたいなふりして実は賢かったり、貧乏だったのに金持ちになるとか、前の部分がフリになります。
この小説は、前フリが長いのが特徴です。そして、最後に大きく心が動かされ、ガラリと情景が変化する。

横須賀線の汽車に乗る芥川は、すごく疲れていて不機嫌です。
読んでいて気分が悪くなります。
そこに13歳くらいの娘が、汽車に乗ってくる。その娘が、また芥川を不機嫌にさせる。
その不機嫌さが、最後のクライマックスまで続きます。
そして、最後に奇跡的な変化が起こる。
そういう話です。

これもYou Tubeで朗読があります。12分くらい。
リンクを張っておきますので、良かったら、ぜひ聴いてみてください。

 芥川龍之介「蜜柑」

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筋トレの悪いところ

2020年03月02日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

筋肉は若さを維持します。筋肉を増やす筋トレは、素晴らしい。いいことだらけです。

しかし、ちょっとだけ悪いこともあります。
そのちょっとだけ悪いことを、これから述べようと思います。
筋肉を増やすには、たくさんタンパク質を取らないといけません。
食事だけでタンパク質を取ろうとすると、けっこう大変です。肉を半端なく食べなくてはならない。
それだと困るので、どうしてもプロテインの助けが必要になります。
問題は、プロテインを飲みすぎると、おならが臭くなることです。
これは筋トレを本格的にやっている人なら、必ずぶつかる問題です。
今、これを読んで、ハハハと笑ってるそこのあなた。冗談ではありませんよ。
その臭さといったら、毒ガス並です。
間違って布団の中でしてしまったら、マジで死にそうになります。
ただ、自分が被害を被るなら、それは仕方のないことですが。


問題は、たまに他人に迷惑をかけてしまうことです。
前に、コンビニで、どうしても我慢ができなくなって、おならをしたことがあります。
店内には若い男の子が3人いました。
僕は、これはやばいなと思い、コンビニから逃げようとドアの方に向かいました。
すると、さっき僕が毒ガスを放った付近に、男の子三人が通りました。
そのときに、事件が起きました。
「くっさ、お前屁こいただろ」と一人の男の子が、別の男の子に怒鳴りました。
「違うよ、お前だろ。何食ったらこんな臭い屁が出るんだ」と言い返していました。
僕は、そそくさと、コンビニの外に出て、逃げていきました。
そのあと、彼らがどうなったか知りません。
ただ、あのときはすいませんでした。この場を借りて謝りたいと思います。

僕も、あれからいろいろ試行錯誤して、おならが臭くならないような方法を見つけました。
だから、今は大丈夫です。
ただ、プロテインの量を間違えると、たまに臭くなることがあります。

その時は皆さんの迷惑にならないように気をつけたいと思います。

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