フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

方丈記と今の日本

2020年04月10日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

流れていく川の水は、絶えることがない。しかも、新しい水と入れ替わり、常に変化している。

流れが止まっている水面には、泡がブクブクと浮かんでは、すぐに消える。

人生も同じだ。幸せも悲しみも、川の流れのように、時とともに過ぎ去っていく。


鴨長明が書いた「
方丈記・現代語訳」の冒頭部分です。無常観を表現しています。

無常観とは、世の全てのものは常に移り変わり、いつまでも同じものは無いという考え方です。

というのも、長明は、23歳のときに京都に大火災があり、26歳に竜巻・遷都、27歳で大飢餓、31歳で大地震に遭いました。

まあ、悲惨といったら悲惨な人生ですね。

ただ、鴨長明は、名誉、地位、財産を失って、山ごもりしてから、むしろイキイキしてくる。

心の持ち方ひとつで、人は幸せになれるということです。

僕たちも、地震やら疫病(新コロ)やら、いろいろと大変な時代に生きています。

しかし、心の持ちようで、どうにでもなります。

頑張りましょう。

 

 

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4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて 

2020年04月09日 07時00分00秒 | 読書・書籍

「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」は、村上春樹の短編小説だ。

結構人気のある短編で、僕も若い頃読んで、感銘をうけた覚えがある。

でもさ、100%の女の子って、本当にいるのかな。そもそも、100%って何よって話だ。

小説の中で言ってるように、容姿の好みではない。「タイプファイ」なんてできない。ただ、そう感じるだけだ。

今までの人生で、そういう女性がいたかと聞かれれば、うーん、どうだっけ。

ああ、「いたね」と答えるだろう。そういうのって感覚でわかる。あの子は100%だったなって。

ただ、しっかり捕まえておかなかったから、うなぎのようにスルスルッと逃してしまった。

小説のようにもう一回再会したら、どんな感じになるのかな。興味深い。

 

ちなみに、アメリカの調査で、一目惚れから始まったカップルの55%が結婚し、そのうちの90%以上が離婚しないそうだ。一目惚れから始まった恋は冷めにくいようだ。

その理由について、諸説あるが、人は瞬時に、遺伝子レベルで自分に合う相手を見分ける。

そして、その判断はかなり正しい。

でも、世の中に100%の女の子がいるとしても、そう簡単に会うことなんてできない。

だいたい60とかで、良くて80とかだ。

社会心理学者のエーリッヒ・フロムは、著書「愛するということ」で言っている。

人を愛することは、技術だと。

恋に落ちるという体験と愛を持続させることは違う。それを混同すると、愛することを失敗してしまう。

「愛の失敗を克服する方法は、一つしかない。愛の意味を学ぶことである。そのための第一歩は、愛は技術であることを知ることである」

素晴らしい本なので、よかったら読んでみてください。ちょっと哲学書っぽいですが。

このフロムの考え方は、僕たちに希望を与えてくれる。

愛は技術だから、60%の女の子だとしても、98%までもっていけるかもしれない。

うまくやればね。

そうでなきゃ、人生つまらないからね。


4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」の朗読があったので、興味がある人は聴いてみてください。

なかなか素敵な小説です。12分くらいの長さです。

 

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妥協点を探ること

2020年04月08日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

休日は外に出れなくて、暇だから、アマゾンプライムの海外ドラマをよく見る。

中でも法廷ドラマとか法律関係のドラマが好きだ。スーツとかブルとか。

見ていると、彼らは日本人とぜんぜん違うなぁと感じる。

とくに、交渉の仕方だ。合理的ではあるが、節操がないところもある。

たとえば、自分のやってない罪で起訴されているとする。

ほんとは無罪なのに、検察側の証拠の捏造とかで有罪なりそうになる。

すると、刑期について交渉したりする。20年の懲役を5年にしてくれとか。

日本人なら最後まで身の潔白を主張するだろう。たとえ有罪になろうとも。

しかし、アメリカ人は最悪な状況でも、自分に少しでも有利になるように交渉する。

 

それから、アメリカ人は、なにかあると、すぐ喧嘩する。訴訟が多い。

でも、ガチでやったら傷が深くなるので、お互いに得する方法はないかを考える。

相手にも利益を与え、自分の利益が最大になるように、妥協点を探るのである。

その点、日本人はギリギリまで喧嘩しない。

しかし、一旦、ケンカをはじめたら、大損しようがなんだろうが、最後までとことんやり合う感じがする。

利益について合理的に考えるのがアメリカ人なら、利より感情を優先させるのが日本人ということだろうか。

でも、アメリカ人のそういう合理的な考え方は、素直に学びたいと思う。

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かわいいという生存戦略

2020年04月07日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

研究者は、過去9000年間に存在した200匹以上のネコのDNA調査を行った。

そしたら、猫のDNAに、ほとんど変化はなかったそうだ。

それで分かったことは、猫は、人間が家畜化したのではなく、自ら人と暮らす道を選んだそうだ。

猫が人間にくっついてきて、人間がそれを拒まなかったのだ。いや、拒めなかったのかな。

たしかに、猫ちゃんは、どうしてあんなにかわいいんだろうと、むかしから思っていた。

まあ、人間の方に、猫をかわいく思ってしまう遺伝子が組み込まれているんだろう。

フフフ、そんなことは薄々分かっていましたよ。

「おい、人間。食い物とるの面倒だから、はやくもってこい、ニャー」

「ちゃんと寝床を準備しておけよ、ニャー」と猫ちゃんは図々しく言う。

人間は素直に「ハイ分かりました」と言ってしまう。

ほんと、あんなに図々しい動物は他にいない。でも、あんなに愛されている動物もいない。

ハハハ、不思議ですね。

それにしても、かわいいってのは、恐ろしい生存戦略だな。

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最近はあんまり怒らなくなった

2020年04月06日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

30十代は、怒りのコントロールに苦労していた気がする。

いろんなことに戦っていかたらだと思う。

じゃあ、戦いに勝つために、怒りは必要だろうか?

必要ないと思う。怒りがなくても、戦いには勝てる。

でも、喧嘩するときには、怒りの感情が生まれる。

それをきちんと対処しないと、怒りが止められなくなる。火事と一緒で、早めに火消しすることが大事だ。

ちょっと怒りそうだぞ、と自分で気づいたら、怒ったら負けだと言い聞かせる。

歳も関係しているのかもしれないが、最近は、怒らなくなってきた。いい傾向である。

怒りは、本当に人間関係を悪化させるから。

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緊張と緩和 笑いの原理

2020年04月05日 07時00分00秒 | 社会・政治・思想哲学

お笑いについて、亡くなられた桂枝雀さんが「緊張と緩和論」を提唱した。

有名な話だから、知っている人も多いかもしれない。

まあ、一応、説明しよう。

まず、緊張があって、それが緩和するときに、笑いが起きるという理論である。

たとえば、中学校で全校朝礼があったとする。

べちゃくちゃとお喋りとしている集団があった。

校長先生が、「こらっ、うるさい、お前たち」と怒鳴った。

校長先生の怒りが、全生徒に伝わり、あたりがシーンと静まり返った。

完全な静寂だった。

そのとき、遠くのほうで誰かが「ブーブーブーー」っと大きなオナラをした。

この例で、校長先生が怒るのが緊張で、ブーっとおならするのが緩和である。


もう少し突っ込んで話をしよう。

緊張と緩和は、自律神経と関係している。自律神経には、交感神経と副交感神経がある。

交感神経は、体を活動させるための神経で、人を緊張させ、動く態勢をつくる。

副交感神経は、体を休ませるための神経で、体と気持ちをリラックさせる働きがある。

人は笑うと副交感神経を優位になる。つまり、笑いは、体や気持ちをリラックスさせるのである。

笑いを作るという観点から考えると、まず緊張状態をつくり、そこでボケて、緊張を緩和させる。

これが、笑いの基本である。


もう少し突っ込んで検討すれば、感情はすべて自律神経と関係している。

不安、恐れ、怒り、この辺の感情は、交感神経が関係している。

例えば、女性が夜道を歩いていると、後ろから誰かがつけてくる。

そのとき、不安、恐れという感情が起こる。気が強い女性だと怒りが生じてくることもある。

行動を促す交感神経が優位のときは、逃げるかそれとも戦うかの選択を迫られる。


逆に、副交感神経は、笑ったり、泣いたりする感情に関わっている。

さっきの夜道の例で考えれば、後ろからつけてきたのが、彼氏だったらホッとして笑う。

本物の暴漢だったとして、襲われて、服を脱がされレイプされる直前で、彼氏が助けに来てくれたときは、ホッとして涙が出てくるだろう。

笑うか、泣くかは、緊張と緩和の強さに関わっている。

緊張と緩和の度合いが軽ければ、笑いが起きるし、緊張と緩和の落差が強いと泣いてしまう。

テレビでドッキリをすることがある。ほどよい緊張だと笑いが生じ、強すぎると泣いてしまう。

僕たちの社会には、今、新型コロナが蔓延していて、ちょっと強めの緊張状態にある。

緊張状態は、さっき言ったように、交感神経が優位なので、不安、恐れ、怒りの感情になりやすい。

このように緊張状態が強いと、ハハハと大声で笑いづらい。不謹慎に思われるからである。

でも、僕たちには息抜きが必要だ。リラックスする笑いが、必要なのである。そうじゃないと疲れ切ってしまう。

僕は、それを打破するヒントが、ユーモアにあると思っている。

ユーモアは、人が不条理や不合理、愚かさに直面したとき、それをあたたかく見守り、やさしい気持ちで笑い飛ばすことだ。

ユーモアは、人を傷つけないやさしさと、不条理を笑い飛ばせる強いハートが必要だ。

だから、ユーモアを学ぶことは、やさしさと強さを学ぶことでもある。

人生の不条理にあったときは、ユーモアで自分自身を笑い飛ばしていこう。

僕はバス停のベンチで座って、バスが来るのを待っていました。

向こうから、みすぼらしいオッサンが、トコトコとこっちにやってきました。

オッサンは、髪が一本もない本物のツルッパゲでした。

それで、たくさん席があるのに、わざわざ僕のとなりの席に座りました。

彼は僕の方をチラッと見て、禿げた頭をなでながら、小さい声でつぶやきました。

「あー、もうそろそろ、散髪に行かないと、ダメだなあ」

じゃあ、またね。

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下町のジャズ喫茶

2020年04月04日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

新潟から東京に出てきて、最初に住んだのは中央区の月島だった。

すぐ近くに門前仲町があって、いろいろ探索して、あるジャズ喫茶に入った。

その時、客はいなくて、僕と友人の二人だった。

僕たちは、若造でジャズなんか聞いたこともなく、場違いなところに来てしまった気分だった。

でも、マスターは、気にもしていなかったようだ。

名前は覚えていないが、後で聞いたところによると、そのジャズ喫茶はかなり有名な所らしい。

それ以外ほとんど覚えていない。

ただ、流れていたピアノの演奏をはっきり覚えている。すごく美しいメロディーラインだった。

僕はもう一回そのピアノの演奏が聞きたいとリクエストをした。

マスターはうなずいてもう一回かけてくれた。

僕は、その時、すごく好きな女の子がいた。片思いだった。

僕はそのピアノを聞きながら、その女の子のことを考えていた。

ただ、覚えてるのはそれだけだ。

何年か経った。

女の子は他の男と結婚し、僕は僕の人生を歩んでいた。

ふとした時に、あるピアノの音楽が流れた。

僕はすごく切ない気分になった。

そして、なぜか、片思いだった女の子のことを思い出した。

そのとき、ああ、そうだ、あのジャズ喫茶で流れていた音楽だ、と気づいた。

そのピアノは、Bill EvansのWaltz for Debby

今でもこのピアノを聴くと、ただ一途に思い続けるだけだった切ない気持ちを思い出す。

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風よけカバーの中の女の子

2020年04月03日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

最近、夏目漱石の話ばかりしていたので、久々に「吾輩は猫である」を読みたくなった。

明治に書かれた小説なのに、腹を抱えて笑ってしまうので、本当におすすめです。

Kindleで無料で読めます。もしよかったら、リンクからどうぞ。

吾輩は猫である Kindle版


でも、僕はKindleではなく、文庫で読みたかったので、夕方、駅前のブックオフに行った。

110円で売っていた。しめしめって感じ。

意気揚々とした気分で、自転車で信号待ちをしていた。

昨日の東京は風が強かった。風がビュービュー吹いていた。

隣の自転車を見ると、後部座席に仰々しいカバーが付いていた。風よけなのだろう。

カバーの中に、女の子が乗っていた。

おうおう、洒落たおさげ頭で、なかなか可愛い女の子だった。これは将来、美人になるなって感じの子。

別にジロジロ見ていたわけではない。だけど、一瞬、女の子と目があった。

女の子は、突然、僕にあっかんべーをした。

ハハハ、あっかんべーかい。なんじゃ、その仕打ちは。僕が何をしたっていうんだい。

僕も、そういうとこは負けず嫌いである。基本、大人の皮をかぶったガキである。

思いっきり、舌を出して、下まぶたを引き下げ、あっかんべーをやり返した。

その意表を付いた攻撃に、風よけカバーの中で、女の子は大爆笑した。

それで、バタバタ暴れたから、お母さんに静かにしなさいと怒られた。

ハハハ、僕は必死に笑いをこらえて、真面目な顔をした。

しばらく、自転車で行く方向が一緒だったので、その自転車の後ろについていた。

その間、女の子は僕の方を向いて、ずーっと笑顔で手を振ってくれていた。

僕もいろいろ笑わせるアクションをした。変顔したり、目をパチクリしたり。

お母さんにバレないように、こっそりと。

そして、女の子を乗せた自転車が、左に曲がろうとした。

ついに、別れの時がやってきた。

女の子は、すごく大きく手を振って、バイバイした。

僕も自分にできる最高の笑顔で、女の子にバイバイした。

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上弦の月

2020年04月02日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

昨日の夜は、上弦の月だった。でも、雨でまったく月は見えなかった。残念。

月のない夜にランニングしながら、月に関する有名な話を思い出した。

夏目漱石の話だ。

夏目漱石が英語教師をしていたとき、教え子が「I love you」を「われ君を愛す」と訳したそうだ。

それを聞いた夏目漱石が「日本人はそんなことは言わない。月が綺麗ですね、とでも訳しておきなさい」と言った。

「月が綺麗ですね」は「愛してる」の隠語です。覚えておいてくださいね。

だから、男と二人で歩いていて「月が綺麗ですね」と言われたら、「愛してる」と言われているんですよ、女性諸君。

でも、今の女性が、その夏目漱石の逸話を知っていることはないだろう。

だから、そんなことを言っても、かならず空振るはずだ。

じゃあ、好きと言わないで、どうやって好きと伝えるか?

僕だったら「一緒に話してるとすごく楽しいね」くらいで、ほぼ「好き」と同義です。

でも、鈍感の女性だったら、ぜんぜん気づかないだろうね。

まあ、鈍感というかはっきりとした確約がほしいのが女性ですよね。

そうすると、やっぱり、はっきり言うのが正解ですね。

「あなたが好きです」とはっきり言いましょう。

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字が汚かったこと

2020年04月01日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

ミミズの這ったような字という比喩がある。むかしの僕はそんな字を書いていた。

字が汚いのがコンプレックスで、人前で字を書くのがすごく嫌だった。

「顔は良いのに、字はすごく汚いね」と言われたことがある。

たぶん、字が汚いねというと、傷つくから、枕に「顔が良いのに」とつけてくれたのだろう。

顔が良いという嬉しさが2点くらいだと、字が汚いはマイナス100点くらいの感じだった。

結局、マイナス98点くらいで傷ついた。

字に関してはあまりいい思い出がない。だけど、二回だけすごく嬉しかったことがある。

一つは、大学のゼミでのことだ。教授に、字が汚くてすいませんというと、

「いや、わたしの経験だと字が汚いほうが頭がいいんだ。気にするな。私も字が汚いだろ。ハハハ」と笑って言われた。

そんときはすごーく気が楽になり、嬉しかったのを覚えている。

それで教授は「もしそんなに気になるんだったら、漢字の書き順を調べて直しなさい。たぶん書き順が間違ってるんだよ」と言った。

僕は、漢和辞典を買って、片っ端から書き順を確認しながら、漢字を書くことにした。

たしかに、僕の漢字の書き順はでたらめだった。小学生のとき、ろくに勉強しなかったからだ。

書き順を直したら、少しづつ字がうまくなっていった。

今は、うまいとは言わないがコンプレックスが解消するくらいマシになった。

先生ありがとう。

もう一つは、まだバリバリの悪筆だった頃のことだ。

なんだったかよく覚えてないが、看護婦やってる同じ誕生日の女の子に、メモだったか手紙だったかを渡した。

ラブレターではないです。事務的なことだったと思う。

「きれいな字を書くね。この字、好き」と言われた。

「えっ、そんなこと生まれてはじめて言われたよ」と僕は言った。

僕は、その時、心の中の固くなったものが、溶けていく感じがした。

自分のコンプレックスをほめられると、こんな幸せな気分になるんだと、初めて知った。

彼女は看護婦をしていたから、人の心を癒やすことに慣れていたのかもしれない。

でも、僕は彼女から大事なことを学んだ。

人を褒めるってことは、その人をいい方向に導くということだ。

だから、僕はお世辞ではなく、人の良いところがあったら、素直な気持ちで、どんどんほめていこうと思っている。

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