フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

科学的方法とメンツ

2020年04月20日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

データーは、ある事象を可視化するのに役立つ。

たとえば、新型コロナウィルスが、どういう風に人間に感染していくのかを可視化したいとする。

その場合、検査数・感染者数・重症者数・死者数を、時系列で並べ、正確にデーター化することが大事だ。

そうすることで、感染の広がりや、ウイルスの性質を可視化できる。

この客観的で正確なデーターを元に、科学的方法で、ウイルスを克服していく。


科学的方法とは、①物事を調査し、②調査結果を整理し、③新たな知見を導き出し、④知見の正しさを立証することをいう。

データーを集めるのは、①の物事を調査して、それを記録することだ。

アメリカやヨーロッパは、科学的方法をすごく重視している。だから、自国の感染者数や死者数を隠そうとはしない。

これに引き換え、メンツを重視する国(どこの国とは言わないが)は、科学的なデーターより、メンツが重要だから、簡単にデーターを改ざんして、報告する。

果たして、日本はどうなんだろうか。

科学的データーを重視しているのかな。それともメンツ、それとも恥かな。

とにかく、感染者数が増えたからといって、隠すことは避けたほうがいい。

これから先、人類は何度もウイルスと戦わなくてはならない。

だから、きちんとしたデーターを残し、戦うための方法を確立していかなくてはならない。

メンツによってデーターを改ざんするのは、人類に対する冒涜だろう。

日本がくだらないメンツを重視していないことを祈るが。

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死の家の記録 ドストエフスキー

2020年04月19日 07時00分00秒 | 読書・書籍

東京の土曜日は、自粛要請をするまでもなく、大雨だったので、外には出られなかった。

こういうときは、家で静かに読書するのがいい。

「死の家の記録」ドストエフスキー著 を読んでいた。

この本は、一応、小説の形式になっているが、ドストエフスキーの獄中記と考えていい。

ドストエフスキーは、思想犯として、逮捕され、死刑判決を受ける。
処刑当日、銃殺にされる直前で、皇帝の恩赦で死刑執行は中止される。
そのかわり、四年間のシベリア流刑になる。このシベリアでの獄中記が、この本である。

主人公(ドストエフスキーといってもいい)は貴族出身だ。貴族出身の囚人は敵意の目で見られる。
他の囚人たちは、普段の生活で、貴族にいじめらていたからである。
だから、最初、主人公は他の囚人たちにうまく馴染めない。

そんな獄中生活で、様々なタイプの囚人に出会う。
たとえば、ガージンという囚人は、普段はおとなしいが、酒を飲むと(監獄の中でもこっそり酒が飲める)突然暴れだす。恐ろしく屈強な体格をしていてるから、10人くらいの囚人が飛びかかって完全に気を失うまで殴る。普通の人なら死んでしまうのだが、次の日の朝、ケロッとした顔をして起き上がってくる。
こういった感じで、ろくでもない囚人たちが次から次へと出てくる。
でも、主人公は、徐々に心を開いていき、他の囚人たちと友好な関係を築いていく。

小説を読み進めていくとき、彼らは犯罪者だから全員がクズなんだと思うと、ちょっといろんなことを見誤る。
僕たち心の中にも、善良な部分もあるし、暗い闇もある。それは囚人たちと、ちっとも変わらない。
ドストエフスキーは、囚人たちの心の闇にだけにスポットライトを当てるのではなく、囚人たちの人間らしい善良な部分にも公平にスポットライトを当てる。
すごい人間観察である。そして、そこには常に温かい眼差しがある。

ドストエフスキーの小説は、宗教的である。

これは断言してもいい。それもテーマは愛についてである。

「君は、こんなクズみたいな人間たちを愛せるのか」と問われているのである。

小説を読み終わったあとに「許せ、愛せ、辱めるな、敵を愛せ」という言葉の意味が、心に響いてくる。

この「死の家の記録」に出てくる囚人たちは、のちのドストエフスキーの小説の登場人物になって出てくる。

ドストエフスキーの小説に出てくる登場人物は、みんな癖があり、弱さがあり、変なやつだが、最後にその人物を、なぜか愛してしまう。

それは作者であるドストエフスキーが、弱い人間たちを愛していたからである。

彼の小説を読むと、深い人間愛を感じてしまう。そして心が静かに揺さぶられる。

それはある種の宗教的経験といってもいいだろう。

家の中に閉じこもってたけど、まあ、こんな重い小説が読めたから、良かったかな。

ただ、正直言って、全部は読んでいません。長いからさ。一日では読めないよ。

 

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軍鶏の目

2020年04月18日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

若い頃、よく喧嘩した。良い喧嘩もあったし、悪い喧嘩もあった。

なんでそんなの喧嘩するかというと、自分のほうが強い(もしくは正しい)と思ってるからだ。

ほんと軍鶏みたいに喧嘩っ早かった。

でも、今はぜんぜんしませんよ。もう弱くなったし、自分が正しいか確信をもてないから。


ところで、軍鶏の目は、かわった構造をしているそうだ。

相手が五分の一くらいの大きさに見える。トラが、猫くらいに見えるらしい。

だから、こんなチビに負けるはずがないと思って戦うのである。

僕も若い頃は、相手を見くびって、喧嘩していたんだなと思う。


逆に、牛の目は、軍鶏と違って、相手が五倍に見えるそうだ。だから猫がトラに見える。

牛は、必要以上に、相手を怖がり、ビビっている。こんな感じで、戦わないのも問題だろう。

僕は、やっぱり、客観的に分析する科学者の目がほしい。

相手を見くびらず、かつ必要以上にビビらない、適切な判断のできる目だ。

でも、そんな目を持っていても、必ずどこかで見誤ってしまう。

だから、どんな人でも敬意をもって付き合うのがいいんだな、というのをこの歳になって分かってきた。

まあ、遅いかもしれないが、何でも遅すぎることはないですよね。

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思い出の角田浜

2020年04月17日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

すぐに叶いそうで、叶わない僕の夢が、角田山に登ることだ。

角田山は、新潟県の巻町にある。今は新潟市西蒲区になっている。

小学校のときに二回くらい登っている。でも、さっぱり覚えていない。だから、もう一回登ってみたい。

通ってる高校が巻町にあったので、よく角田浜にバイクで遊びに行った。

角田浜の海も、素っ裸で何回も泳いだ。ナンパみたいなこともした。誰にも相手にされなかったが。

友人が好きな子に告白すると言うから、頑張れと朝まで励ました。たくさん悩み事を語り合った。

角田浜は僕の青春の場所だった。泣いたり笑ったり、ほんと楽しかった。

でも、角田浜の強烈な思い出といったら、なんと言ってもホワイトハウスだ。

ホワイトハウスは、新潟でも有名な心霊スポットで、今でもあるようだ。

一回、仲間と度胸試しに、夏の夜に懐中電灯をもって、行ったことがある。

玄関のところで、ビビって逃げてきた。

今なら、平気な顔をして、中に入っていくだろう。

幽霊とかぜんぜん怖くない。むしろ見てみたいくらいだ。

まあ、歳を取るということは、そういうことなのかもしれないね。

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スパゲッティーを食べるとき

2020年04月16日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

家では、白米を炊いて食べるより、スパゲティーを食べるほうが多い。

簡単で美味しいからだ。でも、外ではあまり食べない。

それには理由がある。

村上春樹のエッセイをパラパラとめくっていたら、「リストランテの夜」というのがあった。

村上夫妻が、結婚記念日を祝うために、青山の洒落た高級イタリア料理店に入ったときの出来事だ。

少し離れた席に20代後半の都会的な身なりをした若い男女のカップルがいた。

聞くつもりはなかったが、二人の会話を聞いていると、この二人は深い仲になる直前なんだな、というのが分かったそうだ。

プリモピアット(前菜の次に出てくるやつかな)が出てきた。それがパスタだったそうだ。

男性が、それを気持ちよさそうに「ズルズルズル」とすさまじい音を立てて食べたそうだ。

周りにいた村上夫妻、ウェイター、ソムリエ、相手の女性、全員が凍りついたそうだ。

その後、このカップルはどうなったんだろう、といって話は終わる。


僕は青山の高級のレストランには行かないが、行ったらきちんと行儀よく食べるだろう。

それぐらいのマナーはある。

でも、僕は強く言いたい。その男性の気持ちがよく分かる。本当によく分かる。

僕もスパゲッティーをズルズル食べたい派だ。

家では遠慮なく大きな音を立てて、ズルズルと食べている。

僕はカプリチョーザのトマトとニンニクのスパゲッティーがすごく好きだ。

しかし、ズルズル食べれないので、あんまり行かない。

だって、行儀よく食べると美味しくないんですよ。

一人で食べてるときは音を立ててもいいですよね。誰にも迷惑かけていないからね。

そのかわり、人がいるときは、音は立てません。あしからず。

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コロナ離婚が流行ってる?

2020年04月15日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

職場の女性とちょっと話をした。

コロナの影響で、旦那さんと子供が家にいるそうだ。

それで、朝昼晩、食事を作らなくてはいけないので(昼は朝作るらしい)つらいと言っていた。

メニュー考えるのも面倒だし、自分ひとりの時間が無くなった。もういやだ、と愚痴っていた。

僕は、力なく、ハハハと笑うだけでした。

それで、僕は「ほら、コロナ離婚が流行ってるらしいから、気をつけてね」と言った。もちろん冗談で。

「そうする人の気持ちがよく分かるよ」と彼女は真面目に答えた。

そこは真面目に答えるところではないと突っ込みたかったが、「まあまあ、落ち着いてね」と僕は言った。

話はそこで終わった。

しかし、うーんと唸って、しばらく考え込んでしまった。

僕は、自分で料理できるから、料理くらい、ぜんぜん平気だ。

家にいたら喜んでやるだろう。そんなに上手にはできないけど。

料理は面白いから、旦那さんも料理覚えたら良いのにと思う。

たしかに、仕事してるのに、食事まで作って、フェアではないよね。

状況の変化に応じて、柔軟に対応していくのは、社会も会社も家族も一緒ですね。

やれることは分担してやって、冗談でも言って、仲良くいきましょう。

 

 

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雨の日の憂鬱

2020年04月14日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

東京は、激しい雨が降った。けっこう濡れた。

雨は嫌いだ。昔から。

しかし、文章を書くなら、やっぱり雨だなと思う。

雨の日はろくなことがないし、気分も暗くなってくる。

雨は、心の奥にある暗い感情の入り口になっている。

それで、こんなことを思い出した。

ずいぶん昔に、登山しているときに、雨に降られて、すぶ濡れになったことがある。

寒くて死にそうになっていた。テントの中でブルブル震えていた。

ひどく疲れていて、体の震えも止まらないし、どうなっちゃうんだろうと思っていた。

僕は心細くて、深い孤独を感じていた。


その日の静かな夜に、AMラジオで、ニューヨークシティ・セレナーデが流れた。

ひとりっきりの山奥の夜で、恋に落ちた女性を想うには最高な曲だった。

曲を聞き終わった後、不思議と「大丈夫だ、僕は一人じゃない」と思った。

そのブログあるかな、と探したら、あった。

暇だったら読んでみてください。「テント内の寒い夜」


どうして、雨の日は文章が書きやすいかだって?

どんなに暗く憂鬱な気分でも、いつか必ず晴れるからですよ。

暗く沈んだ雨の日を、頑張ってしのぎきれば、素晴らしい晴れの日がやってくるから。

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桜餅について

2020年04月13日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

僕はあんまり甘いものを食べない。しかし、甘い物の中で大大好物の食べ物がある。

それが、桜餅だ。

桜餅を見ると、自然と顔がほっこりしてくる。
桜餅について、東京に出てきて、ちょっとびっくりしたことがある。
というのも、桜餅を頼んだら、クレープ型の桜餅が出てきたからだ。この小麦をクレープ状にして作った桜餅を関東の長命寺と呼ぶそうだ。

僕が好きののは、ブツブツした道明寺粉で作った関西の桜餅だ。
ちょっと調べてみたのだが、地方によって長命寺派と道明寺派に分かれるようだ。

2015年の調査では、関東・秋田県・島根県が長命寺派だが、2018年の調査では、長命寺派は秋田県だけになってしまった。

長命寺の桜餅も悪くないが、僕が大好物なのは、道明寺の桜餅です。秋田県の人、スイマセン。

こんなご時世だから、わざわざ遠くに買いにいけない。だから近くのセブンイレブンに行った。

そこで道明寺の桜餅を買った。税込み140円。ただ、残念だったのは、桜の葉っぱが無いことだ。

葉っぱごとムシャムシャ食べるのが好きなのに。まあ仕方がない。
日本茶を淹れて、桜餅を一口食べた。道明寺のつぶつぶが気持ちいい。

桜の花の塩漬けが餅の上にちょっと乗っている。塩味がきいて、桜の香りがぷーんとしてくる。

コンビニの和菓子だけど、なかなかレベルが高い。

こんなことで幸せな気分になれるから、僕は幸せな男だと思う。安上がりだしね。
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献血に行ってきた

2020年04月12日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

外出自粛の影響で、献血する人が減っているらしい。特にO型。

僕はO型だし、今まで献血というのをしたことがない。

それで、いっちょ、やってみるかと思った。何事も経験だ。

ちょうど4月11日に、献血バスが西葛西駅の南口に来ている。

それで、友人に「明日、献血にいくつもりなんだ」と言った。

困ってるなら助けないとね、とかなんとか言って。

カッコつけて言ったものの、ちょっと不安もあった。

というのも、血液恐怖症っぽいだからだ。血のことを考えると、体に力が入らなくなってしまう。

幽霊もそんなに怖くないし、暴漢が来ても勇敢に戦うだろう。意外と僕は恐怖に強い。

しかし、血のことを考えると、背中に寒気が走る。子供みたいにブルブルしてしまう。

だから、今まで献血をしなかった。いやできなかったのだ。

ドキドキした気持ちで、西葛西の献血車の前に来た。勇気を出して。

献血車の前にテントが張られていて、想像していたより人が多かった。クラスターになるんじゃないかと思ったくらいだ。

前の受付のところに立つと、係の人がやってきた。

ピリッと緊張が走る。いよいよ僕の血が抜かれるのね、と思うと寒気がしてくる。

「えーっとですね。これからだと、終わるまでに二時間くらいかかりますけど、いいですか」と言われた。

「あっそうですか。じゃあ、やめます」僕は即答した。

残念という思いと裏腹に、心の中は、晴れ晴れとした気分になっていた。

人の多い中で、二時間も待ってられないというのが表向きの理由だった。

しかし、本当は二時間も恐怖に耐えられなかったんです。

根性無しなんです。やっぱり血が怖いんです。ごめんなさい。

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マスク慣れしてなくて

2020年04月11日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

僕は花粉症ではないし、風邪もほとんど引かないので、今までマスクをしたことがない。

しかし、今はこんな状況だから、仕方なくマスクをする。

だけど、マスク慣れしていないと、へんな失敗をしてしまう。

車を運転している最中に、水を飲もうと思って、ペットボトルに口につけた。

でも、マスクをしたままだったので、ペットボトルの水を三分の一くらいこぼしてしまった。

アワワ、となって、ペットボトルを落としてしまい、さらに大惨事になった。

ほんと軽くパニックになった。信号待ちしてる時だったので、事故にはならなかった。

ただ、シートは濡れて、ズボンは水でビシャビシャになり、お漏らししたみたいになった。

アホすぎて、自分では笑えない。だから、せめて笑ってください。

コロナで死ぬ前に、事故で死んだらほんとバカみたい。

皆さん気をつけましょう。あっ、僕だけか、気をつけるのは。

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