銀ステ根なし草

銀のステッキ旅行・スタッフの雑記帳

ロシア皇帝の暮らし

2009年07月20日 | のほほん同志Aの日常
ムダな会議や、面倒な根回しは必要なし。
2人だと、意思決定はスピーディです。

先日はコーヒーを飲みながらの雑談が、いつのまにか企画会議に。
テーマは、「我が街再発見」と題した日帰りツアーでどこを訪ねるか。

「オルゴール館」 を強く推されて、最初は正直、気乗りがしませんでした。
観光地にありがちな、子供だましのものを想像したので。

そう伝えると、
「ちがうちがう。90歳近い個人収集家の、自宅兼オルゴールの館なのよ」

…ふーん。
その言葉に少し心が動き、本日、そのオルゴールの館を訪ねてまいりました。

美しい桜並木で知られる川沿いから、バスで高級住宅地へと坂道を上がること15分。
バス停から、さらに坂道を延々のぼったところに、
ようやく目指すオルゴール館がありました。

立派な門扉を前に、思わずため息。
今から十数年前、当事80歳だったコレクターが、
「オルゴールと一緒に住みたい」 と依頼して、特別に設計された邸宅だそうです。

建て物、そして3階の大きな窓から見晴らす阪神間の街並みと海も見事でしたが、
本当にため息が出たのは、その収蔵品。

オルゴールといえば、おもちゃの宝石箱のような手のひらサイズ。
ネジをまくと、『エリーゼのために』が流れだす…。
そんな、「玩具」を想像される方も多いかもしれません。

ところがこちらのオルゴールは、タンス大から手のひらサイズまで大小さまざま、
そしてすべてが一級の美術工芸品。
バイオリンを数台備えたオーケストラタイプのものは、ピアノよりも大きなサイズ。
かと思えば、演奏と同時に兵隊さんが行進をはじめたり、
テディベアがシャボン玉をふかしたり、仕掛け細工の楽しい小さなものまで。
その数、実に300点余り。

実は今日、こちらのコレクションのなかでも屈指の名器である、
2台のオルゴールの特別演奏会が催されました。

ロシア帝国最後の皇帝ニコライⅡ世と、その妻アレックス。

今のエルミタージュ美術館、つまり
かつて「冬の宮殿」と呼ばれた帝政ロシア時代の王宮で、
ともに時をかさねた夫婦のオルゴールです。

1階の居間で、30人ほどが耳を傾けるなか、
2つのオルゴールの美しいメロディーが、まるで言葉を交わすように響きあいました。

なかには『ロシア皇帝の暮らし』という1曲も。
目を閉じてその世界に浸ろうとしましたが、
悲しいかな、ロシア帝国の知識も想像力もない身では、ちっともイメージが浮かばず…。

逆に情景が目に浮かんだのが、イングランド民謡 『埴生(はにゅう)の宿』。
懐かしさを誘う、どこか物悲しい旋律がオルゴールの音色に合うようです。

《 数々の宮殿を渡り歩いても 我が家に勝るものはなし 》
そんな歌詞のこめられた『埴生の宿』を
激動のロシアを背負った皇帝ニコライⅡ世も、ことのほか愛したそう。

1918年、ロシア革命のさなか、二人は革命軍によって処刑されてしまいます。
その後、二つのオルゴールは人手に渡り、バラバラに。

80年近いときを経て、はるか日本の地で二つのオルゴールを
ふたたびひきあわせたのが、今は亡きこちらのコレクターの方でした。


さて、このオルゴール館、9月の下旬にツアーでご案内いたします。
詳細は、近々アップ予定のホームページにて。
(近々、ちかぢかって、なかなかですね。もうしばしお待ちを――)

日帰りの小旅行でご案内していく「我が街再発見の旅」。
かつて花ひらいた阪神間モダニズムの豊かさを物語るように、
近場にありながら知らなかった素敵なスポットを、次々と発見中。

毎日が本当に、「我が街再発見」です。

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