銀ステ根なし草

銀のステッキ旅行・スタッフの雑記帳

イサム・ノグチとその母レオニー

2011年03月26日 | のほほん同志Aの日常

ある夜、仕事を終えて映画館に走りました。

観たかったのは、『レオニー』。
彫刻家、イサム・ノグチの母、
レオニー・ギルモアの生涯を描いた映画です。

というのも先週末、銀ステ・ツアーで
イサム・ノグチが晩年の日本での住まい兼仕事場とした、
香川県高松市にあるイサム・ノグチ庭園美術館を訪ねたばかり。
氏が対峙しつづけた石が、何かを語りかけてくる空間です。

さて、そんな旅の余韻に浸りつつ見た
映画のあらすじはというと…。

**** * **** * ****

時代は1900年前後。
渡米中の詩人、野口米次郎と
アメリカ人作家・レオニー・ギルモアとの出逢い。
二人の間に生まれたイサム・ノグチ。

父、米次郎の放蕩。
戦争勃発。
妊娠中のレオニーを独り残して、米次郎は日本へと帰国。

父を追って母と2人渡った日本。イサムはまだ3歳。
しかし父には別の家庭があり、
母レオニーは異国の地でいよいよ厳格に。

時代は「赤紙」舞う戦時下。
母は徴兵を恐れ、まだ14歳のイサム少年を独りアメリカへ帰らせる。

しかし間もなく在籍していた学校が閉鎖され
孤児同然となったイサム少年。
その後、閉鎖した学校の校長の家庭に受け入れられ、
初めて「家族」的なもののなかで育つ。

数年後、その恩に応えようと医学校に入学したところ、
帰米した母レオニーが一喝。
「あなたは医者じゃなくてアーティストになるのよ!」

反発するイサム青年。
でも彫刻スクールに通いはじめ、
父親譲りのアーティストの才能を開花させ、
初の個展に母を招く。
年老いた母との和解。

レオニーの病、
そして愛する家族に見守られての死。

ジ・エンド。


**** * **** * ****

とまぁ、こんな具合に物語は進み…

映画を見ながら、なぜか思い出されたのは
作家・清水義範のパロディ小説、
『国語入試問題必勝法』のこんな一節。

「設問: この人物の生涯を一文にまとめよ」

「模範解: いろいろあった。」


あともうひとつ思い出されたのは、
イサム・ノグチ庭園美術館で見た、氏の写真の数々。
鋭い眼光で石に寄り添う姿から立ち上る
人を寄せつけない孤独感。
その理由はこの生い立ちにあったのか、と。


お母さんのレオニーさんもいろいろあっただろうけど、
イサム・ノグチもいろいろあったんだろうな…。

そんなごちゃ混ぜの感想を抱いて
映画館をあとにしました。


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銀のステッキ旅行
TEL 0797-91-2260(平日8:30~17:00)
■公式ホームページ:http://www.gin-st.com
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肥薩線へ、おじゃったもんせ!

2011年03月26日 | Hの生きる喜び、それは
鉄道好きが泣いて喜ぶ
二度のスイッチバックに
大きく弧を描くループ線、
日本三大車窓が広がり、
築100年を超えた木造駅舎(無人駅)を幾つも超え…
その名は、肥薩線「しんぺい号」

行ってきました!
九州新幹線“さくら”で行く南九州
肥薩線「しんぺい」「はやと」号の旅

正直、列車には全く興味がない…
といいますか、全然知らないことだらけの世界

目的地には、飛行機で“ピョン”と行ってしまうのが一番
移動自体を旅の楽しみの一部と考えたことがない私にとっては、
“列車旅”は、はっきり言って未知の分野の旅行

それが…

とうとう、仲間入りしちゃったかも、です
鉄子です

●新幹線さくら〈新大阪→鹿児島中央〉直通4時間
●はやとの風〈嘉例川→吉松〉40分
●しんぺい号〈吉松→人吉〉80分
乗車時間だけでもフルに6時間!

車窓に広がる山岳風景
あれよあれよと言う間にスイッチバック
気付けば100歳超の木造駅舎に到着
車庫をのぞけば、往年の風格を漂わせるSL列車
あの頃、SL列車に胸をトキメカセ、
すり減った木造駅舎の長椅子に腰掛け
汽車を待っていた子どもたちは、
今幾つになったのでしょう

乗ったことないはずの路線なのに、
景色も音も人も、なぜか懐かしい

山あり谷ありの路線は、まるで人生のよう
途中、「真幸駅」(まさき)なんていう
素敵な駅名もありました

“幸せの鐘”なるものを
カーン カーン カーン 
3回鳴らせば、たくさんの幸せが訪れるんですって

どっさり持ってきた本を読むことも
すっかり忘れてしまうほど、
充実の列車時間が流れていきました…

列車内に置かれていた、思い出帳
乗り込んだ人の一言メッセージがぎっしり

“憧れの路線に乗れて幸せです!”
“最高の列車旅です、来られて良かった”

そして、3月11日以降のページは
被災地への励ましのメッセージで埋め尽くされていました

その中に、東北新幹線の運転士の方のものがありました
日付けは、3月18日
「東北大震災で現在壊滅的被害の為に、
皮肉にも休暇をいただき、ここへ来ました
本来ならば、被災された方々を安全なところへご案内することが
使命ですが、何もできず大変心苦しく悔しいです
一日も早く復旧させ、「はやぶさ号」(※東北新幹線)を
復興のシンボルにするよう、明日から全力で努めていきます」

きっと、複雑な思いで九州へ来られたのでしょう
そして、ここで誓ったのでしょう
自分が、はやぶさが、復興の礎となる、と

古い駅舎と昔ながらの肥薩の風景に
ふと、未来を見たような気がしました

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