個人的には思い入れたっぷりだった、
「ごんぎつねの故郷」、愛知県半田市を訪ねる旅が終わりました。
…なんて思っているのは、企画した本人だけで、ご参加の皆さんの思いはてんでばらばら。
「300万本も彼岸花が咲くっていうから」
「ぼくは狐の嫁入りが見たくて」
「40年前、半田市に単身赴任してたんですよ。そやからなんや懐かしいて」
「わたしは、『しまかぜ』に乗りたかったから」
「そうそう、それに伊良湖岬って行ったことなかったし」
え、じゃぁ皆さん、ひょっとして『ごんぎつね』をご存じない?
皆さんいっせいに、「知らん」
ひえ…
びっくりしました。
新美南吉の名作童話、『ごんぎつね』。
「ももたろう」並みに知られたお話だと思っていたので。
でも実際に訪ねた新美南吉の故郷、半田市で謎がとけました。
『ごんぎつね』が初めて国語の教科書に掲載されてから、今年で60年になるそうです。
はじめは一社からのスタートでしたが、以後、『ごんぎつね』を採用する教科書はどんどん増えて、
昭和55年以降はすべての教科書に掲載されるように。
――なんと、それが35年間もつづいているのです。
つまり、私が知っているのも、私の周囲が知っているのも、教科書で習ったから。
逆にいうと、それ以前に小学生だった70代のお客さま世代には、
さしてなじみのないお話なのかもしれません。
今回、出発するまえにあらためて『ごんぎつね』を読みかえしました。
ごんが兵十の仕掛けた網にいたずらし、ウナギを逃がしてしまう。
ウナギを食べたいと言っていた兵十の母親が亡くなったことを知り、
改心したゴンは、兵十にクリや松茸をこっそり届けるが、
そうと知らない兵十に、撃たれて死んでしまう。
文庫本のページ数にして、わずか十数ページ。
たったこれだけの文字数での、鮮やかなストーリー展開。
そして、たとえば兵十の母親の葬式の場面での、目に浮かぶような描写。
「人びとが通ったあとには、ひがん花がふみおられていました。」
「(兵十の)いつもは赤いさつまいもみたいな元気のいい顔が、今日はなんだかしおれていました。」
作者の新美南吉は、このお話を18歳のときに書いたというのですから、驚きです。
哀しいお話ですが、その舞台であることが誇らしいのでしょう。
半田市では、市民の方々の力で、300万本の彼岸花が咲き、
その赤と白のなかを、狐の嫁入りにちなんで、
花嫁行列(実際の花婿と花嫁さん!)がしずしずと進むのです。
今よりもっと多感…?だったに違いない10歳のころの私が、
このお話を読んでどう思ったのか、訊いてみたい。
この60年で、『ごんぎつね』を学校で習った世代の総数は、6000万人を超えるそうです。
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