ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

第4回「あなたの声」は「御堂関白記」

2019-12-16 14:30:54 | 古文書
NHK学園古文書・解読実践コース2019年度第3回,返ってきました。
いつも通り,普通の「A」でしたが,
先生がいつも私が書いた事柄に(「あなたの声」はもちろんですが,ほかのことも)
お返事をくださるのがうれしいし,楽しみです。

NHK古文書解読実践コース2019年度第2回の
「あなたの声」には,
「救出された屏風の下張り文書(2009年台風9号)」(2019.10.21)
を書きました。

その「あなたの声」を読んでくださって,
「台風,地震の度に史料レスキュー活動が活躍しますね。
 しかし今回は多摩川で川崎市の博物館の収蔵庫がやられました!
 被害はこれから明らかになると思いますが。」
と先生は書いてくださいました。

そのことについて私は,
第3回の「質問」のところに,
川崎市市民ミュージアムのことについてネットで調べたことを書き,(2019.11.18)
「冷凍の話は,阪神淡路大震災20年の兵庫県立歴史博物館の企画で聞いたことがあります。」
と書きました。

すると先生は,
「この方法は,私は平成5年ぐらいに草加市の水害で初めて知りました。
インスタントラーメンの技術が活用されたんですよね。」
とまたお返事をくださいました。

又興味深いことを聞きました。

先生,いつもありがとうございます。


さて,第4回の「あなたの声」は
「御堂関白記」です。

先日,12月13日,年に1回(と自分で決めている)京都です。
二条城と京都文化博物館の
「近衛家 王朝のみやび 陽明文庫の名宝9」を目的に行ってきました。

二条城については後日。

今日は「あなたの声」に書いた
「御堂関白記」です。
(写真撮影不可なので,チラシから)



「あなたの声」
「御堂関白記」
先日,京都文化博物館で「御堂関白記」の定家の自筆本や
11世紀の古写本などを見ました。
「あの藤原道長の御堂関白記だ!
 国宝だ!ユネスコの世界の記憶だ!」
と気合を入れてみたのですが,
なんと,道長本人が書いた自筆本は
半年を1巻とする具注暦(古い暦の一種)に記され,
日々の記述は暦の余白に書きこまれていました。
それも,今回見た部分は,
寛弘6年(1009年)11月16日,新嘗祭の件で,
15日条の枠に書き誤ったのか,
挿入符と線で16日の記事である旨を示しています。
(上の写真は別の日の部分です。)
(すみません,私のパソコン力では,マネして書けません。)
これでは,私が日々の予定をカレンダーに書きこんでいるのと変わらないではないですか!
1000年以上も後の人に見られるとは思っていなかったのでしょうね。
でも,古写本(これも国宝)は普通に文章を書いていました。

(御堂関白記 2
〔藤原 道長/著〕 -- 京都 思文閣出版 -- 1983 --
 藤原道長「御堂関白記」を読む貸出可
 倉本 一宏/著 -- 講談社 -- 2013.12
 図書館予約しました。)

PS.今回の課題は,「白狐出生の件御尋ねにつき書付」でした。
解説には,
江戸時代には一般に新規の信心や社の創設などは規制の対象になっていて,
領内の吉凶・怪奇などを把握するのも領主の勤めと認識されていたことが書かれていました。
キリスト教などの宗教だけではないのですね,規制は・・・
改めて,江戸時代について考えさせられました。







   
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地震・台風の被害とレスキュー(古文書等)

2019-11-18 12:31:50 | 古文書
NHK古文書解読実践コース2019年度第2回の
「あなたの声」には,
「救出された屏風の下張り文書(2009年台風9号)」(2019.10.21)
に書いた通りのことを書きました。

先日,そのNHK古文書解読実践コース第2回が返ってきました。

成績はいつの通り「A」(あの「A◎」は幻?)
先生の「講評」には,
もちろん私のリポートについても書いてくださっているのですが,

私の「あなたの声」を読んでくださって,
「台風,地震の度に史料レスキュー活動が活躍しますね。
 しかし今回は多摩川で川崎市の博物館の収蔵庫がやられました!
 被害はこれから明らかになると思いますが。」
と書かれています。

関西に住んでいる私は,関東のことを詳しくは知りませんでした。

すぐに,ネットで調べました。

川崎市市民ミュージアムのホームページには,
「お知らせ 
 台風19号の被害により,当面の間,
 休館させていただきます。」
とあります。

11月16日 朝日新聞デジタルには,
川崎市市民ミュージアムは,台風により,地下部分が水没。
収蔵品を保管する収蔵庫すべて水没。
そして,カビの繁殖を防ぐため,
紙の収蔵品は冷凍コンテナで一時保管する方針であることなどが書かれていました。


改めて,台風19号の被害の大きさにビックリしました。

古文書等のレスキューについては,
今まで何度か書いていますが,
2018年の「今日は震災23年です。」の記事に下のようにまとめています。

2016-01-22「秀吉の手紙 その1」
 一部,古文書や文化財のレスキューについて書いています。
 先日,NHKニュース関西版だったと思いますが,
 神戸大学の奥村さんを中心とするレスキューの報道がありました。
 【阪神・淡路の経験から】地域に残る歴史資料を守る
  http://www.nhk.or.jp/sonae/douga/hinanseikatsu_0003.html

2016-03-11「秀吉の手紙 その2  特別展「秀吉からのたより」」
 同じく,一部,古文書等のレスキューについて書いています。 
  この時の古文書の修復については,
  「大津波被災文化財保存修復技術連携プロジェクト」
  「歴史資料ネットワーク」で調べていただければ,分かると思います。


奥村さんのNHKの話は,すでに古くなっているので,検索しても出てきませんね。
すみません。

地震・台風の被害とレスキューについては,
2015年1月の
「特別企画展 阪神淡路大震災20年
 災害と歴史遺産
  ー被災文化財等レスキュー活動の20年ー」
の研修会できいた
陸前高田市立博物館学芸員の先生が忘れられません。

もうすぐ,阪神淡路大震災25年です。




 
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検地帳について(天正八年帳) (途中経過です。)

2019-11-14 11:05:25 | 古文書
博物館で特別展をしたり,
それが新聞やテレビのニュースで取り上げられたりすると,
「もしかしたら,家にあるこの文書・・・」
と貴重な古文書が見つかったりするものです。

今回ここに書く天正八年の検地帳の写しもその一つです。

2017年の特別展「ひょうごと秀吉」を見に来られた方が
所蔵する文書のコピーを博物館に持ってこられたのが始まりのようです。

以下,
兵庫県立歴史博物館紀要 『塵界』 第30号2019年

前田徹氏「天正八年十月二十四日付け 播磨国飾東郡緋田村検地帳写」
をもとに,
私なりにまとめたものを書いています。

いつもそうですが,
私の読み間違い,解釈の間違いもあるかもしれません。
興味を持たれた方は,
兵庫県立歴史博物館紀要 『塵界』 第30号2019年
を読んでください。
姫路市立図書館で借りることができます。



A:天正八年帳(緋田村)写し・・・書風から16世紀後半まで
  1580年 信長の家臣羽柴秀吉実施
1.①地名(小字名) ②面積 ③耕地等級等 ④分米 ⑤名請人
 の順に書かれています。
2.貼紙の断片やそれを剥がした糊の跡
 →実用に用いられ,記載の内容の変更など訂正を加えるなどして
  使用された痕跡                  (カ)
3.丸く小さな印か何らかの文字が彫られた楕円印(印文 「守□(しかく)」)を
 割印として用いる。
 写しを作成する際かあるいは何か別の帳簿と照合した際の検印や目印
4.単位・「畝」(織田検地帳から全国へ)とともに,中世的な「大」「小」「半」
 1反=360歩と思われる。
5.名請人・「御着 石原方」
       「石原」は「方」がついているので,名字であることが明らか。
            「方」:侍身分に対する中世的な敬称
(6~8は11月19日追記)
6.集計・本体の一筆ごとの数値を集計→計算が合わない
     単純な計算ミス?
     たとえば,村からの指出を踏まえたものなど,
     本帳の本文記載とは別の材料を基に記載されている可能性
7.名請人の所属村
 緋田村の住民は筆数,分米高ともにおよそ半分弱
 残りは,的形・三(見)野・福留(泊)・東山といった近隣村落の住人が名請
8.畠の年貢額集計に銭が用いられている。
 本文では,石高


B:慶長七年帳(明田村(旧・緋田村))写し
  1602年 池田輝政が実施
1.文禄検地帳(秀吉直轄下)以降
①耕地等級・地目(地目は略するものもある) ②地名 ③面積
 ④分米 ⑤名請人 の順に書かれています。
3.合点類は,慶長七年帳にもみられる。
4.1反=300歩
5.名請人は名字を記さず名前のみ(太閤検地以降)


箇条書きにしました。

実は,まだ,半分くらいしかまとめていませんが,
難しい論文を読むのに疲れたので,
ここで終わります。


「天正八年帳」は今,
兵庫県立歴史博物館 特別展「お城ができる前の姫路」で展示されています。
(11月24日まで)

写真撮影不可ですし,
論文には天正八年帳すべてが載っていますが,それをここに載せるわけにはいかないでしょう。

というわけで,
近いうちに歴博に行くので,
看板に載っている天正八年帳をいずれここに貼り付けます。

太閤検地以降の検地帳については,
NHK学園で古文書を学んでおられる方は,
『基礎コース テキスト』の
②「検地水帳」を参考にしてください。


追記(11月16日)
兵庫県立歴史博物館 特別展「お城ができる前の姫路」
のチラシから


天正八年帳については,論文をもう少し読み進め,
「おもしろ~い!」と感動したことがあったので,
後日追記します。
今日は時間がないので,すみません。

(以下,11月19日追記)
兵庫県立歴史博物館特別展「お城ができる前の姫路」によると,
村高の増加
天正八年 419石 → 慶長七年 805石
  倍増に近い増加
先行する太閤検地に比べて二割の打出し
近世初頭,検地は何度かくりかえされており,
その都度村高は増加(打出し)させられる。
→検地で課税可能額の把握を強化


追記,追記で私自身はわかっても,
読む人にはわかりづらくて,すみません。

天正八年帳には,
「畠の年貢額集計に銭が用いられている。」
という点から,
貫高制・石高制とか,経済の変化,
なぜ,銭から米になったのか・・・とか
気になるのですが,
テーマが大きすぎて,すぐに理解できそうもありません。

とりあえず,ここでこのタイトルを終わろうかと思います。
自分なりに勉強になりました。



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寛政年間の伊津浦・室津漁場論

2019-10-30 11:55:45 | 古文書
先日(10月25日),久しぶりに室津へ。
たつの市立室津海駅館と室津民俗館で
今,特別展「道としての瀬戸内海」をやっています。

でも今日は,
室津民俗館の古文書について

室津民俗館は,屋号を「魚屋」といい,
江戸時代には苗字帯刀(豊野家)を許され,
姫路藩の御用達をつとめた豪商の遺構です。
・・・とホームページにあります。

そこに展示されていたものの1つに,
「漁場紛議御裁許請書写」がありました。

「瀬戸内海は,陸の人口に比して海が狭いため,
 漁場や魚資源がかぎられ,さまざまな問題が生じた。
 その一つに漁場争いがあった。」
と解説にありました。

寛政4年(1792年)に伊津浦(現在のたつの市御津町岩見)の漁師が,
隣村室津村(たつの市御津町室津)を相手取り,
漁場を妨げられ,難儀していると奉行所に訴えたのがおこり。
寛政10年(1798年),この裁許状により,
伊津浦と室津村の漁場境域がきめられ,
漁場紛争は解決。

その「漁場紛議御裁許請書写」が下の写真です。




このほかにも,
この争いの途中で作られたものであろう文書が2点。
この2点から,絵図もあったであろうことがわかるのですが,
今はもうないのか,
展示されていないだけなのかは,わかりません。

きっと,このような裁判は,江戸時代には,山のようにあったのでしょう。
そういえば,かつての特別展で,
(たつの市立室津海駅館「特別展 江戸庶民の旅~金毘羅参りと室津」 2015年)
室津の人が,金毘羅参りや上方への客を網干などにとられて困る,
と訴えた文書があったのを覚えています。

江戸時代だから,このような裁判が成り立ち,
解決したのですね。

以前読んだ本郷和人氏の『武士とはなにか』
によると,
室町時代(6代将軍義教)では,所領をとられても,
「それは間違いなく,あなたの所領です。」
と幕府法廷は認めてくれるが,
それだけで,
横領した者に罰を与えて退去させるなり,他の土地を与えるなどしない。
(『武士とはなにか』44ページ)
それもとられたのは,幕府直属の奉公衆なのです。

伊津浦と室津村の件は,江戸時代の庶民です。

そういうふうに見ても,
古文書はおもしろい。

ちなみに,室津民俗館の職員さんによると,
今も室津と岩見の境に石が埋まっていて,
潮が引いた時は,石の上部が海面に出て来る,
と言われている,とのことです。



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救出された屏風の下張り文書(2009年台風9号)

2019-10-21 07:28:59 | 古文書
前ページ「下張り文書」と多少重複しますが,
こちらは,NHK古文書解読実践コース第2回の
「あなたの声」

先日,兵庫県立歴史博物館で「下張り文書の世界」という展示を見ました。
下張り文書の説明や
下張り文書のはがし方なども写真パネルつきで解説されていました。
また,
「2009年台風9号の際に兵庫県佐用町で被災した家から救出された屏風」
も展示されていました。
(この台風は8月に上陸。
 気象庁のホームページによると,
 「死者25名,行方不明者2名となり,
  特に,兵庫県佐用郡佐用町では死者18名,
  行方不明者(状況不明も含む)2名」となっています。
 うちの主人もたった1日ですが,仕事の関係でボランティアに行きました。
 友達の息子さんは(当時高校生)
 ちょうど夏休みだったこともあり,
 高校の生徒会で何日かボランティアに行ったと聞きました。)
(  )は「あなたの声」には書いていません。

その屏風の下張り文書には,
「播磨国佐用郡大谷五左衛門家文書」のうちの
「中川宮家令日記断簡」(中川宮家の家政職員が作成した日記)
(文久3年(1863)~元治元年(1864)ごろ)もありました。

「小松帯刀」や「島津大隅守殿」「大久保一蔵」などの名前が書かれています。
(島津には「殿」がついている。)
「幕末京都の政治情勢を記録する文書が,
 どのような経緯で下張りに利用されたのかは,
 今のところ分かっていません。」
と解説に書かれていました。

この文書の内容も価値もわからなかった大谷五左衛門さんの子孫が
下張りにしちゃったのでしょうか?
でも,下張りになったから残ったのかもしれませんね。

以上,「あなたの声」でした。




写真は,「播磨国佐用郡大谷五左衛門家文書 中川宮家令日記断簡」の一部です。
(前ページの写真と同じです。)
この写真の範囲には,「大久保一蔵」は載っていません。


全く関係ありませんが,
今日,明日は魚吹八幡神社の祭りです。
お天気が心配です。



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