「読書メーター」より
網野善彦『無縁・公界・楽』
この本が歴史学の新しいページのスタートのような気がします。
30年余り前,先輩が「これは歴史ではない。」と言った本(この本は増補版ですが)です。
しかし,いつのまにか,網野さんは歴史学においてすごい存在になっていました。
再読して,しみじみと思いました。
清水克行『大飢饉,室町社会を襲う!』
最近読んだ藤木久志氏の本といい,清水克行氏の本といい,
かつて私が抱いていた中世の民衆像を打ち砕いてくれたように思います。
中世の民衆は,荘園領主と守護大名を手玉に取って,要領よく,賢く生きていたというイメージがありました。
(30年以上前の学生時代のことですが。東大出版会の『一揆』のシリーズを読んだりしてね。)
飢饉,飢餓,疫病・・・。
女の子がいい・・・だって,売れるでしょ?有力者の愛人にできるもん。
男の子?間引きましょうか?
庶民にとって「お腹がいっぱいになる」いえ,「生きる」のが大変な時代なんですね。
さらに,
歴史とは何か・・・と思った本2冊
(ただし,それぞれ市沢氏・川合氏が書いている一部しか読んでいません。)
市沢哲編『太平記を読む』 2008年 吉川弘文館
市沢哲「太平記とその時代」
太平記は「史学に益なし」なのか。
『平家物語』は平家の滅亡と源頼朝の勝利をなすべくしてなった,必然的なものとして描いており,
中世史研究をリードした石母田正氏の領主制理論まで強い影響を与えた。
(川合康氏指摘)
歴史的結果を必然視する史観は『太平記』にも見いだせる。
だからといって明治時代の歴史学者久米邦武(くめくにたけ)が言ったように
「『太平記』は史学に益なし」か?
川合氏が文書史料だけでは十分に明らかにできない
中世の戦争の様相を『平家物語』を引用してヴィヴィットに描き出したように,
『太平記』も時代が移り変わるダイナミックな史料として
文書や記録史料にない歴史的価値を持っている。
『太平記』と文書・記録史料などを組み合わせ,
歴史的な結果からの遡及によって見失われた『太平記』の時代のダイナミズムについて考えたい。
というわけで,
川合康氏の本へ
川合康編『平家物語を読む』 2009年 吉川弘文館
川合康「平家物語とその時代」
安元(あんげん)3年(1177年)の政変
→『平家物語』の「鹿ケ谷事件」として理解されている内容を含んでいる。
これは,
清盛の権力を「おごり」に満ちた専制的権力として印象付けるために語られた「物語」
比叡山延暦寺の衆徒と後白河院の近臣勢力の激しい政治対立のなかで,
清盛が上洛して行った軍事介入。
つまり,
『平家物語』は「盛者必衰のことはり」から,
平家一門の滅亡を必然視して,
治承・寿永の内乱史を再構成している。
市沢氏・川合氏の本は,歴博当番の空いた時間にざっと読んだだけです。
両氏の本も
呉座さんが紹介してくれた網野氏・藤木氏・清水氏の本も
中世の歴史の見方にかかわる本だと思います。
難しいことはよくわかりませんが,
歴史も歴史学も変わるのです,ね。
PS.NHK「歴史のへーほー」おもしろかったですね。(8月16日放送)
歴史も歴史学も変わるんです。
30年前の教科書との比較。
(「士農工商」は今はないのですね。
明治になってから,いかに江戸時代の身分制は厳しかったか
・・・というためにつくられたとか・・・。)
淀殿,日野富子・・・
(「英雄たちの選択」でも
日野富子が昔とはずいぶん見方が変わったのだと思っていました。)
さ,『応仁の乱』読み直すぞ!
(8月18日追記)
網野善彦『無縁・公界・楽』
この本が歴史学の新しいページのスタートのような気がします。
30年余り前,先輩が「これは歴史ではない。」と言った本(この本は増補版ですが)です。
しかし,いつのまにか,網野さんは歴史学においてすごい存在になっていました。
再読して,しみじみと思いました。
清水克行『大飢饉,室町社会を襲う!』
最近読んだ藤木久志氏の本といい,清水克行氏の本といい,
かつて私が抱いていた中世の民衆像を打ち砕いてくれたように思います。
中世の民衆は,荘園領主と守護大名を手玉に取って,要領よく,賢く生きていたというイメージがありました。
(30年以上前の学生時代のことですが。東大出版会の『一揆』のシリーズを読んだりしてね。)
飢饉,飢餓,疫病・・・。
女の子がいい・・・だって,売れるでしょ?有力者の愛人にできるもん。
男の子?間引きましょうか?
庶民にとって「お腹がいっぱいになる」いえ,「生きる」のが大変な時代なんですね。
さらに,
歴史とは何か・・・と思った本2冊
(ただし,それぞれ市沢氏・川合氏が書いている一部しか読んでいません。)
市沢哲編『太平記を読む』 2008年 吉川弘文館
市沢哲「太平記とその時代」
太平記は「史学に益なし」なのか。
『平家物語』は平家の滅亡と源頼朝の勝利をなすべくしてなった,必然的なものとして描いており,
中世史研究をリードした石母田正氏の領主制理論まで強い影響を与えた。
(川合康氏指摘)
歴史的結果を必然視する史観は『太平記』にも見いだせる。
だからといって明治時代の歴史学者久米邦武(くめくにたけ)が言ったように
「『太平記』は史学に益なし」か?
川合氏が文書史料だけでは十分に明らかにできない
中世の戦争の様相を『平家物語』を引用してヴィヴィットに描き出したように,
『太平記』も時代が移り変わるダイナミックな史料として
文書や記録史料にない歴史的価値を持っている。
『太平記』と文書・記録史料などを組み合わせ,
歴史的な結果からの遡及によって見失われた『太平記』の時代のダイナミズムについて考えたい。
というわけで,
川合康氏の本へ
川合康編『平家物語を読む』 2009年 吉川弘文館
川合康「平家物語とその時代」
安元(あんげん)3年(1177年)の政変
→『平家物語』の「鹿ケ谷事件」として理解されている内容を含んでいる。
これは,
清盛の権力を「おごり」に満ちた専制的権力として印象付けるために語られた「物語」
比叡山延暦寺の衆徒と後白河院の近臣勢力の激しい政治対立のなかで,
清盛が上洛して行った軍事介入。
つまり,
『平家物語』は「盛者必衰のことはり」から,
平家一門の滅亡を必然視して,
治承・寿永の内乱史を再構成している。
市沢氏・川合氏の本は,歴博当番の空いた時間にざっと読んだだけです。
両氏の本も
呉座さんが紹介してくれた網野氏・藤木氏・清水氏の本も
中世の歴史の見方にかかわる本だと思います。
難しいことはよくわかりませんが,
歴史も歴史学も変わるのです,ね。
PS.NHK「歴史のへーほー」おもしろかったですね。(8月16日放送)
歴史も歴史学も変わるんです。
30年前の教科書との比較。
(「士農工商」は今はないのですね。
明治になってから,いかに江戸時代の身分制は厳しかったか
・・・というためにつくられたとか・・・。)
淀殿,日野富子・・・
(「英雄たちの選択」でも
日野富子が昔とはずいぶん見方が変わったのだと思っていました。)
さ,『応仁の乱』読み直すぞ!
(8月18日追記)