ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

神戸開港150年記念特別展「開国への潮流」:神戸市立博物館・・・プチャーチン&「将軍の港」

2017-08-26 10:46:42 | 日記 博物館・美術館...
8月18日,神戸市立博物館に行ったことはすでに書きましたが,
特別展のことは後回しでした。

神戸開港150年記念特別展「開国への潮流」

すべて書くと長くなるので,
私がびっくりしたというか,恥ずかしながら知らなかったため,
へ~と思った2点を中心に

1つ目がプチャーチン
開港というと誰もがまず,ペリーを思い浮かべると思います。
でも,ほぼ同時期,ロシア使節プチャーチンが日本に来ていました。
ペリーの浦賀は1853年6月,プチャーチンの長崎は7月(山川日本史による)

ちなみに,プチャーチンは長崎・箱館を経て,
1854年9月,大坂湾に現れます。
大坂の支配を司る大坂城代は直ちに近隣の諸大名や蔵屋敷に命じて守備にあたらせます。
大坂町奉行らはロシア側との交渉にあたります。
(ちなみに,今までオランダ語で交渉していたと思われていたようですが,
 神戸市立博物館に残る史料には,「露西亜船渡来一条書類」
 当初より漢文の筆談を中心に身振り手振りで交渉していたとあります。
 そして,都合が悪くなると,言葉が通じないふりをしていた・・とか。)
これを契機として,朝廷は対外的危機感を強め,
幕府も今まで重視してこなかった大坂湾の防備強化に取り組む必要に迫られたそうです。

安政の五か国条約,兵庫開港5年間の延期決定等を経て,

1864年,将軍徳川家茂の2回目の上洛。
1年前の上洛は物資等の輸送は蒸気船が使われ,将軍は陸路。
しかし,2回目の上洛は将軍自身も蒸気船で上洛へ。
将軍は5か月あまり畿内に滞在しますが,その間,上洛艦隊が駐留したのが兵庫。
1866年の第2次長州征討では,幕府の兵員,物資の蒸気船隊での輸送基地となります。
幕府にとって,大坂の外港にすぎなかった兵庫港が,
将軍の上洛の艦隊の駐留や将軍の戦争を支える幕府直轄港・幕府海軍の拠点,
すなわち「将軍の港」へと港湾としての性格を変えたことを意味するのです。

坂本龍馬・勝海舟で有名な神戸海軍操練所が神戸にあった理由がやっとわかりました。


長くなりました。
「兵庫」「神戸」については,諸説あるそうですが,
ブラタモリでも,やっていましたね。

最後に
ちょっと・・・恥ずかしいですが,

開港されて10ヶ月たったころ,すでに明治
五代友厚が小松帯刀に送った書状が展示されていました。
「え?五代さま(頭に浮かぶは,ディーンフジオカの顔:朝ドラ「あさが来た」)が
 小松帯刀(頭に浮かぶは,瑛太:大河ドラマ「篤姫」)に?」と思ってしまいました。
図録を買ったので,これからしっかり書状を読みます。



コメント (6)
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