神殿の儀式(endowment)が新年早々(2日水曜)、言葉(せりふ)の変更があったとソルトレークトリビューン紙が伝えている。女性に優しく、女性の立場を尊重するように変更されたと言う。例、サタンよりエバの発言の方が多くなった、夫の言葉に従います、「ハイ」の部分が消えた、ベールをかぶることが求められなくなったなど。儀式全体にかかる時間も短縮されている。詳しくは、
「LDS教会、神殿の儀式に変更を加える」参照(英文)
記者は Peggy Fletcher Stack, David Noyce
Jana Riess 女史が今回の変更について、理知的、穏健な調子で整理し、分析している。しかし、これまで辛い思いをしてきた女性たちとこれから儀式を受ける次世代の女性たちのために、変更についてまとめ、認識してもらう必要があると、具体的に語りかけている。
大管長会は今回の変更について、1月2日、内容にふれず簡潔に10行ほどの声明を発表している。
「神殿関連の大管長会声明」(日本語)
エンダウメントの儀式を始め、神殿で行なわれる儀式について、口外してはならない、と指示されているが、今回変更の持つ大きな意義から、儀式を受けた者が匿名で上記記者らに伝えたものである。J. リエスが言うように、変更の効果を明確に反映させるために、主要な変更点について会員が認識するには、具体的に伝える必要がある、という考えに同感である。とにかく、2日以来アメリカのインターネット上のサイトは、この話題で持ち切りである。
アメリカの国会図書館でしたか?
著作権を保護するために記録されているので誰でも見ることができると聞きましたが、そのうち公になることでしょう。
私は首チョンパの儀式を受けていた世代ですので。あの頃から比べればずいぶん穏やかになっているのでしょね。
しかし、そのエンダウメトってアダムの時代からあった儀式が回復されたはずなのに、同一性の保持って観点からするとどうなんだろうなぁ。
女性に優しく、女性の立場を尊重するように変更されたと言う。 サタンよりエバの発言の方が多くなった、夫の言葉に従います、「ハイ」の部分が消えた、ベールをかぶることが求められなくなったなど。
良いと思います。(エンダウメントは古代から存在したにせよただそれだけのもので)もとより権能を授かったJSが形式を創作して主に承認をもらったようなものと認識していますので、同じ権能で人権時代に即した変更が加わるのはむしろ好ましいことだ。
ご自分が何か指摘されたら怒りだすのに、他人には上から目線でコメントするってどうなんですか?
このブログの読者にとってもう少し意義あるところになって欲しいと思います。
あれは、橙(だいだい)ですよね。
先祖代々にかけて、縁起物として飾られてます。
昆布にしても、カズノコにしても、お正月の料理にも、それぞれの意味合いが有ります。
儀式と言うものは、その一つ一つに意味が有って成り立っているものですね。
神殿の儀式も同じで、モルモンの教義に関する重要な意味合いが有って、成り立っています。
ですから、その儀式が変わると言う事は、教義が変わると言う事では無いでしょうか?
モルモンの教義が不変ではなく、幾度も変わってきたことは、教会内外の知る所となっています。
今回の改定で、モルモンの中での、女性への考え方、教義が変わったのだと、思います。
真理とは過去も現在も未來も変わらない知識だったはずなんですけど・・・
天地は過ぎ行くともわが言葉は過ぎ行くことなくして成就すべし・・・だったはずなんですけど?
もとよりJSは自分の教会は自分の代で完成など言ってませんし、代々預言者も完成させたなど言っていませんので、今でも未完成なのは仕方のないことでしょう。
むしろ内村鑑三の方が、神の目から見て、真実まことを言い表していたりして。
物事が明らかになることにより、良いものに流動的ならば、歓迎でしょう。
女性に関する教義が変わったというよりは、教義のように思われてきたものが廃れて、教義に近づいたということであって、そういう認識が持てない教会員は辛いでしょう。
そうです。
だから教会の教えが変わっているということは・・・そういうことなんです。
潔くその事実を受け入れることで心が穏やかになると思います。