2010年12月中国の「黒竜江外国語学院」(当時ハルピン師範大学恒星学院)で「日本事情」の授業を担当した時に扱った内容をここに掲載する。2年前であったが、現在でも通じる内容であると思う。授業ではパワーポイントで中国語も交えて提示した。(以下は一部改訂したもの)。
両国の主張
中国の見方
1)釣魚島は中国が明朝あるいはそれより早く先に発見した。
2)清朝は既に釣魚島に対して実質支配をしていた。1895年日本が領土に編入したと言っていることについて、中国外務省は声明で、日清戦争の混乱の中で「不法に盗み取った」と日本の中国侵略の歴史と結び付けて説明している。(2番目の文は2012/09/13 朝日社説)
3)1971年12月30日中華人民共和国外交部は釣魚島の主権領有を声明で発表。1979年小平が「争議を棚上げにし、共同共同開発する」案を提出した。
4)周恩来や小平の「争いは棚上げに」を外交方針の基本にしてきた。しかし、国有化に踏み切った日本政府は、パンドラの箱は開けないという暗黙の了解を破ったもの。(2012/09/15 朝日林望)
日本の見方
1) 日本は1879年琉球藩を廃止し沖縄県と改称した際、尖閣諸島を沖縄県の管轄下に置いた。
2) 1895年日本は尖閣諸島がどの国にも属していないことを確認し、領土に編入した。(2012/09/13 朝日社説)
3) 1971年日米が沖縄返還協定に調印した際、日本がサンフランシスコ講和条約第三条で米国に渡した島嶼が返還されることになり、尖閣諸島も日本の領土に併入された。
4)日本は上の4)に対し、尖閣は日本の領土であって、領土問題は存在しない。国有化は政府が所有することで尖閣を巡る状況を安定的に管理できるという立場。
参考
1. Economist誌「中国が尖閣諸島を正式に統治したことは今まで一度もない。」 http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120829/236131/
2. 元外務省国際情報局局長の孫崎享 中国の歴史から見ると「すでに14世紀にはその軍事力が尖閣諸島一帯に及んでいたという史実がある」 http://aresoku.blog42.fc2.com/blog-entry-2674.html
争点
1 誰が最初に発見し、実効支配をしたか
2 1895年の日本による尖閣諸島編入の有効性(甲午戦争/日清戦争終結時)
3 第二次世界大戦の戦後処理の妥当性
連合国と日本との戦争状態を終結させた日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)の有効性 [この条約締結の場に中華人民共和国はいなかった]
註 2について日本は無主地を先占したと考える。
1978年10月23日 中国副首相・小平
「確かに尖閣諸島の領有問題については中日間双方に食い違いがある。国交正常化の際、両国はこれに触れないと約束した。今回、平和友好条約交渉でも同じように触れないことで一致した。中国人の知恵からしてこういう方法しか考えられない、というのは、この問題に触れるとはっきり言えなくなる。こういう問題は一時棚上げしても構わない、次の世代は我々より、もっと知恵があるだろう。皆が受け入れられるいい解決方法を見出せるだろう」 (日中平和友好条約の批准書交換のため訪日した時に日本記者クラブで行われた会見で語った。)
問題の背景
1969年および1970年に国連が行った海洋調査では、推定1,095億バレルという、イラクの埋蔵量に匹敵する大量の石油埋蔵量の可能性が報告された。
1970年以前に用いていた地図や公文書は、両国とも日本領であると認識していた。米国の施政時代にも米国統治へ抗議したことはない。日本国内では中国と台湾地区が尖閣諸島の領有権を主張し始めた動機は海底油田の可能性が高い と見る。
2010 日中船隻衝突事件
2010/9/7中日船隻衝突事件
海上保安庁,中国漁船の船長を逮捕 中国は「巡視船が中国漁船に」、日本は「中国漁船が巡視船に」当たってきたと主張。(私は授業でビデオを見たが漁船の方から当たってきた、と説明。)
9月8日,中国大陸で民间人が首都北京でデモ行進
9月24日,日本側は中国の船长を釈放すると発表。
デモが中日双方で(中国では四川省成都市、陝西省西安市、浙江省杭州市、河南省鄭州市などで)
領有権争いが東シナ海、南シナ海でも生じている(地図を提示)
「中国はノーと言える」の著者楊恒均の提言 (杨恒均のブログ 2010/10/9 )
1 釣魚島事件に関して責任は日本側にある
2 しかし、近隣諸国や世界の国々の人心を失う恐れがあり、世界が中国に「ノー」と言う時代が来る
3 重要なのは中国のソフトパワーを強め、国際的な影響力を増すこと
4 ソフトパワーは強硬な姿勢と手段に勝る。われわれは世界を敵にまわすことができようか。むしろソフトパワーこそが世界を征服できる。
結語
1 中日問題解決は人民の手中に。国家と国民は分けて考える。
2 歴史問題/政治関連の事柄に影響されない
(関心・観察は持つ)
3 情報は複数の情報源から。自分で十分知る(見極める)までは結論(断言)は差し控える、(結論は出さない)、聴いたことは一つの情報として心に留める
4 極端に片寄らず冷静に
5 今後の中日関係は?
継続発展していく。但し教科書にあるように不安な要素多く予断を許さない
6 事実をもって後世の人に警告し、歴史を見て人類平和、知恵と進歩を想起させ、生じた悲劇を繰り返させない。(ハルピン毒ガス製造の七三一部隊址に掲げられていた言葉)
何名かの学生が、両国間の微妙な問題にも正視する機会が得られた、従来中国人の眼中には片面だけの視点しかなく、日本を深く理解し得なかった、という感想を寄せた。・・現在は開戦を懸念するほど双方譲らず緊迫していて、上記の内容はそれに応えきれていないかもしれない。しかし、まとめておく必要性を感じて自らのためにも掲載する次第である。
追記、領土はニ国間の国力の相違が大きく、片方が国内問題で阻止できない時などに奪取/喪失が生じる。昔、中国が東北を日本に占領された経緯・背景がまさにそうであった。今は逆の状況。
参考 「尖閣諸島問題 日本の領有は歴史的にも国際法上も正当」 共産党資料 http://www.jcp.or.jp/seisaku/2010/20101004_senkaku_rekisii_kokusaihou.html 大変詳細 (この項2012/09/13記入。)
両国の主張
中国の見方
1)釣魚島は中国が明朝あるいはそれより早く先に発見した。
2)清朝は既に釣魚島に対して実質支配をしていた。1895年日本が領土に編入したと言っていることについて、中国外務省は声明で、日清戦争の混乱の中で「不法に盗み取った」と日本の中国侵略の歴史と結び付けて説明している。(2番目の文は2012/09/13 朝日社説)
3)1971年12月30日中華人民共和国外交部は釣魚島の主権領有を声明で発表。1979年小平が「争議を棚上げにし、共同共同開発する」案を提出した。
4)周恩来や小平の「争いは棚上げに」を外交方針の基本にしてきた。しかし、国有化に踏み切った日本政府は、パンドラの箱は開けないという暗黙の了解を破ったもの。(2012/09/15 朝日林望)
日本の見方
1) 日本は1879年琉球藩を廃止し沖縄県と改称した際、尖閣諸島を沖縄県の管轄下に置いた。
2) 1895年日本は尖閣諸島がどの国にも属していないことを確認し、領土に編入した。(2012/09/13 朝日社説)
3) 1971年日米が沖縄返還協定に調印した際、日本がサンフランシスコ講和条約第三条で米国に渡した島嶼が返還されることになり、尖閣諸島も日本の領土に併入された。
4)日本は上の4)に対し、尖閣は日本の領土であって、領土問題は存在しない。国有化は政府が所有することで尖閣を巡る状況を安定的に管理できるという立場。
参考
1. Economist誌「中国が尖閣諸島を正式に統治したことは今まで一度もない。」 http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120829/236131/
2. 元外務省国際情報局局長の孫崎享 中国の歴史から見ると「すでに14世紀にはその軍事力が尖閣諸島一帯に及んでいたという史実がある」 http://aresoku.blog42.fc2.com/blog-entry-2674.html
争点
1 誰が最初に発見し、実効支配をしたか
2 1895年の日本による尖閣諸島編入の有効性(甲午戦争/日清戦争終結時)
3 第二次世界大戦の戦後処理の妥当性
連合国と日本との戦争状態を終結させた日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)の有効性 [この条約締結の場に中華人民共和国はいなかった]
註 2について日本は無主地を先占したと考える。
1978年10月23日 中国副首相・小平
「確かに尖閣諸島の領有問題については中日間双方に食い違いがある。国交正常化の際、両国はこれに触れないと約束した。今回、平和友好条約交渉でも同じように触れないことで一致した。中国人の知恵からしてこういう方法しか考えられない、というのは、この問題に触れるとはっきり言えなくなる。こういう問題は一時棚上げしても構わない、次の世代は我々より、もっと知恵があるだろう。皆が受け入れられるいい解決方法を見出せるだろう」 (日中平和友好条約の批准書交換のため訪日した時に日本記者クラブで行われた会見で語った。)
問題の背景
1969年および1970年に国連が行った海洋調査では、推定1,095億バレルという、イラクの埋蔵量に匹敵する大量の石油埋蔵量の可能性が報告された。
1970年以前に用いていた地図や公文書は、両国とも日本領であると認識していた。米国の施政時代にも米国統治へ抗議したことはない。日本国内では中国と台湾地区が尖閣諸島の領有権を主張し始めた動機は海底油田の可能性が高い と見る。
2010 日中船隻衝突事件
2010/9/7中日船隻衝突事件
海上保安庁,中国漁船の船長を逮捕 中国は「巡視船が中国漁船に」、日本は「中国漁船が巡視船に」当たってきたと主張。(私は授業でビデオを見たが漁船の方から当たってきた、と説明。)
9月8日,中国大陸で民间人が首都北京でデモ行進
9月24日,日本側は中国の船长を釈放すると発表。
デモが中日双方で(中国では四川省成都市、陝西省西安市、浙江省杭州市、河南省鄭州市などで)
領有権争いが東シナ海、南シナ海でも生じている(地図を提示)
「中国はノーと言える」の著者楊恒均の提言 (杨恒均のブログ 2010/10/9 )
1 釣魚島事件に関して責任は日本側にある
2 しかし、近隣諸国や世界の国々の人心を失う恐れがあり、世界が中国に「ノー」と言う時代が来る
3 重要なのは中国のソフトパワーを強め、国際的な影響力を増すこと
4 ソフトパワーは強硬な姿勢と手段に勝る。われわれは世界を敵にまわすことができようか。むしろソフトパワーこそが世界を征服できる。
結語
1 中日問題解決は人民の手中に。国家と国民は分けて考える。
2 歴史問題/政治関連の事柄に影響されない
(関心・観察は持つ)
3 情報は複数の情報源から。自分で十分知る(見極める)までは結論(断言)は差し控える、(結論は出さない)、聴いたことは一つの情報として心に留める
4 極端に片寄らず冷静に
5 今後の中日関係は?
継続発展していく。但し教科書にあるように不安な要素多く予断を許さない
6 事実をもって後世の人に警告し、歴史を見て人類平和、知恵と進歩を想起させ、生じた悲劇を繰り返させない。(ハルピン毒ガス製造の七三一部隊址に掲げられていた言葉)
何名かの学生が、両国間の微妙な問題にも正視する機会が得られた、従来中国人の眼中には片面だけの視点しかなく、日本を深く理解し得なかった、という感想を寄せた。・・現在は開戦を懸念するほど双方譲らず緊迫していて、上記の内容はそれに応えきれていないかもしれない。しかし、まとめておく必要性を感じて自らのためにも掲載する次第である。
追記、領土はニ国間の国力の相違が大きく、片方が国内問題で阻止できない時などに奪取/喪失が生じる。昔、中国が東北を日本に占領された経緯・背景がまさにそうであった。今は逆の状況。
参考 「尖閣諸島問題 日本の領有は歴史的にも国際法上も正当」 共産党資料 http://www.jcp.or.jp/seisaku/2010/20101004_senkaku_rekisii_kokusaihou.html 大変詳細 (この項2012/09/13記入。)
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