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「神はかつて我らの如く、我らはいつか神の如くならん」について

2012-09-21 22:07:24 | モルモン教関連
今日この教えを末日聖徒はどう受けとめているのだろうか。ブリガムヤング大学の哲学教授ジェームズ・E・ファウルコナーは、ほとんどのモルモンは現在この教えをあまり重視していない、考える人がいるにしてもその考え方は多様である。一部のモルモンはその教えとそこから引き出される考えを全て受け入れているわけではないし、その一切を信じていない人もいる、と述べている。

彼によると、この教会の会員はそれほど神学に拘泥しない人たちである。多くの思慮ある末日聖徒がそう見ており、彼自身も同意見である。ある考え(ここでは「神がかつて人であり云々」)を受け入れるかどうかは我々次第である。

三人のモルモンを取り上げてみると次のようになる。一人は19世紀に教えられていたことをそのまま信じており、もう一人は、神は決して人ではなかった、しかし、我々は神の恵みを豊かに受けて(ヨハネ17:20-23, ローマ8:17にあるように)神のようになることができると信じている。そしてあと一人は神がかつて人であったとも我々が神々になれるとも信じていない。

ファウルコナー教授は、こう結ぶ。我々が集う教会の指導者(監督)が尋ねるのは、私たちがモルモン教会で理解されているキリスト教徒としての生活を送っているか否かである。彼が知りたいのは、われわれが神と自分の家族、そして教会に対して結んだ誓約を守っているかどうかであって、私たちが頭の中で思索している中味ではない。

(これはニューヨークタイムズに掲載されたサイモン・クリッチリーの文に応えてファウルコナー教授が2012/09/19ブログに書いた記事の要約である。http://www.patheos.com//Mormon/Public-Conversation-about-Mormonism-James-Faulconer-09-20-2012

なお、「神がかつて人であった・・」という考えについて、ヒンクレー大管長はタイム誌のインタビューワーに「教会がそのことを教えているかどうか知らない。強調しているかどうかも分からない。公けの説教でそのことが話されるのを長い間聞いていない。」と答えている(タイム誌1997/08/04号p. 56。三番目の文はネット上の他のソースによる)。


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4 コメント

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神は人間のなれの果て ()
2012-09-25 09:58:41
日本では人間が神になることのさほどの抵抗は無い。

天神様は菅原道真ですし、日光東照宮に祭られてるのは徳川家康。各神宮には歴代の天皇が神として祭られてます。靖国神社の御神体は戦争で無くなった英霊。

唯一神信仰はキリスト教の特徴でしょうが、旧約聖書では、神はイスラエル民族の守護神であり、人類共通の神とはされていない。

創世記では、神と人間のハーフが生まれてますしね。

キリスト教で、人間だったイエスを無理やり神に格上げしてしまったもので、その後のつじつまあわせで、「唯一神」と言う概念が生まれたんじゃないですかね??

神のグローバル化ですかね??

人間が神になると言う教義はそれほど奇異にも思えませんが。
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畏れ多い / みな成仏 (NJ)
2012-09-25 20:36:17
至高神を信じるキリスト教信者にとっては畏れ多い考えだと思います。

「日本では人が神になるという考えに抵抗がない。」仏教でいう成仏の考えですね。煩悩、生死などの束縛から解放された仏。昨日、近くのお寺で行なわれた法話を聞きました。優れた納得のいく説教でした。
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教義ではなく生活のあり方 (オムナイ)
2012-09-26 00:28:33
私自身は「神はかつて我らの如く、我らはいつか神の如くならん」と19世紀に信じられたように信じていますが^^;

しかし、モルモンの教えを伝えたいと思うのは「真実の教義」ではなく、

幸福の探求の教えかなと感じてます。

多くの興味本位の求道者は、救いに至る特権としての真実を聞きたがりますからね。。伝えたいところまで話が続かない。。

たとえ信じようとする望みを持つだけでもよい。(アルマ書)
のですが。。

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言いかえれば (nj)
2012-09-26 09:25:06
なるほど。おっしゃること良く分かります。ファウルコナー教授の引用最後の部分に通じますね。暖かい解説有難うございます。
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