どう受けとめたものかよく分からない、不思議な記述のひとつにヤコブがヤボク川の河岸ペヌエルで神(神の使い?)と取っ組み合いをして負かすという物語(創32:23- )がある。以前にも取り上げたが、改めて整理して置きたい。考えられる解釈・説明を列記する。
1 文字通り「何者か」「その人」(25, 26, 27, 28, 29a節)を「人」と取り、29bと31節の「神」をその字のとおり「神」と受けとめる。(同じ相手を二通りの呼び方をしていることや、29節で「神と人と」と並記されていることについての疑問はここでは問わない。)
BYUの故E.ラスムッセン教授は、ヤコブが組うちしたのは「神から権威を与えられた『人』で、ヤコブはこの夜の経験をするうちに『神と顔と顔を合わせる』示現を見た」と折衷・調整的な注釈をつけている。
2 多くの注解書は相手を「神の使い」としている。
3 天使あるいは妖怪の類か。アラビア語のジン( الجن jinn, genie)、精霊、魔神のような存在、または悪霊、悪魔的な存在と考える。
4 その考え方が変形して「悪魔」とするに至る(プロテスタントに見られる)。
5 デンマークの宗教史学者ヨハネス・ペデルソンは、ヤコブの一行が旅をしてきて越境しようとする不法行為に対して、その地の守護神が水際で阻止しようと迎撃したのではなかったか、と言う。山形孝夫はこの解釈であればなるほどと思われると紹介している。
山形は比較宗教学や宗教史的方法の成果を積極的に取り込もうとしなければ、聖書学は学問としての普遍性と説得力を失う、と言う。そのように努めないと、護教主義的教団神学の袋小路に追い込まれることになると見る。
参考にした文献:
Ellis T. Rusmussen, "A Latter-Day Saint Commentary on the Old Testament." 1993, Deseret Book
佐藤優、中村さくら「聖書を読む」2013年、文芸春秋
山形孝夫「治癒神イエスの誕生」2010年、ちくま学芸文庫
当ブログの参考記事:
2012.04.28 神話研究の貢献、山形「治癒神イエスの誕生」を読んで
私は、アブラハムの拝んだ神、イサクの拝んだ神、ヤコブの拝んだ神はそれぞれ別だったのではないかと思っています。
そもそも、アブラハム、イサク、ヤコブは、親子孫ではなく、それぞれ独立した別の部族の族長だったのではないかと思っています。
それは、旧約聖書の中で、それぞれが個別に神と契約を交わしているからです。
もし、「アブラハムの子孫が祝福される」「と言う契約が有れば、このスレッドで触れられている、ヤコブの契約と改名は必要ない話です。
唯一神信仰と言うのは、実はもっと後の時代に形成されたもので、この時代には、その土地の神で在ったり、その部族に神だったのではないでしょうか?
ヤコブは、「そこの土地の神と相撲を取って勝った、」のではないかと思います。
自分の部族の神は、自分たちにとって神ですが、他の部族や土地の神は、倒すべき邪神だったのではと思います。
その土地の神を倒すというのは、その土地を手に入れる、と言う事でもあったのかと思います。
全て憶測ですが。
歴史ミステリー 相撲は古代イスラエルの神事だった
4600年前のメソポタミア文明の遺跡から、こんな青銅器が発見されている。
壺を頭にかぶった力士の姿だ。
出雲では、古墳時代の須恵器で相撲に関係するものが出土していた。
そこには、青銅器と同じようにやはり壺と力士が飾られていたのである。
聖書の中には、シュモーという言葉が何度も出てくるのだ。
シュモーとは、イスラエルの祖であるヤコブを指す言葉だった。
そして聖書には、ヤコブが天使と相撲をしたという記述がある。
天使は相撲でヤコブには勝てず、相撲がイスラエルという国の名が作られるきっかけとなったのである。
つまり、相撲は古代イスラエルにとって重要な神事だった事が分かる。
さらに驚くことに、ハッケ、ヨイとは「投げつけよ、やっつけよ」というヘブライ語だったのである。
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日ユ同祖論的ですが。。5に近いのでしょうか。
どちらにしても創世記を纏めた人々も、神話化していて伝説の代表的な物語を載せたように映ります。