少し前、このブログのコメント欄で「覆う」と「防ぐ」(ジョセフ・スミス訳、略してJST)を比較検討する議論が交わされた。
結論から言えば、原語のギリシャ語も、背後にあると考えられる箴言10:12のヘブライ語も「覆う」(英語ではcover over)であり、どちらの聖句も罪が「あった」ということを前提としている。それで「愛は罪を犯すのを防ぐ」というJSTの表現は、聖典の本文としては考えにくい。
以下、具体的に見ていくと、「覆う」のギリシャ語はκαλύπτω(カリュプト-)で「包む、隠す、覆い隠す」を意味し、ヘブライ語はやはりכָּסָה (カ-サ-)で「覆う、隠蔽する、圧倒する、許す」を意味している。JSTのように罪を犯すのを「防ぐ」(prevent)ものは、「強い意志や堅固な道徳観」が考えられ、既に生じた罪を包み込む(覆う)のは「愛」の方がしっくりするのではないだろうか。
なお、箴言10:12の対句は次のとおり。
「憎しみは、争いを起こし、
愛はすべてのとがをおおう。」(口語訳)
JSTによる改訂は一部、発想の転換のようなところがある。例えば、創世記6:6で「主は地上に人を造ったことを悔やみ(repent)、心を痛められた」とあるところを、「ノアは悔やみ心を痛めた」と主語を変えている(JST 8:13)。神が悔い改めるはずはないという考えからである。
ちなみに「愛は罪を覆う」のカリュプト-の部分、諸訳は「包む、隠す」(cover over)の意に訳しているが、新英語聖書(REB)はcancel 「取り消す、帳消しにする」、リビングバイブル(日本語)は「補う」、現代中文訳文は「消除」としている。
註解書ではケンブリッジ聖書が、この cover は文脈から「赦して、露わにしない」と理解し、箴言の対句前半と対照的でよく合う、と書いている。結局、「覆う、cover」は「包み込む」とも表現できるように、「愛」は包容力、寛容の度量をもって罪を中和し溶かすということではないだろうか。
「それでも、彼は罪を犯してきた。しかし、まことに、わたしはあなたがたに言う。主なるわたしは、わたしの前に自分の罪を告白して赦しを求める者たちで、死に至る罪を犯していない者たちについては罪を赦す。
8 昔のわたしの弟子たちは、互いに機をうかがい合い、またその心の中で互いを赦さなかった。そして、この悪のゆえに彼らは苦しめられ、ひどく懲らしめられた。
9 それゆえ、わたしはあなたがたに言う。あなたがたは互いに赦し合うべきである。自分の兄弟の過ちを赦さない者は、主の前に罪があるとされ、彼の中にもっと大きな罪が残るからである。
10 主なるわたしは、わたしが赦そうと思う者を赦す。しかし、あなたがたには、すべての人を赦すことが求められる。
11 あなたがたは心の中で言うべきである。すなわち、「神がわたしとあなたの間を裁き、あなたの行いに応じてあなたに報いてくださるように」と。
12 また、自分の罪を悔い改めず、それを告白しない者を、あなたがたは教会員の前に連れて来て、戒めによろうと啓示によろうと、聖文があなたがたに言っているとおりに・・・
」64
罪には攻撃(誘惑)となってくるみたいな要素も大有りでしょうか・・、で以て、
ニーファイのでは
「27 またわたしの肉のことで、どうして罪に負けてよいだろうか。まことに、どうして誘惑に負けて、悪しき者がわたしの心に入って、わたしの平安を破り、わたしの霊を苦しめるのを許してよいだろうか。わたしが敵のことで怒りを抱くのはなぜなのか。
28 目覚めよ、わたしの霊よ、もはや罪の中でしおれるな。喜べ、おお、わたしの心よ。もうわたしの敵に場所を与えてはならない。
29 わたしの敵のことで二度と怒ってはならない。苦難のために力を弱くしてはならない。
30 喜べ、おお、わたしの心よ。主に叫び求めて言え。「おお、主よ、わたしはとこしえにあなたをほめたたえます。まことに、わたしの神であり、わたしの救いの岩であるあなたを喜びます。
31 おお、主よ、わたしを贖ってください。わたしを敵の手からお救いください。わたしが罪の兆しに震えおののくようにしてください。
32 わたしの心は打ち砕かれており、わたしの霊は悔いていますので、地獄の門がいつもわたしの前に閉じていますように。おお、主よ、わたしが低い谷の道を歩み、しっかりと平坦な道を進むことができるように、わたしの前で義の門を閉ざさないでください。
33 おお、主よ、あなたの・・
」2ニファイ4
兆しのところの参照欄から
「12 そして彼らは、聖霊によって聖められ、衣を白くされ、神の御前に清く、染みのない状態になったので、罪を見て忌み嫌うのを禁じることができなかった。このように清められて、主なる神の安息に入った人々は大勢おり、非常に多くの数に上った。
13 さて
」アルマ13
「12:9 愛には偽りがあってはならない。悪は憎み退け、善には親しみ結び、
」ローマ人
これらからすると、”前もって防ぐようにする”みたいな意も充分あるのかなと・・・その意味でJSTではとらえているとも解せるのかなと・・
少なくとも清濁併せ吞むみたいなのとは違ってくるんでしょうか・・
>「愛」は包容力、寛容の度量をもって罪を中和し溶かすということではないだろうか。
愛は罪を中和する!
素晴らしいです。
>「愛は罪を犯すのを防ぐ」というJSTの表現
に近い聖書の言葉ですとこんな箇所ですかね。
ローマ13:10
愛は隣り人に害を加えることはない。だから、愛は律法を完成するものである。
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2015年9月29日にアメリカ合衆国でレビュー済み
私は約20年前に著者からこの本のコピーを受け取り、それを熱心に研究しました。Kindleで毎週日曜日に教会に持っていくことができるようになったことをうれしく思います。著者は、いくつかのタイプの翻訳エラーを明確に説明し、例を示します。彼はさらに、ジョセフ・スミス訳(JST)が、KJVでは不完全だったヘブライ語の詩的な形式をどのように完成させるかを示しています。しかし、私が本当に好きなのは、この翻訳によって新約聖書だけで復元された481の明白で貴重な真理のリストです。変化はより強力なキリストを示しています。例えば、御霊はイエスを神殿の頂点に連れて行きます(悪魔ではありません)。また、ローマ人への手紙第3章16節で、パウロは聖徒が信仰と働きによって正当化されると説明しています(信仰だけではありません)。
この本は、481の明白で貴重な真理のリストに従うことによって新約聖書の研究を支援し、この翻訳が神からの霊感を受けた翻訳としてサポートされているさまざまな学術的方法の理解に真剣に役立ちます。
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この本は、JSTが解説であるかインスピレーションを得たコンテンツであるかという質問に答えるための新しいアプローチを提供します。
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早速ダウンロードしました。
第1ペテロには5箇所の変更点がある様です。
1:11 預言者たちは、どのような方法で救いが来るのかを知ろうと探究しました。
2:12 NO 行動(会話ではなく)は正直であるべきです。
4:2 NO 苦しんでいる人は、罪をやめるべきです。
4:6 PE 人は死後、神の意志にしたがって霊として生きる。4:8 NO 慈愛は多くの罪を防ぐ(覆うのではない)。
>翻訳ですか?それとも単なる解説ですか?
オムナイとしての個人的な結論は翻訳でも解説でもない。
ジョセフ・スミスのKJVの解釈だと思います。
https://www.churchofjesuschrist.org/study/history/topics/joseph-smith-translation-of-the-bible?lang=jpn
こうした変更を加えるに当たり,ジョセフは多くの場合,聖書学者による信頼に足る注釈を参考にしたと思われます。
当時教会の大管長であったブリガム・ヤングは,自身で原稿を確認する機会はなかったものの,その霊感訳版の正確性に懐疑的である旨を表明しました。
https://www.churchofjesuschrist.org/study/manual/revelations-in-context/joseph-smiths-bible-translation?lang=jpn
彼はギリシャ語やヘブライ語の原典を調べたり,新しい英語版を作るために用語集を使ったりしたのではありません。むしろ出発点として欽定訳聖書を使い,聖霊に導かれるままに追加や変更を行いました。
しかし,翻訳は教義と聖約の内容を形成したという点で,教会に大きな影響を与えました。現在の教義と聖約の半分以上はジョセフ・スミスが聖書の翻訳の作業をしていた3年間の間に受けた啓示からなっています。
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ふむふむ。つまりJS聖書の翻訳は教義と聖約に深い影響を与えているわけですね。
NJさんのFBでこれがアダム・クラークの聖書註解ということを知りました。
Clarke On The Whole Bible: Adam Clarke's Bible Commentary (English Edition) Kindle版 365円です。安w
購入した後に無料のサイトも発見しました。
https://www.studylight.org/commentaries/eng/acc.html
https://ja.melayukini.net/wiki/Adam_Clarke
このアダム・クラークさんメソジストの牧師さんで、奴隷制度廃止運動の支援をしていたようです。
ジョセフ・スミスもメソジストに傾倒していたしたし、奴隷制度廃止派だった様ですから、影響があったのでしょうか。
「32 わが子よ、わたしがあなたに語ってきた言葉を覚えておきなさい。あの秘密のはかりごとをこの民に明らかにすることなく、罪と悪事を永遠に憎むことを教えなさい。
」アルマ37
オムナイさん、どうもっす・・たまWEB的にJST、浸み込むように吸収してるかもです・・
またギリシア語原典質問が・・
「柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう
」マタイ5
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%9F%94%E5%92%8C%E3%81%AA%E4%BA%BA%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AF%E3%80%81%E3%81%95%E3%81%84%E3%82%8F%E3%81%84%20meek&ei=UTF-8
この’柔和な’には原典で、鞘・さやにおさめられた剣といった意味合いがあるそうなんですが、そのへん解説をばお願いでっつ・・
以下別サイトから引用
この新しい土地へ、明治十四年に上野の建物から移って、新しく、より大きな養育院をたてました。
ところがこの大きくなった養育院を見た東京府の議員たちのなかに、養育院を廃止しろ! という人がでてきたのです。
いちばん、はげしく廃止をとなえる議員に、栄一は会いました。
「私のしている福祉事業に、ご理解いただけないのですか。どこが悪いのか、ご指摘ください。」
と、栄一は、たずねました。
「渋沢さん。よく考えてください。
養育院のようなものは、働かなくても生きられることを教えるもので、なまけものをつくることになりませんか。
このような事業に、お金を使うよりも、もっと大切な仕事に使ったほうがよい、と思ったからです。」
議員は、顔を真っ赤にして、栄一にいうのでした。
「では、おたずねしますが、養育院のどこに、なまけ者がいるのでしょうか。
この施設にくるまでは、生活につかれきって、自殺をしようかと思っていた人たちが多いのです。
でも、この施設にきてから、やっと、気持をとりもどして、仕事をさがしている人もいるのです。
そのほかに、身寄りのないお年寄りがいます。捨て子もいます。病人もいます。
この人たちを救わねば社会のためによくないのです。」
栄一は、ゆっくり、かみしめるように、いいました。
「渋沢さん、社会のためによくない、とは、どういうことなんですか。」
議員は、むすっとして、栄一に、ききかえしました。
「それは、社会全体からみますと、貧乏のために、社会に害を加えるおそれのある人は、あまり悪くならないうちに救ってあげなければなりません。
衣・食、たりて礼節をしる、という中国の言葉は、ごぞんじだと思います。
この、衣・食・住に困っている人を救いあげるのです。
ただ、いっときの同情や博愛主義で、救いの手を、さしのべるのではありません。」
議員は栄一の言葉に、こんどは、うなずくようになりました。
栄一は言葉をつづけました。
「この人たちを救うのは、社会の安全を守るためなのです。
犯罪の統計を見ますと、犯罪の原因はほとんど、貧乏からきています。
その証拠には、お米の値段があがると、犯罪がふえています。それは生活が苦しくなるからです。
といいますのは、犯罪は社会がつくりだしたことになるのです。
ひとたび犯罪がおきますと、罪人はなかなか、もとにもどりません。
警察や刑務所の負担がそれだけ、多くなるのです。
罪人をださないようになることは、道徳のうえからも、社会政策のうえからも、得策ではありませんか。」
議員は、だまってしまいました。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/denki4/sibusawa3.htm#13
弱者救済な方なんですね。
近代史って中高でほとんどやらないので、渋沢栄一って誰?って感じでした。
大河ドラマもあまり見てませんが、戦国時代からせいぜい維新の時代が多かった様に思います。
渋沢栄一さんの名言に心惹かれました。
https://iyashitour.com/archives/26617
「一人ひとりに天の使命があり、その天命を楽しんで生きることが、処世上の第一要件である」
むむ、オムナイの天命はなんじゃろか?
楽しんで生きてはいるような気がするような、しないような。
ジョセフ・スミスは明るい性格だったみたいですね。
イエス様も。
おお!理解分かち合っていただきたいです。
>「柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう
>この’柔和な’には原典で、鞘・さやにおさめられた剣といった意味合いがあるそうなんですが、
ほうほう。武士は実際にはほとんど刀を抜かなかったそうですが、平和主義者とか専守防衛的な意味もあったのでしょうか。
「弱者を救うのは、健全な社会の為に必要である」と言うところが今の日本に必要な考えかと思います。
我も富み、人も富み、しかして国家の進歩発達をたすくる富にして、はじめて真正の富と言い得る。
- 渋沢栄一 -
オムナイさん、自分だけ儲けててはダメですよ!
D&C104:18
それゆえ、わたしの造った豊かなものの中から取りながら、
わたしの福音の律法に従って貧しい者や乏しい者に物を分け与えることをしない者は、
悪人とともに、地獄で苦しみながら見上げるであろう。
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情けをかけるのは隣人のためだけでなく巡り巡って自分のためでもある。
情けをかけるのは人を甘やかすことに通じて結局その人の為にならない。
聖典の意味は全て前者の方で、黄金律でもありますね。
奉献の律法。しかし人間の欲なのか貪る性なのか成功せず。
全ての人が理想的な人であるなら成り立つのでしょうね。
過保護なのか弱者救済なのか、人の心と実態は見えませんからね。なかな難しいですね。
持続化給付金。。。なにに使ったんだっけ?