クリスマスの楽しい雰囲気に水を差すようであるが、キリスト降誕の物語りについて現代人としての理解を持つことも自然なことであると思い、敢えて降誕物語り成立の背景を記しておきたい。
マルコになかった降誕物語りがマタイの最初の2章に、次いでルカの第2章で短く紹介される。十字架後、イエスが救い主であると気づいた弟子たちが回顧的解釈を施し、福音書記者がイエスの誕生を神のひとり子の地上降誕にふさわしい、宇宙大の『大きな』物語りとして彩色し、それが不思議物語りとして伝承されてきたのである。
福音書の中で先行したマルコによる福音書にイエスの誕生や幼少時代の部分が欠落しているので、マタイとルカはその空白を補う物語りとして後から添加した。「聖書を読み解く」を書いた山形孝夫は、伝承物語りは後になればなる程、空白部分や最も興味を引く部分が彩色され、加筆され、明細化されていくという(宗教人類学的視点)。
それでもクリスマスの物語は、そういうことがあったかもしれない、救い主の地上降臨の意義は大きく重要なもの、その誕生は喜ばしく祝福すべきものと受けとめ、あまり詮索することなく祝えばよいのだろう。それが良識ある大人のとる度量であり作法であると思う。
参考・山形孝夫「聖書を読み解く-- 物語りの源流をたどって-- 」2007年
・大貫隆「隙間だらけの聖書--愛と想像力のことば--」1993年
・大貫隆「イエスという経験」2014年
・当ブログ 2013.07.07 「モルモン教における回顧的方向の補充 -- 福音書における回顧的補充との比較」
新約聖書を集めたて編集した人々は矛盾をあえて、そのままにしているように私には感じられます。
そこに誠実さを感じるというか現代の人々が古文書をあつめて昔の人々は「こう考えていたかも」という発掘作業をやるように、
紀元後100年くらいにもやっていたのかなと。
日本だと明治維新の英雄伝的な回顧録ですかね。
>あまり詮索することなく祝えばよいのだろう。それが良識ある大人のとる度量であり作法であると思う。
共感します。
諸般の事情がりまして、当ブログ書き込みを自粛しております。
さはさりながら、当ブログの記事は時に気になることも有りまして、私の掲示板にて勝手にネタにさせて頂くことにしました。事後承諾お願いします。
尚、当方の掲示板に来ていただいても、全くもてなしは致しませんので、ご容赦ください。
メリークリスマス (七面鳥でなくて良かった 豚)
「サンタクロース」
サンタクロース採用試験?と言うのが有るらしい。
サンタクロースと言う子供の夢を壊してはいけない。と言う事をよく聞きますが、これって子供の夢なんでしょうか?
子供は、サンタさんを待ってるのではなくて、持ってくるプレゼントを待ってるように思います。
子供はいつも現実的で、実利的に思えます。
そう考えると、サンタクロースって言うのは、子供の夢じゃなくて、大人の願望じゃないかなって思えてきます。
「子供はこうあって欲しいっ・・・」って言う大人の夢じゃないですかね?
聖書のイエス誕生物語も、子供の夢じゃなくて、大人が自分たちの都合で作り上げた物語に過ぎません。
イエスの神格化、神の裁きと救済、救い主の死と復活などの物語を「信仰」と言う名の思い込みを補強させるために次々と生み出した。
イエスの誕生ではなく、イエスの「誕生物語の誕生」なんでしょう。
ただ、大人が夢を見ることは悪い事では無いと思います。
キング牧師の見た夢は、未だに夢に過ぎませんが、すごくすてきなゆめでした、今も多くの人々が夢に見ています。
現代では、探査機「はやぶさ」がもたらした宇宙の夢が、子供も大人もその心を明るくしています。
一方では、自分たちだけが裕福に生きようと言う悪夢が世界中に広がっています。
この悪夢は、覇権と言う悪夢と共に、戦争を起こし、飢餓を招き、地球さえ滅ぼすことに成るかもしれません。
科学技術が発達し、世界中の人々が平和に協力し合えば、もっと楽しい夢が見れると思います。
今、子供も大人も、もっともっと良い夢を見るべきだと思います。
http://www2.ezbbs.net/16/darebuta/
「世界的な新型コロナウイルス感染拡大が続く中、公認サンタとしての活動も例年通りにいかなくなった。「11、12月の土日のスケジュールがこんなに何もなく、家にいていいのかな」
こういう御時勢だよね
先日、うちのワードでも『聖しこの夜』を歌ったのですが、よくよく考えると変なんですよね。
だって歌詞には
Round yon virgin mother and Child.
ってあるじゃないですか。
モルモンの教義では、マリヤと天父との間の生まれたまぎれもない実際の子供であり、それ故に両者の肉体上の特質を引き継いでいる、だから死ぬこともでき、甦ることもできた、つまり復活が可能になったと言うことになっています。
だったら virgin mother じゃないよね!?
クリスマスに教義的に間違った歌を歌うのはやめてね!
実際には「教義」ではありませんね。
https://www.fairmormon.org/archive/publications/did-god-have-sex-with-mary
末日聖徒イエス・キリスト教会の批評家は、末日聖徒イエス・キリスト教会が神がマリアとセックスをしてイエスを受胎させたと信じていると主張することがあります。
これは単に真実ではありません。
教会員の中にはイエスの受胎について推測したことがある人もいるかもしれませんが,
教会はこの出来事に関する教えを持っていませんでした。このことは,
ハロルド・B・リー大管長がユタ州ローガンの兄弟に宛てて書いた手紙を見れば簡単にわかります。
・・・
わたしたちは,教会の教師の中には,立証できない教義を教えたり,
主が実際に言われたことを超えたコメントをしたりすることに執着している人がいるように思われることを非常に心配しています。
あなたは救い主の誕生の無原罪の受胎について質問されました。
神と救い主の母との間の「性交」について話したことは一度もありません。
主がほとんど語られていないこの問題について,教師たちが賢明に語るならば,ルカ1:34-35に記録されている言葉だけで,
この問題についての議論を休ませるでしょう。
"マリアは天使に向かって言った、『私は人を知らないので、これはどうでしょうか』。
天使は答えて彼女に言った、『聖霊があなたの上に臨み、最高の力があなたを覆うであろう。
無原罪の受胎をもたらした方は神のお方であったことを覚えておいてください。
彼の目的を達成するための方法を疑う必要はありません。
イザヤ書55:8-9の言葉を思い出してみましょう。
"わたしの思いはあなたがたの思いではなく,あなたがたの道もわたしの道ではない。
主は仰せられます。"私たちは天が地よりも高いので、わたしの道はあなたの道よりも高く、
わたしの考えはあなたの考えよりも高いのです。
www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。
以下のサイトではまことしやかに末日聖徒イエス・キリスト教会の教義について解説されていますが、単なる個人の見解であり、教会の「公式な」立場を表明するサイトではありません。
↓
>https://www.fairmormon.org/archive/publications/did-god-have-sex-with-mary
このサイトを紹介した人物は、モルモン批判があると「それは公式ではない」「あれは公式ではない」とやたら、公式、公式、言ってきた過去があります。
しかしモルモン護教する立場にまわると今度は自分が公式でないサイトを引用する厚顔無恥さ。だから私は敬意を込めて、この人をコリホルちゃんとおよびしております。モルモン会員のお手本みたいな人ですね。
十二使徒ブルース・R・マッコンキーは説明を加えています。
「この言葉のそれぞれが文字通りのものである。ただひとつ、意味するものはただひとつである。父であるということの意味するものは父であるということでしかない。子であるということの意味するものは子であると言うことでしかない。キリストは、死すべき人が死すべき父に寄って生まれるのと同じ方法で、不死不滅の神を父としているのである」(Mormon Doctorine,1979,P546 邦題『モルモンの教義』)
「キリストはこの聖なる存在である方の文字通りの子としてこの世に生まれ出たのである。彼は死すべき父によって生まれた死すべき全ての人と同じような個性、実体、そして文字通りの感覚を持って生まれたのであり、彼の父系についてはなんら比喩的なものは存在しない。イエスは父の普通で自然な行為と手法で受胎したのである。・・・キリストは『人の子』であり、その意味するものは彼の父(永遠の神!)は聖なる人であると言うことなのだ」(同書`P742)
https://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/0fbf264a301ab14881b738daf89cee1c
多くの教会員の間で広く用いられてきたマッコンキーの「モルモンの教義」(英文、デゼレト出版)が絶版になった。
表向きの理由は売れ行きが悪くなったとしているが、全般的に大変保守的で、
問題となった箇所が含まれているため、新しい時代にそぐわなくなったためと見られている。
書名も教会の教義であるという印象を与えたので、
広く用いられ引用されて教会の公的な見解であるかのように受けとめられてきた。
ーーー
ちょっと待って (NJ)
2010-05-25 20:48:17
あの本はマッコンキー個人の見解であり、絶版はデゼレト出版の判断であって、教会は説明の必要がないと思われます。
臭いのではなく、一部というか少なからず誤っている箇所があると見なされているのです。
現在の信徒が受けとめている教義そのものは、現在および今後の世代にとって受け入れられるもので、
くさってなんかいません。言葉が過ぎないようご注意を!
ーーーー
https://www.fairmormon.org/answers/Question:_Do_Mormons_believe_that_Mary_was_still_a_virgin_when_Jesus_was_born%3F
・・
教会の重要な公式の教義は、イエスは文字通り神の子であり(つまり、これは象徴的または比喩的な表現ではありません)、
マリアはキリストの受胎の前後で処女であったということです。
・・
マッコンキー長老は彼が強調した理由を次のように説明しています。
「私たちの主は、これまでに処女に生まれた唯一の死すべき人です。
なぜなら、彼は不死の父を持った唯一の人だからです。
彼の母親であるメアリーは、「霊に流された」(1ニーファイ11:13-21)。は、
聖霊によって「影が薄く」なり、「聖霊の力によって」起こった概念は、文字通りの個人的な父なる神の御子を生み出しました。(アルマ7:10; 2ネ。 17:14;イザ7:14;マット1:18-25;ルカ1:26-38)
キリストは聖霊の子ではなく、父の子です(救いの教義、第1巻)。 pp。18-20。)処女の誕生を否定する現代的な教えは、
完全にそして完全に背教的であり、誤りです。[5]
マッコンキーは、キリストの神性の文字通りの性質、父からの彼の直接の降下、
そして聖霊が道具であったが、イエスの神の親子関係の源ではなかったという事実を強調したことに注意してください。
・・・
英語版も、ビーハイブ出版による日本語版も両方!
特に日本語版の翻訳陣は圧巻ですね。
●潟沼潤
●潟沼誠二(2018年瑞宝中綬章、元北海道教育大学教授)
●倉林活夫
●高木信二
●沼野治郎(!)
●馬場恵一
●望月孝則
●山本顕一郎
・・・末日聖徒人物伝に登場するそうそうたるメンバーが1998年に翻訳、出版しています。
そもそも『モルモン教義』の著者は末日聖徒たちが全会一致で、預言者・聖見者・啓示を受ける者として支持した十二使徒であるブルース・R・マッコンキー長老が霊感を受けてまとめた著作。そんじょそこらの馬の骨モルモン会員の妄言とは雲泥の差なのです。
さて『モルモンの教義』から「神の御子」の項を読んでみましょうか。
-------------------------------
父なる神は完成され、栄光を受けた聖なる人であられ、不死不滅のお方である。そして、キリストはこの神聖なお方の文字通りの息子として、この世に生まれてこられた。キリストは普通の死すべき体の息子が死すべき体の父親に生まれるのと同じように個人的、現実的、字義的な意味で、お生まれになった。神がキリストの父親であることに、何も比喩的なことはない。キリストは正常で自然な過程によって生を受け、胎に宿され、誕生されたのである。彼は神の御子であられ、その称号は文字通りの意味を持っている。
-------------------------------
この部分、翻訳者のSTのイニシャルが記されているので高木信二兄弟の翻訳ですね。自然で読みやすい文章ですね。オムナイくんの deepl翻訳とは比べ物になりませんなぁ。
教会の資料集なんかろくすっぽ読みもしないオムナイくんと違って勉強熱心な末日聖徒のみなさんなら、教会の公式発行している「現行の」資料集においても、そこかしこに『モルモン教義』(Mormon Doctrine)からの引用があることはご存じだと思います。
「あれは公式のものではない」「あれは個人的意見だ」「あれは今の時代にそぐわない」などは真実を指摘されて返答に困ったペテン師の言い訳に過ぎないのです。