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[3行目に並行文が見える]

タイトルの「読む者は理解しなさい」のように、英訳聖書のletを用いた文はヘブライ語、ギリシャ語とも命令形の訳であることが調べて解った。(Facebook のあるグループに書き込んだのと同じ主旨。そこでlet は「その意志・希望のある人に・・させる」という自発的意味が含まれるように訳すのが正しくて、命令の表現は不適切ではないか、という意見が出たのでその逆であることを確認したもの)。

BofMは聖書(KJV)の表現がよく出てくる。この「読者よ、悟れ」(Matt 24:15) もその例で、釈義のためには聖書の並行文に注目する必要が出てくる。それが元の文で、意味もそれに基づくと考えられるからである。let him understand はギリシャ語一語νοείτωで、命令法で、邦訳は正しいということになる。マタイの後続16, 17, 18節でも let が出てくるが、命令法で、英語で読んでも自発的な動きとは文脈から取れず、(例、v.16そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ)、むしろ使役、三人称に対する命令と読める。

事実、英語でも let にはallow の意のほかに、一人称・三人称の目的語を伴う命令法があり、Let every man do his duty. 「皆各自の義務を果たすべきである」のような例がある。従って、英語の用法から言ってもKJVの訳は間違っていないということになる。

ただ、言語の意味は流動的で、let は「その意志のあるひとに・・させる」、という意味がこんにち一般的になっていると思われる。そこで聖典の読者は原語にいかないまでも、複数の翻訳を参照することが次善の方法であるということになる。今回の let の場合、改訂英語聖書(REB)ではMat 24: 17, 18 で must not と禁止の命令に訳されている。16節はThen those who are in Judaea must take to the hills. と must で訳出している。

旧約聖書でも有名な創世記冒頭の「光あれ」let there be light の下線部は יְהִי[iehi:]で未完了態の短形が使われていて、命令の意である。同じ形が6, 9, 11と続く。

いずれにしても、日本語訳聖書は大変原文に正確に訳されていることを認識すべきである。英語圏、ドイツ語圏などに劣らぬ聖書学、聖書原語把握のレベルに達している。(むしろ1611年訳の欽定訳英語聖書の方に問題が指摘されている。)参考にはなるが、英語聖書(KJV)を最終的な正しい翻訳のように有難がってはならない。

参考
・A.E.Kautzsch, ed., “Gesenius’ Hebrew Grammar” (A.E.Cowley, 2nd Eng. Edition, Oxford University Press, 1963)
・小辻節三「ヒブル語原典入門」ヒブル語研究同志会、1965年。
・玉川直重「新約聖書 ギリシャ語独習」友愛書房、1966年
・C. Wilfred Griggs & Randall Stewart, “Learn Greek through the New Testament.” The Interlinguistica Series, BYU, 1981, p. 56にギリシャ語で3人称の命令法は、let him, let them のように翻訳される、とある。




コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
Unknown (教会員R)
2016-10-07 01:11:11
よく分からないなりに解説を基に考えてみたのですが、著者が本当に言いたかったニュアンスとして、(読者よ、悟れ)というよりも(あなたにその気があれば理解できますよ)と言いたかったのでしょうか。
 
 
 
日本語で読むと (NJ)
2016-10-07 09:59:57
そのニュアンス、雰囲気は文学的には理解できますが、マタイ24:15の場合、その文脈を考えるとギリシャ語の文法から来る解釈(命令)がやはり自然ではないでしょうか。

というのは、ダニエル書の「荒らす憎むべき者」が迫ってくれば(終わりの時、あるいはひどい迫害が迫れば)、それを避けるためすぐ行動に移れ!その兆し、時期に気が付くようにしなさい、という警告であり、促しであると思います。

BofMの場合、激しい破壊を目の前にして、類似の場面を想い起こさせる聖句を引用したものと思われます。
意味はやはり気が付きなさい、と語りかけているのだと思います。
 
 
 
勝手にしやがれ! ()
2016-10-07 13:16:52
言葉としては命令形でも、実際には命令でないことが多々あります。

「かってにしやがれ」って言うのは、命令形ですが、この事がは「勝てにしてもいいよ」と言う許可を意味します。

聖典に出て来る、預言者の言葉も、命令ではなく、「強調」の為に命令形を使用しているのではないでしょうか?

ま、こんな事は説明するまでも無く、「押して図るべし」なんでしょうが?
 
 
 
Unknown (教会員R)
2016-10-07 13:24:27
英文中にLetを見ると煙に巻かれたように思考が停止してしまいます。 

たとえばビートルズの"Let it be(ありのままに)"とアナと雪の女王の"Let it go(ありのままに)"が、正反対の意味であるということなど、殆どの日本人は解説してもらわないと知りようがないことです。

https://www.jukucore.jp/difference-between-let-it-go-and-let-it-be/

前者が、アーメンに近くて、後者が、神も親も関係ないみたいなニュアンスがあると最近知って驚きました。

一昔前の日本の教会内には、英語がアダム語に最も近いから祝福されていて、日本語はサタン語に最も近いから駄目なのだという、都市伝説があって、もうひとつが口語訳聖書はもっぱらジョセフスミスが使ったKJVを元にして翻訳されているから日本語の聖書の中で口語訳が最も優れている。というのがあって(そしてどちらともフェードアウトした)ようけれども、

最近でもたまに信じてる人がいて、日曜学校で堂々と言うものですから、それは都市伝説ですよとせっかく教えてあげても感謝されずに、見解の相違に摩り替えられて閉口してしまいました。

教会員も切れ者になって来るほど聖書やモルモン書の英文を引用する傾向があるみたいですけれども、教える教師の根底にそういう、信奉みたいなものがあるのでは、やっぱりこまりものです。

日本語訳聖書もなかなか侮りがたい部分もあるのを聞いてうれしく思いました。 

そろそろ日本の教会内を精査して、これこれは正当なモルモンの教義、これこれは時代を反映した訓戒のたぐいで、これこれは諸説あって議論中のトピック、これこれは単なる都市伝説であると分類する時期になってきたと思います。 
 
 
 
聖書にも反語表現、興味ある都市伝説 (NJ)
2016-10-07 23:22:33
豚さん 
聖書にも反語表現など修辞技法が出てきて、本文の額面通りの意味とは限らないことがあります。出エジプト3:11 「わたしは何者でしょうか」は質問の形ですが、断りの意味であることが文脈から解ります。let の場合も含めて、文脈や読解の常識を活用すべきであることはもちろんだと思います。

教会員Rさん 
Let it be. と Let it go. の例を示してくださって、勉強になりました。実は、少し気になっていた表現でした。また、英語(KJV)や口語訳聖書に関する都市伝説のような考えについて知りませんでしたので、参考になりました。自分で十分調べないで、この種の話を受け入れている人が案外いるのは、困ったものだと思います。

都市伝説に類するものを分類する時期ではないか、とのご意見に興味を覚えます。今の自分には、二三資料を提供するくらいしかできませんが。
 
 
 
完全な書物 ()
2016-10-11 09:53:07
>英語(KJV)や口語訳聖書に関する都市伝説のような考えについて知りませんでしたので、参考になりました。


私は都市伝説じゃないと考えます。
今ではモルモン書は「もっとも正確な・・・」にトーンダウンしてますが、昔は「完全な・・・」だったのです。

完全な書物と同じ言葉が出て来る、聖書が有れば、「その聖書こそが正しい翻訳」とするのは当然の事です。

その考えが有るからこそ、現在新しく原文に正確な日本語訳の聖書が出ているにも関わらず、日本のモルモン教会は、口語訳聖書を使わざるを得ないのです。

もし、他の翻訳聖書を使用すれば、モルモン書が神から直接与えられたと言う事、又ジョセフが聖書を引用したのではなく、古代の記録から翻訳したのだと言う事を否定することに成ります。

現在教会本部、預言者は、ジョセフが聖書から引用したとは認めていませんから。

もちろん、自分勝手に、その様な解釈を展開して、何の根拠も無く主張するのはその人の勝手ですが。
 
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