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[Marie Kent による]
少し前から気づいていたことであるが、「救いの計画」(Plan of Salvation) は優れて末日聖徒らしい神学(考え方)である。福音の教義クラス19課の題が「救いの計画」でちょうど取り上げられているので、今学んでいる。
救いの計画は短く言えば、人は現世に来て経験を積み成長を遂げて、来世に向かう、現世は試しの境涯である、というものである。大変分かりやすく、改宗者の多くの心をとらえてきた。(ただ、これは一面的に表現したもので、実際はイエスの贖いを含み広く、深く様々に説明される)。そして、よく知られた「人が存在するのは喜びを得るためである」という言葉がある。また、勝利を漂わせたキリスト論*とも相まって、LDS教会はアメリカに生まれた明るい神学を擁し、積極的姿勢を教徒の間に育んできた。
救いの計画に含まれた概念は聖書に見出だされるもので、全く新奇なものではない。ただ、聖書に「救いの計画」という言葉は出てこないし、また、意外にも末日聖典でもこの表現はBofMに3回、高価な真珠に1回しかなく、D&Cには出てこない。
ジョセフ・フィールディング・スミス編「ジョセフ・スミスの教え」1976年(英文)、B.R.マッコンキ―「モルモンの教義」、「モルモニズム百科事典」には紙幅が割かれ解説されている。
*勝利を漂わせたキリスト論。当ブログ 2008.07.22 「末日聖徒のキリスト論」
私は個人的には悪くない考え方だと思います。それなりに体系化されていますし、人生の意義、神と人間の関係、なぜ生と死があるのかなど誰もが持つ疑問に明快な回答を与え、受け止め方によっては希望や生きる力を与えるものだと常々思っています。
ただ、これをキリスト教の本質だとか聖書とも合致していると言い張るのでしたら、それはLDS教会がキリスト教に受け入れられない大きな理由になるだろうなと思います。
でもそれが悪いと私は思いませんけれども。
受け入れられなかったとしても、それを信じているのなら堂々と語り、世に広めればいいのではないかと思うのです。
直接書かれてなくても救いの計画は、聖書にも色々と合致しているため、もしかしたらキリスト教の仲間であると認めてもらえたかも知れませんね。
少なくとも外典であるアダムの遺訓(エチオピア版)にはアダムが神になれると読める聖句も確認されているわけだし、盲点であってもそういう説教はありだろうと思います。
三位一体等のせいでキリスト教とは認めがたいモルモンが言うのであざけりの対象になってしまって、残念に思います。
又、モルモン教会が占有する「神権」の儀式が救いに不可欠、とされる点は、既存のキリスト教が認めがたいのは当然でしょう。
モルモン教がキリスト教に融合するには、かなり高いはドルになるでしょうね。
神とキリストが現れて「全ての教会は間違っている」と告げ、そしてジョセフにより真のキリスト教会を設立(回復)した、というわけですからね。キリスト教会に受け入れられるワケがありません。逆の立場で考えればお分かりいただけると思います。
でも、それはそれとして、モルモンの救いの計画が聖書解釈の一つとして有り得るかどうかという点に関しては、私は興味深いと思います。ただこれも伝統的なキリスト教には受け入れられないでしょう。理由は、
1.聖書に部分的にモルモンの「救いの計画」と一致する記述があるとしても、全体的なテーマと合致しない。
2.モルモンの「救いの計画」自体が後からいろいろ拡張されてどこまでが本質かわからない。
それぞれの詳細は長くなりますので割愛させていただきます。
『救いの計画』はキリスト教とは異なる認識を持ちつつ、LDSとしてその人生観で喜びを見出し、誇りを持たれるのががよろしいのではないかと、私は思うのです。
モルモン教会が既成のキリスト教会に受容されてなくて残念だとは、言ってませんよね。
教派間の聖書解釈が現状でバラバラであるなら、(聖霊の導きによって)読者が聖書から救いの計画を読み取っても(当然伝統的ではないのは当然です)おかしくはないし、そのようなメッセージがもっと世界に普及したかも知れないのに、そうならなかったのが残念だというのが、主旨なんですけど。
問題は、「一般の人に受け入れられない」事です。
もし、モルモンの教義を一般の人がこぞって受け入れたなら、モルモンは、既存のキリスト教にすり寄る必要は無くなる。
モルモンの幹部が、「一般の人に受け入れられないのは、キリスト教じゃないと思われているからだ」と言う、全く方向違いの認識をしているから、「モルモンもキリスト教だ」と言う発言を繰り返すんです。
長年モルモンとして生きてきて、組織の運営にかかわってきた人たちは、「モルモンは神の教会で有り、絶対的に正しい教義を持って居る」との固定概念から抜け出せないので、世の中か受け入れられないのを、相手方のせいにする。
メーカーで、「自社の製品が売れないのは、消費者が悪い」と考える会社が有れば、必ず倒産します。
自分たちの教義が世の中の趨勢に有っていないのを認識しないで、既存のキリスト教の責任のように言うのは、今も昔も同じかと思いますね。
>他人の発言の意図をずらされるのは気持ち悪いし、意図をずらすのはマナーとしてどんなもんでしょうね。
R様の発言の意図は私には良く分かりません・・・私に忖度の能力が足りないのかも知れませんが、あなたの意図を汲んであなたの気にいる発言ができなかったとしても何とぞご容赦いただきたくお願いいたします。
私もしばしば話の腰を折られたなぁと思う事がありますが、まぁしかたないかとあきらめています。
>モルモンの幹部が、「一般の人に受け入れられないのは、キリスト教じゃないと思われているからだ」と言う、全く方向違いの認識をしているから、「モルモンもキリスト教だ」と言う発言を繰り返すんです。
なるほど、そういう事ですかね。
ところで21日の重大発表というのが何なのか気になります。発表がありましたらぜひ教えていただきたいです。
モルモン教会が既成のキリスト教会に受容されてなくて残念だとは、言ってませんよね。
教派間の聖書解釈が現状でバラバラであるなら、(聖霊の導きによって)読者が聖書から救いの計画を読み取っても(当然伝統的ではないのは当然です)おかしくはないし、そのようなメッセージがもっと世界に普及したかも知れないのに、そうならなかったのが残念だというのが、発言の主旨でした。
クリスチャンがほとんど誰も受けつけ不能な教理ならモルモン教会はジョセフスミスと家族とその周辺で止まって消滅したはずでしょう。