[画像はEliane Gerris]
「世界」2017年1月号に国際基督教大の森本あんり教授が「ドナルド・トランプの神学」と題する記事を書いていて、なるほどと思うところが多く一部要旨を紹介させていただいた。(以下要旨)。( )内は沼野の文。
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トランプはノーマン・ヴィンセント・ピール(「積極的考え方の力」の著者)の影響を受けており、トランプの奇妙な信心深さはアメリカのキリスト教に流れる神学的倫理、いわば「富と成功」という福音を受け継いでいるからだ、と説明する。
本来神と人との関係には「契約」の概念が含まれる。ヨーロッパ大陸ではカルヴィニズム神学の「片務契約」(人の側に不服従があっても神が一方的に恵みを施す)であったのが、ピュリタ二ズムが米に移植されると、強調点が転移し「双務契約」化した。神と人がお互いに契約履行の義務を負うとなり、人が義務を果たすと今度は神が義務を果たす番になる。(これはLDSにも聖句がある)。
そして更に「正しい者が神の祝福を受けるのなら、神の祝福を受けている者は正しい者だ」と逆回転する。(LDS教会や教会員が栄えているとすれば、それは正しい民だからである)。
アメリカに根をおろしたキリスト教は固有の発展を遂げる。キリスト教の信念体系には、彼岸的で超越的な面があるが、同時に此岸的、実践的な面もある。アメリカのキリスト教は後者を極端に強調する。その結果、楽観的で自己慶賀的な宗教に様変わりした。
一代で成功した成り上がりは米の判断基準では、正しい成功達成の道であり、アメリカンドリームの体現者である。米のキリスト教福音派があれほどキリストの教えからかけ離れた言動を続けたトランプを支持したことには唖然とした、と著者は言う。(私NJも同じ)。
以上のように勝ち組の論理に立つアメリカは、善人が苦しみ、この世で負けている経験をしたことがないので、そのような事態を内面的に説明できる理論の成熟を経ておらず、原理主義的(単純)なところがある。一体、単なる「成功」そのものが目的なのか?「富」の追求は「マモン」の追求に陥りがちである。正統な使命や目的が欠落すると「正義、平等、人権」といった理念が犠牲となり棚上げになる(アメリカへの信頼や期待が失せる)と警告する。(要旨終わり)。
[まとめ] キリスト教の神学はアメリカに移植され、プロテスタントの倫理から離れ、積極的思考をへて「成功と富」の福音に転じている。LDS教会もその流れの中にあり、現在世俗的に資産(富)を獲得することに熱心で成功しているように見える。
「世界」2017年1月号に国際基督教大の森本あんり教授が「ドナルド・トランプの神学」と題する記事を書いていて、なるほどと思うところが多く一部要旨を紹介させていただいた。(以下要旨)。( )内は沼野の文。
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トランプはノーマン・ヴィンセント・ピール(「積極的考え方の力」の著者)の影響を受けており、トランプの奇妙な信心深さはアメリカのキリスト教に流れる神学的倫理、いわば「富と成功」という福音を受け継いでいるからだ、と説明する。
本来神と人との関係には「契約」の概念が含まれる。ヨーロッパ大陸ではカルヴィニズム神学の「片務契約」(人の側に不服従があっても神が一方的に恵みを施す)であったのが、ピュリタ二ズムが米に移植されると、強調点が転移し「双務契約」化した。神と人がお互いに契約履行の義務を負うとなり、人が義務を果たすと今度は神が義務を果たす番になる。(これはLDSにも聖句がある)。
そして更に「正しい者が神の祝福を受けるのなら、神の祝福を受けている者は正しい者だ」と逆回転する。(LDS教会や教会員が栄えているとすれば、それは正しい民だからである)。
アメリカに根をおろしたキリスト教は固有の発展を遂げる。キリスト教の信念体系には、彼岸的で超越的な面があるが、同時に此岸的、実践的な面もある。アメリカのキリスト教は後者を極端に強調する。その結果、楽観的で自己慶賀的な宗教に様変わりした。
一代で成功した成り上がりは米の判断基準では、正しい成功達成の道であり、アメリカンドリームの体現者である。米のキリスト教福音派があれほどキリストの教えからかけ離れた言動を続けたトランプを支持したことには唖然とした、と著者は言う。(私NJも同じ)。
以上のように勝ち組の論理に立つアメリカは、善人が苦しみ、この世で負けている経験をしたことがないので、そのような事態を内面的に説明できる理論の成熟を経ておらず、原理主義的(単純)なところがある。一体、単なる「成功」そのものが目的なのか?「富」の追求は「マモン」の追求に陥りがちである。正統な使命や目的が欠落すると「正義、平等、人権」といった理念が犠牲となり棚上げになる(アメリカへの信頼や期待が失せる)と警告する。(要旨終わり)。
[まとめ] キリスト教の神学はアメリカに移植され、プロテスタントの倫理から離れ、積極的思考をへて「成功と富」の福音に転じている。LDS教会もその流れの中にあり、現在世俗的に資産(富)を獲得することに熱心で成功しているように見える。
それが危うい論理なのは明らかですが、モルモンの世界観には高慢になった民は、全てを失って謙遜にさせられるという警告がありますよね。
>LDS教会もその流れの中にあり、現在世俗的に資産(富)を獲得することに熱心で成功しているように見える。
LDSの場合昔には苦労しましたが、現在は教団としてはリッチすぎて富の獲得に熱心でなくても富が集まって来るモードになっていると思います。
このアメリカ人クリスチャンの思想は、NJさんのお嫌いな高橋弘教授も指摘してますよね。
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アメリカ的価値観ということから言えば、アメリカではどんな分野でもいいからそこで成功することが肝要だと考えられている。どの分野でいいが、ともかく成功することが大切なのです。現在でもテレビ伝道師などはそこの集まる献金額を誇示する訳ですから、宗教はまさにビジネスです。そこに矛盾を感じるのも無理ありません。彼らは真剣に伝道しているのでしょうが、しかし同時に彼らは知らず知らずにビジネスマンとして振舞っている。「やるからには成功したい。多くの献金を集めたい」という気持ちが強い。アメリカ人にはそうした成功熱が常にあります。
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http://garyo.or.tv/kondankai/kondankai.htm
まァ高橋教授はあからさまにこんなことも言ってますが・・・
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ジョセフ・スミスは、どうも最初彼はモルモン書を著してひと儲けすることを目論んでいたと思われるふしがあるが、ところがその本を真に受ける連中が周りにあらわれ、そして、「これこそが福音だ」と頭から信じてしまったわけです。そうすると今度は書いた、本人が預言者として振る舞い、神話を作り出した。それが真相のようです。
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ちなみに日本ではクリスチャンに対してやたら高潔さが求められるのですが、その理由は明治維新にあるようです。大政奉還、廃藩置県などで行き場を失った武士階級の子孫の一部が、これからの人生をどう生きていくかを求めて西洋から入ってきた新しい思想、キリスト教に傾倒する者が多かったと。そうした人たちは精錬潔癖に生きて、日本のクリスチャンに影響を与えていくんですね。
>LDS教会もその流れの中にあり、現在世俗的に資産(富)を獲得することに熱心で成功しているように見える。
私はそれでもいいと思いますよ、以下のことをモルモン教会がするなら。
●什分の一、その他の献金の収支報告
いくら集まり何にどれくらい使ったか明確な金額の公表です。総大会で問題ありませんでしたという形式的な監査報告でなく。
●使途についての会員の意見、要望を受ける制度
意見のある人はビショップとの面接で言うことができます、ではなく。
教会が営利目的であるかないかに関わらず、当然これくらいはすべきでしょう。ブラック企業だって貸借対照表や損益計算書は公表してる世の中です。
どっちかといえば高橋先生こそ、反モルモン情報をネタにして、一儲けをもくろんだように見えますけどね。
高橋教授は自分の代表著作をネットで全文公開してるんですねェ・・・無料で
一儲けをもくろんでいる人がそのようなことをするだろうか?と私は思います。
何をもって反モルモン情報というのか、その定義は人それぞれでしょうが・・・高橋教授が著作内で参照している文献は、BYU関係者などモルモン歴史研究者による文献ですね。
教会は昔こう教えてましたけど、今はこう教えてますね、随分と変わりましたねェ・・・なんて言うと、「はい、あんた反モルモン!」と認定されちゃうんですよ。(笑)
教会の教えは変わってませんよ、原則は同じですよ、何も問題ないですよ、真実ですよって言うと、「アーメン」と賛同してくれるようですが。
あらんどろんさんは、高橋弘を教授と肩書を添えて呼んでいますが、ひょっとして「がりょう庵」の主宰者ですか。そうでしたら、今後別名を語って(本名でも)ここに出入りすることを控えてください。
”
無料公開になったのは絶版の後だったと記憶していますが。
>「はい、あんた反モルモン!」と認定されちゃうんですよ。(笑)
かつて私が『素顔のモルモン教』を読破したときに、(正確な記憶ではありませんが)先生自らが、『素顔のモルモン教』は日本で初めての反モルモン文章であると、御本の中で述べられていましたけど。
https://search.yahoo.co.jp/image/search?ei=UTF-8&p=trump%20iq%20156
「トランプ氏は幼少の頃から父フレッドに連れられて、日曜日になると家族で教会に足を運んでいた。子供によっては、親に連れられて日曜ごとに教会に行くことを疎ましく思う。だがトランプ氏は違った。
「ピール牧師の説教はいつも終わってほしくないと思っていました。もっとずっと教会にいて聞いていたかった」
自叙伝の中で書いている。ピール牧師というのは、トランプ氏がいまだに敬愛してやまない「心の師」と仰ぐ人物である。
■積極性を植えつけたピール牧師
話をした牧師が当時を覚えていた。
「当時はピール牧師が説教をしていました。トランプ氏は本当にピール牧師に心酔していましたから、キリスト教の精神を全身で受け止めたと思います」
ノーマン・ヴィンセント・ピール牧師。1993年に他界しているが、ピール牧師こそトランプ氏に大きな影響を与えた人物の1人である。最近の米メディアとのインタビューでも、「私こそがピール牧師の最高の生徒だと自負している」と発言している。
ピール牧師は米国に多数あるプロテスタント教会の一牧師という人物ではない。
米国内ではたいへん著名で、アイゼンハワー大統領やレーガン大統領にも説教をしたことでも知られ、著書『積極的考え方の力』(初版1952年)は世界60カ国以上に翻訳され、すでに2000万冊以上が世に出ている。
不動産分野で結果を残してきたトランプ氏は、一見すると宗教とは縁遠い冷徹なビジネスマンに思われる。だが「私以上に聖書をよく読む人はいない」との発言や、「聖書が最も好きな本」との言葉から、キリスト教が人生の核になっていると考えられる。
しかしトランプ氏の言動を聞くかぎり、敬虔なクリスチャンとは程遠いように感じられる。思慮深さの欠如は明らかだし、聖書から多くを学んで実践しているようにも思えない。
トランプ氏を追いかける記者から「聖書の中でもっとも好きな一節は?」と質問された時、答えられない場面さえあった。後日、回答を寄せはしたが、その一節が聖書からの引用でないことが判明している。
実は本当に読み込んだのはピール牧師が書いた『積極的な考え方の力』だったのだ。ここにはいかにポジティブに生きるかが記されている。自己啓発本の原点が示された本とさえ言える。
■キリスト教ビジネス系保守派
ピール牧師が亡くなった後、トランプ氏はニューヨークのマーブル協同教会に通わなくなる。師がいなくなっても、神への信仰が深ければ教会に通ってもいいはずだが、足を向けなくなる。
ニューヨーク・タイムズはトランプ氏のことを「キリスト教ビジネス系保守派」と呼んでいる。聖書を拠りどころとするより、ピール牧師の本に触発されたビジネスマンという捉え方だ。
ピール牧師の同書は、神への信仰を中心にした精神活動から、キリスト教をいかに実生活へ有効に応用させて成功を遂げるかを説いている。そこでのキーワードが「積極性」なのだ。
自伝で書いている。
「不動産交渉の時、私の優先事項はつねにポジティブでいるということだ。たとえ周囲にいる全員が否定的な考え方をしていても、私だけは積極的でいる」
例えば1970年代、ニューヨーク市マンハッタンのウェストサイドの物件を購入した時もそうだった。市内の誰もが否定的で、同市の財政は破綻すると心配していた。」
http://www.asyura2.com/16/kokusai13/msg/514.html
講演会も無料でされているのでしょうか?
例えば、札幌神殿の隣の北星大学で講演会を開いたそうですが。
これが有料であるならば、教会員Rさんの意見も理解できます。
さて、あらんどろんさんが以前の方(よくわかりませんが、荒らしの方)かはわかるわけがないのですから、あらんどろんさんが、今度の研究会へ参加されると良いのではないでしょうか。
そこで正体を明かすのです。