[目覚めよ、わたしの霊よ Awake, my soul! 2 N4:28 ]
もう何年も前になるがモルモン書を読んでいて、「あっ、ここはほかの場所と違って心を打つ」と信仰・文学面ともに凡人の私にも感じるところがあった。ニーファイの心の叫びが聞こえたように思えたのだった。おそらくそれと相前後して、その個所が「ニーファイの詩篇」the Psalm of Nephi と呼ばれていることを知った。
この名前は、旧約聖書を専門とし長年講じた故シドニー・スペリーBYU教授が1947年に最初に名づけたもので、彼はそう呼ぶことができると控えめな表現であったが、現在ではその呼び方が定着している。
スペリーはこの部分でニーファイの心の底に触れることができる、またイザヤ、エレミヤ、詩篇などの影響が明らかである、と書いてそう名付けたのであった。
後に、いろいろな研究者がこのニーファイの詩篇と呼ばれる個所について述べているが、スティーブン・P・ソンドラプ(BYU紀要、1981年)、マシュー・ニッカーソン(モルモン書研究誌、1997年)が詳細に分析している。特に後者は様式史分析を試み、ヘルマン・グンケルの言う「個人の嘆息」という区分の詩篇に該当し、「祈り、苦境の訴え、信頼、請願、賛美」の要素が観察されると言う。
このような詩篇と呼べる様式(form or ジャンル)がモルモン書に見出されることについて、ハーディはニーファイないしジョセフ・スミスが詩篇にそれだけ通達していたことが考えられると註に記している。なお、交差対句法など詩歌の修辞が現われるこの個所は、ハーディの読書家版2003年が読みやすい。(対句法を詳しく見たい人はDonald W. Parry2007年版が便利。ただ、普通に読み進めるにはやや詳しすぎる感がある)。聖典も文学作品も解説を先に読むより、まず自分で読むのが自然な順序である。ニーファイの詩篇もそのような例に入るかもしれない。
参考文献
Grant Hardy, “Understanding the Book of Mormon: A Reader’s Guide.” Oxford University Press, 2010
Matthew Nickerson, “Nephi’s Psalm: 2 Nephi 4:16-35 in the Light of Form-Critical Analysis” Journal of Book of Mormon Studies, Vol. 6, No. 2, 1997
Richard Dilworth Rust, “Feasting on the Word.” Deseret Book Company and FARMS, 1997
Steven P. Sondrup, “The Psalm of Nephi: A Lyric Reading,” BYU Studies 21/3 (1981)
Sidney B. Sperry, “Book of Mormon Compendium,” Bookcraft, 1968
もう何年も前になるがモルモン書を読んでいて、「あっ、ここはほかの場所と違って心を打つ」と信仰・文学面ともに凡人の私にも感じるところがあった。ニーファイの心の叫びが聞こえたように思えたのだった。おそらくそれと相前後して、その個所が「ニーファイの詩篇」the Psalm of Nephi と呼ばれていることを知った。
この名前は、旧約聖書を専門とし長年講じた故シドニー・スペリーBYU教授が1947年に最初に名づけたもので、彼はそう呼ぶことができると控えめな表現であったが、現在ではその呼び方が定着している。
スペリーはこの部分でニーファイの心の底に触れることができる、またイザヤ、エレミヤ、詩篇などの影響が明らかである、と書いてそう名付けたのであった。
後に、いろいろな研究者がこのニーファイの詩篇と呼ばれる個所について述べているが、スティーブン・P・ソンドラプ(BYU紀要、1981年)、マシュー・ニッカーソン(モルモン書研究誌、1997年)が詳細に分析している。特に後者は様式史分析を試み、ヘルマン・グンケルの言う「個人の嘆息」という区分の詩篇に該当し、「祈り、苦境の訴え、信頼、請願、賛美」の要素が観察されると言う。
このような詩篇と呼べる様式(form or ジャンル)がモルモン書に見出されることについて、ハーディはニーファイないしジョセフ・スミスが詩篇にそれだけ通達していたことが考えられると註に記している。なお、交差対句法など詩歌の修辞が現われるこの個所は、ハーディの読書家版2003年が読みやすい。(対句法を詳しく見たい人はDonald W. Parry2007年版が便利。ただ、普通に読み進めるにはやや詳しすぎる感がある)。聖典も文学作品も解説を先に読むより、まず自分で読むのが自然な順序である。ニーファイの詩篇もそのような例に入るかもしれない。
参考文献
Grant Hardy, “Understanding the Book of Mormon: A Reader’s Guide.” Oxford University Press, 2010
Matthew Nickerson, “Nephi’s Psalm: 2 Nephi 4:16-35 in the Light of Form-Critical Analysis” Journal of Book of Mormon Studies, Vol. 6, No. 2, 1997
Richard Dilworth Rust, “Feasting on the Word.” Deseret Book Company and FARMS, 1997
Steven P. Sondrup, “The Psalm of Nephi: A Lyric Reading,” BYU Studies 21/3 (1981)
Sidney B. Sperry, “Book of Mormon Compendium,” Bookcraft, 1968
https://www.lds.org/manual/book-of-mormon-gospel-doctrine-teachers-manual/lesson-7-i-know-in-whom-i-have-trusted?lang=jpn
NJさんは、どなたから受けられたんでしょうか??
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/d243e2d7fdc0e937ed2f7926b5d72794
http://www.gospeldoctrineplus.blogspot.jp/2012/02/book-of-mormon-lesson-7-i-know-in-whom.html
モルモン書の結論ではニーファイの民が全滅してしまったことになっている。
しかしながら第二ニーファイ3:3の
3 さて、わたしが苦難に遭った荒れ野から連れて来た末の子ヨセフよ、主がとこしえにあなたを祝福してくださるように。あなたの子孫がことごとく滅びてしまうことはないであろう。
とヨセフの子孫が絶滅はないですよと祝福されているのは矛盾のように思うのです。
スケールからしてイエスがアメリカ大陸で選んだ12人のうち3人身を変えられたことを予言しているようにも思われない。
よくわからないまま今に至ってしまいました。
一部の正しかったにーファイ人はバビロニアに滅ぼされる前にイスラエルから脱出したリーハイたちのようにアメ大陸から脱出しました。その記録が金版の封印された部分に書かれていると思います。
モルモン書によればイエス・キリストが訪れた際に悪人は滅ぼされ、正しい人だけが残りませ。ここでニーファイ人、レーマン人の区別はなくなったとありますね。
ところが何年かたつと、民のなかに自らレーマン人を名乗る者が現れます。彼らは自分の意志で教会を離れ、再びガデアントン流の強盗団まで組織していきまず。
一方自らニーファイ人と名乗る人たちも現れ、彼らは神を信じて教会に属していますが、やがておごり高ぶっていき、レーマン人と対立します。
つまりこの時点になるとレーマン人、ニーファイ人とは先祖の直系子孫ではなく、教会に属しているかどうかで自らそう名乗っているのです。モロナイ書の最後で滅びるのは、このニーファイ人であり、ニーファイの直系子孫ではありません。
ですのでヨセフの子孫が、キリスト来訪後に『レーマン人』となり、存続していった可能性はモルモン書の上では充分に成り立ちます。勿論、現実にはニーファイ人もレーマン人も存在しませんが。