1844年6/27日、イリノイ州カーセージの牢獄でジョセフ・スミスが暴徒の襲撃によって命を落としたことについて、その場にいたジョン・テイラーが証をしたためています。6節でジョセフ・スミスは殉教者(martyr, [martər])として覚えられるだろう、と記しています。martyrの語源、ギリシャ語 μάρτυϛ (マルテュス)は「証人」という意味です。
ジョセフ・スミスの死について、英ダーラム大学宗教学教授ダグラス・J・デービスは、モルモニズムの存続にとって非常に重要な原動力となった、そしてその後西部へ移動する力をもたらしたと分析しています。そして、カール・ラーナーが殉教とは、「証し」が「死」によって固められることと明確に述べたのに符合している、と結んでいます(「ジョセフ・スミスの世界[複数]」pp. 257, 8)。
他方、「ジョセフ・スミス - - 転がる疎石」の著者リチャード・L・ブッシュマンは、彼が命を落とすことになった背景を歴史家の目で整理しています。それは多妻の実施を表面化しないよう隠してきたことが、離反者たちの新聞「ノーブー・エキスポジター(解説者)」に明かされたことを知って、ノーブー市長の地位にあったジョセフ・スミスが印刷機を破壊したことでした。これは報道の自由を侵すもので、合衆国の神聖な権利と見做されていたことに気づかなかったのは致命的な間違いであった、と記しています(pp. 541)。多くの末日聖徒が触れないことですが、遺憾な経緯が背後にありました。
参照文献
・John W. Welch, ed., “The Worlds of Joseph Smith - - A Bicentennial Conference at the Library of Congress” BYU Studies, 2005
・Richard Lyman Bushman, “Joseph Smith - - Rough Stone Rolling” 2005
私も気を付けます。
末日聖徒がその問題に触れないのは、教会が別の説明を行って、そっちの方を真実だと思い込んでますからね。その印刷所が事実無根のデマを書いたからだって私のユニットの日曜学校では話し合っていました。
教会が事実を知らせていないと言う問題に向き合ってきて、もうかれこれ20年以上になりますかねぇ、反モルモンと言われたり、教会をやめろと言われたり、いろいろありましたが、近年教会が渋々事実を認めてきたことを見ると、まぁ、興味深く思います。
NJさんはこれらのことを日曜学校でどのように説明されているんですか?日曜学校では会員が喜ぶように教会側の説明をそのまま伝えながら、このブログでは実は違うのだ!と反対のことを言ってるのでしょうか?
それもまた善しですが。
2013-04-16 23:48:05 | 教会の歴史
復元教会の記録によると、ノーブー市議会でノーブー・エクスポジター新聞社の印刷機およびその新聞紙の破壊・焼却が提案された時、市長ジョセフは賛成してなかったが、周りの圧力に屈し、その破壊指令を出すことに承諾したと、エマ・スミス(1804-79)やジョセフ・スミス・ III 世(1832-1914)たちは言う。ウィリアム・スミス(ジョセフの弟)が述べるところでは、ウイラード・リチャーズとジョン・テイラーが、カーセージ牢獄にジョセフ、ハイラムと一緒だった理由は、エクスポジター紙の破壊を勧めた時に、それによってジョセフが入獄する結果になれば、責任を取って、自分たちも共にすると主張したためであると・・・・
魚拓:“Joseph Smith III’s Testimony about the Expositor
Joseph Smith III, the president of the Reorganized Church, wrote of his father’s opposition to the destruction of the Expositor press. He asserted:
One scene that happened before my father’s death remains on memory’s tablets, ever fresh. In the evening of the day that the Expositor press and material were destroyed, by order of the City Council, an act that should ever be condemned by good men, a crowd gathered on Main street, between the Mansion and the City Hotel, nearly opposite the residence at one time occupied by Sidney Rigdon, and among them was the Mayor, my father. Curious as others I ventured near them, and at a lull in the noise and confused murmur of
voices, I heard my father’s voice, measured and clear, "Whatever you may think about it, you have this day made me do, in my official capacity as your officer, an act that I believe we shall all be sorry for, and that will make us great trouble hereafter." I am satisfied now, looking over the matter from the standpoint of matured manhood, that he was then convinced that the counsel to destroy the press was bad, and that such a desecration of the rights of others must result in distress, sorrow and regret. Who were with him on that occasion I do not know; there were thirty or forty, I should think, as I now remember the appearance of the crowd. (Edward W. Tullidge, Life of Joseph the Prophet [New York, 1878], 746)
」
https://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/9b75c712eef0c186c7cc76432ef502f7
私は教会では、明らかな護教的説明はしないように、また、あからさまな反モル的説明も避けています。
そのようなことができるのかということですが、微妙な件では静かに見ています。(教師をすることはあまりありません。)
たまWebさん
キリストの共同体がどのように言っているか、知りません。時間があれば、見てみたいと思います。
私は日本の教会員がもっと実情を、教義の深めの理解を知ってほしいと思っています。信仰の自立に近づいてほしいです。
その為に投獄されているが、それはジョセフの死の理由ではない
イエスも私に言わせれば「そこまで言えば殺されるだろう」と思うよ
イエスには「死ぬ理由」があった
ジョセフも同じだよ、やはり「死ぬ理由」があった
後の教会の発展を見れば分かることだ
イエスも最後まで死ぬことに反抗していたが、自分の任務から逃げるわけにもゆかずに殺された
多分イエスは死ぬのが怖くて自分が怖気ずくことを恐れて、あえてパリサイ勢力に挑発的行動を取って「他人によって殺される」という道を選んだのだろう。
そうでもしなければ、まともな人間が死ぬなんてほぼ不可能だろう
自分が死にたくなくても死ねる状況を造らなくては死ねないよ。
ジョセフとて同じことだよ。彼も当然「自分が死ぬ」ことは分かっていただろう。
というより「自分が死ぬしか道は無い」と考えていたはずだ
あたりまえのことだが、人間が自力で死ぬことは簡単ではない
戦国時代の切腹にしても、簡単には死ぬことができず、武士の情けとして介錯が行われる
ジョセフが死ぬ方法も「他人に殺される」しかないだろう
ジョセフに必要だったのは「殺される理由」なんだよ
それがあればジョセフは自分の責任をまっとうできるのだよ
そして見事にそれを成し遂げて、モルモンはユタに移住に成功し、人類初の快挙を成し遂げた
それは政治権力とつながることなく自力で「独立国家」と同等の力のある都市を建造したことだよ
私の知識不足かもしれないから、だれか政治権力の助けなくユタのような都市を自力で建造した集団を知っていたら教えてくれ
>その破壊指令を出すことに承諾したと、エマ・スミス(1804-79)やジョセフ・スミス・ III 世(1832-1914)たちは言う。
確か印刷機の破壊を命じたのはノーブー市議会だったので、
市長ジョセフ・スミスとしては民主的な対応と言えると思います。
カーセージの牢獄はノーブーではなくイリノイ州ですからね。
離反者の立場からは正義の鉄槌という名の暗殺する気満々。
報道の自由を掲げるなら、やはり暴力ではなくペンで裁くべきでしたね。
>イエスには「死ぬ理由」があった
仰る通り。
どちらも「死ぬ」ということ
但しその道筋には違いがある
道が明確に示されていたイエス
一方ジョセフに道は示されていない
イエスには「十字架」という明確な目標があり、なんとか十字架に掛けられれば責任を達成できる
一方ジョセフはどうやって死んだら良いかが明確でない
ジョセフには2つの強い望みがある
「生きて聖徒達を強めたい」「死んで責任を全うしたい」
当たり前だが、これは相反する望みである
ジョセフは心は常にこの相反する望みの中で揺れていただろう。
ここで生きるべきか、あるいは死ぬべきか
細かいジョセフの行動は分からないが、その行動にも乱れがあったはずだ
それはこの理由を考えれば当然のことであろう
リバティーで投獄された時は「死ぬ時期か」と思ったかもしれない
カーセージで投獄された時は「まだ生きるべきだ」と思ったかも知れない
実際、カーセージではジョセフは「生きよう」としていたように感じる
しかし、結果としては死ぬ時期であったのだが
私はイエスもジョセフも、自分と同じ人間としてみているから、その心が良く分かる。
豚小屋に等しいリバティーの牢獄にぶち込まれた時は、本当に落ち込んだことだろう「ここで死ぬのか」と
それが運よく恩赦があって解放された時は「まだ自分は生きるべきなんだ」と考えただろう
だからカーセージにぶち込まれた時には銃もあったし、自分は「まだ生きるべき」と考えていたのだろう
しかし、そこがジョセフの死に場所になるとは本人も予期していなかっただろう
覚悟はしていただろうが、「もう少し生きるだろう」との思いが強かったはずだ
ジョセフは批判されることも多かったようだが、私は彼の行動を批判する気は全くない
彼が迷走しようが、相反する希望を持つ人間に当然起きる蛇行にすぎない
同じ人間としてその辛さ、その不安は良く分かる
ジョセフを批判する人間は、一度リバティーの牢獄で冬のただ1日でも良いから過ごして見ることだ
その人間と同じ状況に自分を置いて考えない限り、その心なんて分るはずが無いよ
ハウンズミルでは少年が頭をショットガンで吹き飛ばされていますがマウンテンメドーでは子供には手を出していない。
印刷物の破棄ではなく何故、印刷機破壊だったのか?
それはおそらく反モルモンに戒めの書の印刷機を破壊された記憶がノーブー市民の間にはあったのでしょうね。
しかし、末日聖徒はあまり「言い訳をしない」誠実さがあるんですよね。
宮清め。なんかは危ない人ですよね。
日本で言えば神社の破魔矢や御神籤売ってる場所をぶっ壊した感じですもんね。
そりゃ警戒されるますね。
>ジョセフは批判されることも多かったようだが、私は彼の行動を批判する気は全くない
同意です。
子供の頃の足の手術と酒を断った逸話。
あれはちょっといただけない。
若き教祖の不遇の死はスケープゴートよろしく、宗教発展はかかせないのでしょうか。
日々の事実は偶然起こりますが、後に歴史がそれを必然にしてしまいます。
>殺されるには、それなり理由が有るんですね。
豚が殺されるのは、肉を食うって理由しかない。
豚骨ラーメン食いたいーーーー!