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(都市部では改装されている所が多い 写真は画像頁から)
私自身が中国のキリスト教会を繰り返し訪問した経験から言えば、三自教会は中国独自の発展を遂げており、そこには日本や他の諸国のキリスト教会と同じく神とイエス・キリストを信じる群れが存在し、信徒は同じく篤信の熱心な牧師たちに導かれている。
私は1996年西安と上海で中国のキリスト教会を訪問し礼拝に出席して以来、2002, 2003, 2004, 2009年に訪中する度にハルピン、大連、北京の教会に合計14度訪問する機会を得た。いずれも地図やインターネットで探して日曜日に訪ねて行ったものであるが、訪問者を拒むことなく暖かく迎え入れてくれた。私の中国語の理解は限られているが、この十数年間に感じとったことは集う会衆の信仰にも、壇上から説く牧師の力強い説教にも、為政者に協力的姿勢を示す三自運動の精神が信仰や説教を阻害しているとは思えないことである。
かつて中国のキリスト教会が三自愛国運動を始めた頃、共産党政府に従属迎合しキリスト教の真髄を喪失したものと非難されたことがあった。唯物論を取り入れた背教組織とさえみなす見方が出回った。私は中国の教会に出てそのような片鱗や痕跡が見られるだろうか、と耳目を研ぎ澄ました。しかし、今日の姿を見る限り、私の見聞きした範囲から敢えて言えばそのような兆しは感じられない。人々の穏やかな、また明るい表情は信仰によって支えられている様子が感じられる。中国に行って、自分で歩いて、この目で見てわかったことである。
自治、自養、自伝を目指す三自愛国運動は1950年に提起されて以来60年になる。その間大きな時代の変遷を、そして今から振り返って見れば中国キリスト教界における指導権争いなどを経て、こんにちに至っている。現在、中国のキリスト教会はカトリック教会を含めて全般的に三自の体制がゆき渡っている。外国のキリスト教界はこの現状を受け入れなければならない。その点で新教社が1984年に「中国のキリスト者はかく信ず」など三自に焦点を当てた出版をしたのに対し、いのちのことば社は90年代になっても三自に批判的ないし無視に近い書籍を刊行していたのが対照的であった。
最近の中国のキリスト教会の特徴として、経済的に困難なこの時期にあって信徒は積極的に生産に従事すべきである、そして周囲の人々と和合調和して暮らしていくべきである、というテーマが語りかけられている。
参考
サムエル・ボイル編「王明道の証言と洗脳」基督教改革長老教会発行 1957年
呉利明他「アジア・キリスト教史[1]」教文館 1981年
丁光訓「中国のキリスト者はかく信ず」新教出版社 1984年
レイモンド・フン編「中国の家の教会 文化革命を生き抜いたキリスト者」新教出版社 1984年
渡辺信夫「アジア伝道史」いのちのことば社 1996年
渡辺信夫他「中国・韓国・日本の教会」いのちのことば社 1997年
沼野治郎 [翻訳] 王美秀「キリスト教の中国化とその問題」広島国際学院「現代社会学」6号(2005年)訳者あとがき
富阪キリスト教センター編「原典現代中国キリスト教資料集」新教出版社 2008年
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