2018年度春、四国で「LDS聖研グループ研究会」を開催します。そこでの発表を募りたいと思います。
できれば外部から講演者を招きたいと希望していますので日程は未定ですが、四国の丸亀か高松で4~ 6月の土曜日午後開催したいと準備しています。関西、特に中四国の方で教義や教会歴史(日本を含む)などについて発表してくださる方がいらっしゃれば有難いです。12月末までに発表のタイトルとおおよその内容を私あてお知らせください。プログラムの案としては講演と発表二三件で2時間くらいを考えています。
LDS聖書研究同好会* 研究会係 沼野治郎
というのもプロテスタントのクリスチャンから(ネットでなく)、あなたの教会(LDS)は監督や会長が神と会員の間にいて云々としきりに否定的に言われたことがあって、面倒だったので論争もしなかったが、向こうから言われている意味がさっぱりわからず、内心(そんなことを言うならプロテスタントだって牧師さんが教会で威張ってるじゃないか)くらいにしか思わなかった経験をしたからです。
数日後になってからピンと来て、相手の教会の特徴を多少詳しく知っておけば、こちらの教会の特徴の特徴も詳しく話せて、LDSだって万人祭司の要素が備わってるよくらいのことは冷静に説明できたのに残念に思ったからです。
一般信徒が神の必要に応じて主の器として選ばれ、その犠牲が祭司を通さず神に受けいれられること。また一般信徒は神権者を通さずに直接に聖霊やキリストから恵みを受けられる権利の主張のこと。
モルモンの教えはこれを認めており、教会員は(定型文でなく)自分の言葉で神に直接語ることを許していますし、聖霊の導きを直接受けることを認めています。 また預言者の主張として教会員は全員、宣教師であるとさえ教えています。 そもそもこれがなければJSは預言者に選ばれなかったはずです。
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%87%E4%BA%BA%E7%A5%AD%E5%8F%B8-118541
カトリックでさえ、当初は万人祭司に否定的であったが,第2バチカン公会議 (1962~65) 前後から,見直しが行われ,信徒使徒職が強調されてきている。
件のクリスチャンは教会を揶揄する偏った情報に基づいて、モルモン信者は一々指導者(神権者)を通さないと主のために働けないとか、神に近づけないとか、主の恵みを受け取れない、そういう教えの教会と受け取っていたふしがあった。
ちなみにプロテスタントが万人祭司であるという意味には、一般信徒が思いつきで他人にバプテスマしても教会に認められるとか、思いつきで聖餐式をしてかまわないという意味は全く含まれていません。
がこっちは万人「祭司」と聞いて意図が分からず、瞬間的にどうせ女性差別がどうのという批判だろうくらいにしか思わなかったために、どこのキリスト教会でも、一般信徒が思いつきで他人にバプテスマしても教会に認められるわけがないとか、思いつきで聖餐式をしてかまわないわけがないだろうくらいにしか考えられませんでした。
LDSの方々が、ご自分の教会で学ぶ理解がもっとも神の御旨に沿っていると思われていらっしゃるのでしたら(おそらくそう思っておられるでしょうけれど)、そのままで信じ続けて行かれれば宜しいことですので。
ただLDSの仕組みを万人祭司だと言われると、それは違うなぁと感じます。
でなければ、モルモン教会では、例えば女性信者や男性でも神権者に召されなくてはどんなに従順に頑張っても、彼らの祈りを神は顧みられないとか、聖霊によって個人的な啓示を受けることは望めないとか、そういうことになるのだから。