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死海写本こぼれ話:故スペリー教授の失望、その後BYUの取り組み

2016-02-24 22:01:03 | モルモン教関連

[左からラスムッセン、スペリー、メサービー教授。死海写本の文字を観察している]

1970年代にブリガムヤング大学で旧約聖書の授業を受けていた時、教師のラスムッセン教授が語ったところによると、シドニー・B・スペリー教授は死海写本が発見され内容が公開された時、写本のイザヤ書テキストがモルモン書のイザヤ書引用と符合することを期待していたが、期待が裏切られてがっかりしていた、という逸話(裏話)を話された。

モルモン書の前の方にイザヤ書がふんだんに引用されていて、ほとんど欽定訳聖書のイザヤ書と変わりないが、若干異同が見受けられる。その異同部分が死海写本のイザヤ書と一致してモルモン書が正しいことが証明されることをスペリー博士は期待したのであった。後に1981年ジョン・トベットネスがモルモン書のイザヤ書引用部分、欽定訳、ヘブライ語聖書、クムランの巻物を比較している。それによると、モルモン書のイザヤ書はいくつかの点で支持されているという。ただ、いずれもそれほど重要ではない、些末な事柄に思われる。例、KJVにない接続詞 and が両者にある(IIN13:9)、KJVで受動態が両者で能動態の文(IN20:11)、イザヤ書50:2で「魚は水がないために悪臭を放つ」(KJV) 、とあるところ両者では「かわき死んで」(dry up)が入っている、その他名詞の単数・複数の点(IIN19:9, inhabitants)など。(IN20:1「バプテスマの水から」は上がっていない。)


[国際死海写本翻訳チーム主幹Emanuel Tov博士とパリー教授(右) Deseretnews.com より]

なお、BYUではドナルド・W・パリー教授が1994年に国際死海写本翻訳チームに加わり、エルサレムの「書物の殿堂」で研究に従事したのに始まり、1997年には各界の理解と協力のもとBYUに大掛かりな死海写本のデータベースが整備されて、研究者の用に応える体制が整っている。昨今世界の聖書協会が死海写本の聖書本文を高く評価し、取り入れていることも鑑みてである。パリー教授は死海写本によって豊富な新しい資料が加わったことの意義と便益を強調している。

参考
・沼野治郎「モルモン経に引用されたイザヤ書と編集者の役割:ヒュー・ニブレー、『クモラ以後』(1967年)5章の抄訳を中心に」モルモンフォーラム誌3号(1989年夏季)
・Donald W. Parry, Dana M. Pike, ed., “LDS Perspectives on the Dead Sea Scrolls,” FARMS, 1997
・Donald W. Parry, Stephen D. Ricks, “The Dead Sea Scrolls: Questions and Responses for Latter-Day Saints,” FARMS at BYU, 2000
・当ブログ 2007.10.23 「ブリガムヤング大学、死海写本をデータベース化
・Donald W. Parry, “The Dead Sea Scrolls Bible: Puzzles, Mysteries & Enigmas,” Humanities at BYU, Spring 2009
・ゲザ・ヴェルメシ、守屋彰夫訳「解き明かされた死海写本」青土社、2011年


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16 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (教会員R)
2016-02-25 02:21:52
>それによると、モルモン書のイザヤ書はいくつかの点で支持されているという。

>イザヤ書50:2で「魚は水がないために悪臭を放つ」(KJV) 、とあるところ両者では「かわき死んで」(dry up)が入っている、

おおむねが落胆であっても、若干でも共通点があって支持されるのであれば、それは良いことだと思われます。
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問題なしです。 (ジョン・ドゥ(敬虔な末日聖徒バージョン))
2016-02-25 08:47:04
モルモン書の本文と死海写本に相違があったなら、それは死海写本が間違っているということでしょう。

モルモン書は古代から代々預言者の間で受け継がれてきた神聖な記録が、末日になってこの世に出されたものです。悪魔の教会が取り去ってしまった尊い真理を回復するという神の深い御心によって保存されてきました。

死海写本との間で相違があるのは当然であり、むしろそれがモルモン書の正しさの証明であると言えますね。まぁ欽定訳特有のよく知られた言語的誤りが何ヵ所か散見されますが、それはジョセフが欽定訳の本文を引用したからであってモルモン書の誤りではないんですね。

以上の説明だけで熱心な末日聖徒の皆さんには、ご納得いただけると思います。・・・が、私ども底辺のモルモン会員にはさっぱり理解できず、むしろモルモン書の創作物の証明にしかなっていない気さえするのですが。

もっと言えば、それってジョセフが好き勝手に改変したら何ヵ所かたまたま一致しただけじゃないのか、それも本文の文脈に沿った推測の範囲内でしかないよな、などと沸き起こる不信の念を抑えきれなくなりそうですが、言語学の権威でありかつて多数のモルモン書籍を翻訳されたNJさんのブログでそんな野暮なコメントは差し控えます。

あくまで私は底辺のモルモン会員なので。
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蓋し、フィクションであると (たまWEB)
2016-02-25 13:52:33
力説されるということはぁぁ、はやい話、基本、ジョセフの予言者としての召しや回復といったことは創作で真実とは受け入れないということになるのかな、んで、 ・・・
“09 この書には、ある堕落した民の記録と、異邦人ならびにユダヤ人にあてたイエス・キリストの完全な福音が載っている。・・・14 そして、信仰をもってこれを受け入れ、義を行う者は、永遠の命の冠を受けるであろう。”(教義と聖約20)
一方、聖書は信仰をもって受け入れるとして一般クリスチャン的なんでしょうね。どちらかといえば、モルモンになってしまったということで、モルモンの教義といったものが創作であるという観点で、信仰生活を送る、そういったことを証明しようみたいな使命感の持ち主みたいな、そんな感じになるのかなぁぁ??・・・


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Unknown (教会員R)
2016-02-25 14:12:12
私は中間派かなあ。 

モルモン書にあるとおり、実際にリーハイの家族のような者がパレスチナからアメリカ大陸に渡ったけれども、ジョセフスミスの霊感訳の作業によって、面白くさせるためにとんでもなく脚色が入って壮大なスケールに描かれて、ついでに啓示によって得た教会の理念や教義、儀式の方法などもさりげなく挿入し、聖典化されたものがモルモン書などであろうと見ています。

ジョセフスミスは心底これを神の業だったと信じて疑わず、これが神からのものかどうか読者自身に判断させているわけです。
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あぁぁ、もち、 (たまWEB)
2016-02-25 15:24:59
指紋、顔かたち、性格、誕生時のホロスコープ、みんな個性があるように、信仰の持ちようもみんな違うわけでぇぇ・・・たまWEB的に言いたいことがあるとすればぁ、「全能者が末日聖徒の頭に天から知識を注ぐのを人が妨げようとするのは、人がそのか弱い腕を伸べて、定められた水路を流れるミズーリ川をとどめようとするようなもの、あるいは逆流させようとするようなものである。」(121:33)というのを、ある程度信じれるということくらいかな・・・まぁ、お互いチャレンジ、切磋琢磨して刺激し合う場ということでしょかぁぁ・・

まぁ、そんな内向きな話は兎も角、イザヤ書とかわかるようになりたいもんだわさぁぁぁ、モルモン書にいっぱい出てくるのにさぁ、何もわかんないみたいなぁぁ・
・・例えばイザヤ28なんかはどうなのかぁ、なんてね・・・
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/s/%A5%A4%A5%B6%A5%E4%A3%B2%A3%B8


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イザヤ書を理解するには (NJ)
2016-02-25 16:05:58
> イザヤ書とかわかるようになりたい

分かりやすい注釈書がお薦めです。すでに利用されていると思いますが。イザヤ書が分かりにくいのは、アメリカ人も現代アメリカ人も同じようです。

最近 Swindollと言う人のサイトが気に入っています。
http://www.insight.org/resources/bible チャートがあって分かりやすく整理してくれています。
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死海文書の意義 (オムナイ)
2016-02-25 16:30:28
wiki死海文書

現代の研究者たちは紀元100年ごろに行われたユダヤ教での聖書正典化作業以前ヘブライ語聖書の内容は非常に多様かつ流動的なものであったと認識している[24]。
___

ジョセフ・スミスは金版を翻訳するにあたり当時手に入った唯一の聖書欽定訳
に似た文書場合、意味が同じであればそのまま引用し、違っていれば加筆、訂正などを施して翻訳した。と言われています。

モルモン書の真実(1):重んじられるべき書物

両方の書物に出てくる山上の垂訓ですが、欽定訳聖書には

「兄弟に対して(故なく〉怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない」(欽定訳マタイ5:22)とあります。

かっこ内の言葉は、マタイが書いたずっとあとになって加筆されたものと見られ、最初の新約聖書の原稿にはその部分がありませんし、モルモン書にもありません(3二一ファイ12:22参照。)
~~~
と言う具合に加筆を見抜いている部分もあれば、「鋼」のように現代の聖書の研究を反映できていない部分もある。

金版がもし発見され公開されてもそれはいわゆる古代文字の逐一翻訳とはみなされないかもしれません。

霊感によって真の福音を回復したという表現が保守・リベラルどちらの立場にも一番良いように思います。
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実は故スペリー氏には親しみを感じる (ジョン・ドゥ(敬虔な末日聖徒バージョン))
2016-02-25 19:23:41
がっかりしたと言うことは本気で信じていたんでしょうね。モルモン書が真性の古代アメリカの記録だと。ホントにバカですね・・・あ、褒め言葉ですよ、これは。

最近はそう言うバカ(褒め言葉)な信者が少なくなったような気がします。私が一番好きなバカ信者はジョセフ・フィールディング・スミス ですね。彼はこう言いました「進化論は誤りである。なぜなら福音と折り合わないからである。教会員の中に何とかして進化論と福音の接点を見いだそうとする者がいるが、それは不信仰である」と、いやぁ惚れ惚れするような信仰バカ(褒め言葉)ですなぁ。詳しくは救いの教義を読んでくださいね。

こう言う信仰バカ(褒め言葉)な人たちには、理屈でなく惹き付けられる不思議な魅力がありますねぇ。

金版を信じていると言いつつも、もしモルモン書が創作物だったとしても恥をかかない予防線を張っておこうとか、無理矢理キリスト教会の言葉(牧会する、など)をモルモン教会に当てはめてその気になってみるとか、そんな狡っ辛さ、せせこましさがバカ信者(褒め言葉)にはないからでしょう。

誰でしたっけ、数学者ガロアの言葉を引いて信仰を持った方が人生の賭けに勝つのだとか言ってる人がいましたが、あとメリットがどうとか、そんな計算や損得勘定ではない、『本気』で信じている人にはある種の崇高さを感じるんですねえ・・・

まぁ私は中途半端な底辺のモルモン会員ですけど。
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ある意味、モルモニズム (たまWEB)
2016-02-25 22:55:07
への否定というのが、ひとつの信仰・人生のテーマみたくなってしまっているといえるのかもしれない・・・

「なぜモルモン教は否定されているのですか?」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12150487747

かな~りの難しい問題でしょう・・・それへの答えはやっぱり信ずるということにしかないんでしょうねぇぇ・・・肯定的信仰、否定的信仰のどちらかになってしまうんだと・・・

まぁ、それぞれみなさん、ベストをつくして信ずるところを進んでいるんだとしかいいようがないみたいな・・・
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モルモニズム に遅れてやってきた現代科学との対立 (オムナイ)
2016-02-25 23:32:33
思えば先輩キリスト教も地動説や進化論など現代科学との対立を経験してきた。

内村鑑三さんもこんな言葉で苦闘を乗り越えるヒントをくれてます。

http://homepage1.nifty.com/fujikikaku/uchimura/goroku/190604_words_of_God.htm

<神の言辞(ことば)>

神は人の言辞(ことば)をもって語りたまわず、事実をもって語りたもう。

あるいは災難をもって、あるいは病をもって、

あるいは悪人に遭遇せしめて、その聖意(みこころ)をわれらに伝えたもう。

事実は隠語なり。その解釈は決して易からず。

苦悶転倒、数月にわたりて、なおその解答を得ざることあり。

されども聖霊の暗示によりてついにその解明に達するや、

万物ことごとく明らかにして青空一点の疑雲を浮かべず。

その時、川と丘とは「しかり」と答え、人もわれも「しかり」と応ず。

沈黙にまさる雄弁あるなし。

事実をもって語りたもう神の言辞はその意味深遠にして量るべからず。




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