この8月11 日と18日、末日聖徒は日曜学校でローマ人への手紙を学ぶよう提案されている。私は使徒行伝の終りの方でパウロが皇帝に上訴して、ローマに向かうことになるのを読んだばかりで、パウロがいつこの書簡を書いたのかをはじめ確認したいことがいくつかあった。そこでパウロの生涯、伝道の足取り、書簡が書かれた順など俯瞰的な文脈を得たいと、ローマ人への書簡に焦点を当てながら簡単にまとめてみた。
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まずパウロの伝道活動の時系列の分かりやすい図から見ると、ローマ人への手紙は三回の伝道旅行が終わった段階でコリントにおいて書かれたことが分かる。その後、一度エルサレムに行き神殿で逮捕され、審判の場に立ち皇帝に上訴し、ローマに向かうことになる。言い換えるとそういった騒動の前に書かれている。
図からもわかるように、最初に書かれた書簡ではなく、獄中書簡や殉教を前にして書かれたテモテへの手紙を除けば、獄外で書かれた最後の段階の書簡であることが分かる。
2 書簡が書かれた順序。
下が古く、上に行くに従って時間が経過していることを示す。ローマ人への手紙はちょうど中間あたりにくる。
3 パウロの伝道旅行と書簡の相関図(やや詳細)
この表では中央に使徒行伝があって、伝道旅行と書簡が並べて表にされていて、分かりやすくなっている。パウロのローマでの殉教は67年で右端の上に書かれている。
* 書簡が新約聖書で時系列ではなく、書簡の長い順に並べられている傾向がある、という観察を読んだことがある。確かにローマ人への書簡が最も長く、後に行くほど短い書簡が置かれていてなるほどと言える。(その点クルアーンも同様であるという見方を読んだことがある。)
ちょっと前にこんなサイトに目が止まりました。
信仰箇条にもパウロの訓戒に・・とありますから、パウロ研究大切ですね。
https://religionnews.com/2019/08/02/3-reasons-mormons-dont-know-what-to-do-with-the-apostle-paul/
モルモン教徒が使徒パウロをどう理解すれば良いか、わからない3つの理由
1.彼は「使徒」だったが、12人のなかには入っていなかった。
2.彼はペテロと論争したことを書いた。
3.彼は「恵」についてかなり固執していた。
長い盆休みも過ぎて、秋風が吹いてきたので、少しは灯火に親しんでみようという気が湧いてきました。
それで、初期の十二使徒のその後(最後)について検索してみると、下記のサイトにまとまっていたので、(信ぴょう性のほどは、各自で検討願います)
https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-death-apostles.html
一言で言うと、皆さん非業の死を遂げたようでして・・・。
キリスト教の皆さんは、(私もですか?)「キリストを信じると幸福になれる」と言うのですが、この人たちは幸福だったのでしょうか??
豚は、この方々の様な最後は望んでいないので、ほどほどの信仰で良いかと思っています。