ペテロは使徒行伝の前の方で著しい働きをする様子が描かれているが、10-12章 を過ぎると、急速にその名前が登場しなくなりパウロが取って代わることになる。筆頭使徒として大管長の地位に相当すると見ている末日聖徒にとって、寂しい(物足りない)印象を受ける。
そう思って捜すと、2冊読み応えのありそうな本を見つけた。それは次の2冊である。
1 M.ヘンゲル著、川島貞雄訳「ペトロ」教文館 2010年
2 川島貞雄「ペトロ」清水書院 2014年
今図書館で取り寄せてもらっているが、英文(1の方)邦文の書評から先取りの形で一部紹介してみたい。
書評1(1の本)(書評というより大意)
・イエスの死後イスラエル教会が設立され、ペトロが最初に統括したが一時逮捕され、イエスの弟の義人ヤコブと従兄弟に指導権が移っていった。
・その後、ペトロはパレスチナ北部の布教に努めた。
・ 非ユダヤ人の信者が増えるにつれ、ユダヤ教の律法の上に成ると主張するユダヤ人教徒(ヘブライオイ)とユダヤ教には拘束されないとする非ユダヤ人教徒(ヘレニスタイ)との対立が起こるがペトロは妥協的な立場に立つ。ユダヤ教の縛りとは、食事の作法、割礼など。
・ヘレニスタイの指導者パウロは曖昧なペトロを批判、その後二人は別々に小アジアを布教していたようである。ただ、十二使徒筆頭者としてのペトロのカリスマ性は消えることはなかった。
・その後二人はローマに来ており、パウロは59年のネロの虐殺で、ペトロは64年の弾圧の際にそれぞれ処刑されたという伝承がある。
書評2(1の本、review は英語)
この書が扱う主な主題は、ペテロ、パウロ、義人ヤコブ間の関係、時には対立についてである。使徒行伝、Iコリント、Iペテロ、ヤコブ書にまたがって記述している。評を書いた日曜学校教師(非LDS)はこれまでに読んだ中で初期キリスト教会内の軋轢について最もよく書かれた本であると評価している。
なお、このM. Hengelの著、英訳は Saint Paul: The Underestimated Apostle である。
また、目次を見ても、ペテロの名を冠した外典・偽典を参照していないことがわかった。結局、従来の理解を越える、または覆すほどのものはないと感じられた。
あ、なるほど。
あまり意識していませんでした。
>その後二人はローマに来ており、パウロは59年のネロの虐殺で、ペトロは64年の弾圧の際にそれぞれ処刑されたという伝承がある。
初期末日聖徒の指導者も既存の正統派に殺されたようなもの。
歴史は繰り返すですかね。
末日聖徒と他の宗派の間に憎しみを置くような考え方ですね。
キリストは全人類のために自ら命を投げ出されたのだと、キリストを称えながら、ユダヤ人はキリストを殺した罪深い民族だから差別されて当然だと考えるクリスチャンもいます。
ジョセフ・スミスは福音の回復の証しを結び固めるために命を投げ出す必要があったといいながら伝統的キリスト教を憎んでいる末日聖徒もそれと同じような精神構造ということでしょうか、危ない考え方ですぅ。
歴史は繰り返すですかね。
モルモンでは、「暴徒による迫害」とは言ってますが、それが、既存のキリスト教組織だとは言ってないんじゃないですか?
そもそも、ジョセフスミスが、殺されたのは、宗教的対立が原因なんでしょうか?
私の個人的な感覚では、宗教上の主義主張とは直接関係ないように思えるんですが。
後になって、「宗教的迫害」「殉教」と言う話になったような気がします。
>後になって、「宗教的迫害」「殉教」と言う話になったような気がします。
見方によってはそうなんでしょうね。
キリストや使徒たちの殉教もローマの視点、ユダヤ教指導者の視点、民衆の視点と色々あったんでしょうね。
末日聖徒に限らず新宗教の起こりは似たように事象があるんでしょうね。
ペテロやパウロの殉教も「宗教上の主義主張とは直接関係ない」のかもですね。
そうやって肝心なところで不必要な庇い立てをするから、彼が反省をする機会を奪っているのです。
真珠湾攻撃当日、ゼロ戦は爆弾搭載していない。機銃弾薬供給生産間に合わずで1機あたり予定の1100発ではなく150発のみ。
97式艦上攻撃機は高高度(3000メートル付近で投下)から投じる水平爆撃(大型爆弾搭載(魚雷1本以外に、800キロまたは60キロ6発)、命中率低い そのため5機編隊を組んでの攻撃 機銃は前方にない、後部座席に旋回機銃(通常後ろやや上向き)がひとつだけ)
99式艦上爆撃機は急降下爆撃(高度400~600メートル)で命中率高い。前方機銃(操縦席前方および翼内)あり。
スタウト氏の日記からしてその機体は99式艦撃ということなんでしょうが、当日爆弾は1個だけの搭載だったというコメント(英語)が、本当かなぁぁ・・・研究者によると99式では60キロ爆弾2個と250キロ爆弾が1個搭載だな。
研究者によれば弾薬の制限もあったり戦果という面からも飛行隊搭乗員は軍事施設以外を攻撃しないよう命ぜられていたんだと。無駄弾を最小限にするよう搭乗員は心掛けていたんだと。
2001年同時テロの約半年前に公開されたCG駆使のハリウッド映画『パールハーバー』では、史実にない、日本軍機による民間人や病院施設、沈没艦から逃れ海面を漂う兵士たちへの機銃掃射シーンがある。
そのスタウトさんが話した・一軒ごとの訪問中に、その御仁、後に教会員になったというさらにおひれがついた話もあったり・・・
どうもフォーラム記事にある97式艦攻の小原さんではなさそうな・・・検証された自衛隊員の早見氏の再登場お願いしてもらってそのへんご意見聞いてもらえないでしょうかぁぁ・・・NJさぁぁんん!!!
その英語のコメは・・・「azJuly 21, 2018
Researching this, I wanted to find support for this story. So I looked first at simply what was feasible. While there are variations on this story ・・・
」
https://latterdaysaintmag.com/is-this-story-true-pearl-harbor-pilot-couldnt-bomb-hawaii-temple/
スタウト会長
http://www.mission.net/japan/kobe/misspres.html
アメリカ教会員で読んだ人、多くはfaith promotingとかいう範疇で、作り話という結論が大方ですかねぇぇ・・・
今このコメ読んでるあなたさまのご意見は??
ゼロ戦 爆弾搭載なし
http://www.warbirds.jp/ansq/12/A2003719.html
内容の話なら、多少の脚色や非真実な事柄、フィクションもやむなし、寛容みたいなのが風潮・主流なんでしょうかぁぁ・・・
ポール・H・ダン(1924-98)の話もありますな、13年上だにゃ・・・
他にネットでは、匿名のコメントで昔のチャーチ・カレッジ・アイダホ(現BYU・アイダホ)で学生の時、『教義と聖約』のクラスで、その先生が言うにはハワイで姉妹宣教師であった時、その日本人真珠湾攻撃搭乗員の改宗者のお話会(ファイア・サイド)に出席しましたんだと、で、彼は、前もって上官から何度もライエ神殿の形やその位置等を攻撃目標として説明・指示をされたと話したんだそうな・・・
まぁぁじぃ??!!
まぁ、ウソだとして、投稿者がウソついてるのか、はてまた、そのアイダホの2年制大学宗教科先生による、さらなる?フィクション・虚偽宣伝・粉飾・誇大妄想・まやかし・ペテン・ファンタジー・ロマン・空想・伝言ゲーム・受け売り・夢見・芝居・見せかけ・デマ・嘘報・眉唾・錯覚・架空・こしらえ事だったのかぁぁ・・・まぁ彼女もスタウト氏とアイダホ出身、うぅぅんん、アイダホの人は正直な人という印象が昔あったもんで・・・それとも、その改宗した日本人が欺いてた?!・・・
デゼレト新聞の記事ではそのような改宗日本人はいないとも・・・
たまWEB、最初に思ってたのは、建前の上でも、大前提として、メンバーシップ・会員記録の探索・調査の要望に管理本部は応じない規則があると聞いた記憶があったもんで、それからすれば・・・基本、どうにも確かめようがないんだと・・・
伝道会長の79-80年というと菊地流ベースボール・バプテスマの時、伝道会長としては菊地流には乗らなかったんでしたかね??
創作を事実だと信じ込んでいる人たちに、何が真実なのかと問いかけても無駄でしょう。
さらに言えば、陰謀論を信じ込んでいる人に、それは事実じゃないと説明しても聞き入れないことはご存知でしょ?それと同じですよ。
「嫌いな人の語る真実よりも好きな人の語るウソが良い」ハンナ・アーレント
陰謀論的なことはモルモン書にも出てるざんしょ・・・
第一攻撃隊隊長さん、後にクリスチャン牧師になってまんな・・
「淵田とジェイコブ・デシェーザーのアメリカでの伝道旅行
1945年11月、予備役編入。極東国際軍事裁判(東京裁判)では連合艦隊航空参謀として特攻で病院船2隻が沈んだことについて質問された[21]。1945年12月〜1946年3月、第2復員省勤務。史実調査部、GHQ歴史科嘱託として戦中資料の整理研究を行った。その後、正規海軍将校のため公職追放となる[22]。
戦後、元空軍軍曹のジェイコブ・デシェーザー宣教師の書いたパンフレットを読みキリスト教に関心を持つ。
1950年6月、日本基督教団堺大小路教会の斉藤敏夫牧師主催の平和集会に共鳴し1951年、斉藤牧師司式のもと洗礼を受けた[23]。以降淵田は1952年から1957年まで8度にわたりアメリカへ伝道の旅に出かけた[24]。キリスト教の伝道をする淵田には海軍仲間の批判、アメリカのリメンバーパールハーバーの声、元特攻隊が刀を持って押し入るなど障害も多かった。しかし淵田は自らが「真珠湾の英雄」であることを伝道の武器にし、戦争は互いの無知から起こったとし、謝罪ではなく互いに理解するため戦争の愚かしさ、憎しみの連鎖を断つことを訴えた[25]。
1966年、米国の市民権を得る。晩年は大阪水交会会長を務める。1976年5月30日、糖尿病の合併症により死去。入院中は、見舞いに訪れた来客とは日本語で会話していたが、当時アメリカに留学していた娘とは英語で会話していたという。葬儀は海軍関係者向けに神式、その他向けにキリスト教式に別々で執り行なわれた
」(wiki)
真珠湾 淵田
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE%20%E6%B7%B5%E7%94%B0
こういったことがヒントになっておひれつけたのかもっすな??、そのアイダホの・・・
https://search.yahoo.co.jp/image/search?ei=UTF-8&p=mary%20hess%20ricks%20college
https://www.religiousforums.com/threads/i-just-like-this-wwii-story-about-laie-hawaii-temple.43255/
本当だったのかどうか??
折りしも、たまWEB、この創作?のに遭遇したのは星占いでいう水星逆行時なんだわさぁぁ・・迷宮入り的なのか・・・8月1日には順行に・・・
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=99%E5%BC%8F%E8%89%A6%E7%88%86%20%20%E6%A3%BA%E6%A1%B6
原爆地上起爆というのもあるっすな、こういったところが真相に迫ってるんだと、たまWEB的には・・・
そういう歴史知らされず、また戦争へと人口削減アジェンダにそって・・・
真珠湾 秋元
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE%20%E7%A7%8B%E5%85%83
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E3%83%9A%E3%83%86%E3%83%AD%20%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3