日本聖書協会が発表したところによると、2018年に出版された「聖書協会共同訳」は13%に留まり、最も多かったのは「新共同訳」で80%を占めている。末日聖徒が使用している「口語訳」は5%であった。
数字は2019年11月1日~2020年10月31日の期間で、頒布総数は文語訳を含めて261,513冊である。(「2020年度日本聖書協会年報」)。
口語訳は1955年に出版されており、76年も経過している。末日聖徒は新共同訳か思い切って「聖書協会共同訳」(私は略してJBS共同訳と呼んでいる。JBS=Japan Bible Society)を併用し始めてもよいのではないかと思っている。少なくとも会員が個人で併用することに何の問題もないと思う。英語で欽定訳以外に現代英語訳聖書を参照する会員が出始めているのと同様である。
現代の邦訳聖書の流れをざっと見てみると、次のように言えると思う。
口語訳・・文語訳(大正改訳)の口語体改訳。米のRSV (Revised Standard Version 1952年)の影響を受けて、死海写本のイザヤ書の読みを13カ所採用し、Jehovaは「主」としている。1955年出版。土岐健治一橋大名誉教授の評価は高い。
新改訳・・上記口語訳に対し、福音主義派が1970年出版(いのちのことば社発行)。神の言葉に誤りはないとの立場をとる教会を中心に広く使われてきた。この聖書も「新改訳2017」を出している。
新共同訳・・プロテスタントとカトリック教会が共同で1987年に出した聖書。翻訳理論でナイダの動的等価(dynamic equivalence)を重視したもの。そのため敷衍的な面が見られる(語数が多くなりがち)。読者の理解を第一とした。
聖書協会共同訳・・礼拝における朗読に堪える格調を考慮、簡潔で締まった日本語の訳文を目指した。翻訳原則を動的等価から逐語訳に戻している。2018年出版(この版には引照と註が添えられている。)
口語訳のようにウィキにする、パブリック・ドメインに、とかってはしないのかな??
> それはご容赦いただきたく・・
さよかぁぁ・・・
> 我が家を末日聖徒に導いてくださった故牧兄弟は「太陽の子を育てる」という本を出しました。
前にあれしたかもですが、息子さん、20年?近くも前だろうか、ワードで(旧)長老定員会会長さんでしたぁぁ(ま、転入はたいてい1,2年くらいで転出・・)。
伝道中、苦しくもつらい時があって、その時夢を見たそうな。家のピアノが置いてある部屋で、父親がひざまずいて伝道出てる自分のために祈ってくれてる姿がありあとり見え聞こえたんだそうな・・
>最も重要な理由は、預言者としてのジョセフ・スミスと、宗教的・歴史的文書としてのモルモン書の両方に対する不信感です。
ま、モルモン書も自身で祈りをもって取り組まないことにはねぇぇ・・
いる聖書」という判断と記憶している
だから当時は「口語訳」だよね
その後キリスト教界は「新旧歩み寄り」の時代
そのため双方が「妥協できる」内容の聖書が必要になった
だから「どの翻訳が良いか」ではなくキリスト教界に必要な聖書になっているということ
当教会としては、「新共同訳」か「聖書協会共同訳」のどちらにするか判断がむつかしい
聖書協会共同訳はまだ評価が定まっていないだろうし
キリスト教会から文句が出て、また改定なんてことは十分に考えられる
多分、いつまでも変更は続くだろうね
「妥協案」というのはむつかしいよ
あの重たい聖典群は他の多くの資料とともにタブレットに収まってます。
キーワード検索も縦横無尽な夢のような環境が整いつつありますね。
聖書協会共同訳は今後のスタンダーになりえるでしょうが、
まだ電子版が発売されていないのが普及の足枷のよう、
しかし、それは入れ替えの戦略でしょう。
>2018年出版(この版には引照と註が添えられている。)
https://www.bible.or.jp/online/jbsiv.html
聖書協会訳聖書として初めて聖書全体に引照と注を付す
(スタンダード版には付きません)
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最近引照と注を省いた廉価版もでたようです。
デジタル版は口語訳をはじめ、ほとんどが無料に近い価格で手に入るので在庫整理を睨みながらの普及活動になりそうですね。
オムナイ所望の欽定訳日本語版は絶望的なので、
こちらが底本らしい文語体の訳を楽しんでいます。
https://www.nishikobe-kyokai.or.jp/bible/meijigenyaku.htm
明治時代にプロテスタント宣教師達によって翻訳された日本語訳聖書で底本はジェイムズ王欽定訳(KJV--King James Version)です。
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明らかな翻訳ミスが何ヵ所も指摘されている欽定訳に何でこだわるのか分かりませんが、DeepLで自己翻訳すれば良いじゃないの?
日本聖書協会のつらい立場は良くわかる
どんなに頑張っても新旧キリスト教会双方から、「満足だ」と言われる聖書を造るのはむつかしいよ
まあ、私としては内容がどう変わろうときにしないよ
世の学者達は聖書の歴史的真実性に関心があるようだが、私は全く関心がないよ
宗教書に「歴史的真実」を求めることは馬鹿馬鹿しいよ
宗教だよ。宗教
そもそも「歴史的真実」なんておよそ存在しないと考えた方が良い
あるのは、その時代にだけ通用する「多数派の推測」だよ
あくまでも「推測」にすぎない
「記録」があれば、必ず「記録者」がいるわけだ
記録者は必ず「個人的な主観」に基ずいて書いている。
物事を正しく、文字で表現することはできない。それは不可能なんだよ
事象は全て「三次元」なんだよ。「二次元」であろ文字によって事象を正しく伝えることは不可能なんだよ
大昔の出来事に対して「近年の研究により明らかになった」なんて記事を時々見かけるが
そもそも、「近年の研究によってあきらかになった」というなら、さらに時代が進めば、違うことが明らかになる可能性も大きい
科学の進歩によって明らかになったのなら、さらに科学が進歩しているであろう将来には、今の見解を否定する発見がある可能性は大きい
事実、科学の進歩というのは、「今ある事実を否定すること」なんだからね
「科学の進歩によって」という理由をつけるかぎり、永遠に「事実」はあきらかにならない
とりわけ宗教書に「歴史的事実」を求めるのは、私には全く理解できない
はっきりと言いたい「それは無駄なことだ」
当然、私はモルモン書も「正確な歴史」なんて微塵も思っていない
宣教師からレッスンを受けているときも、「モルモン経には事実が書かれています」なんて言葉は全く信じてないよ
そんなことは、まったく関心がないよ、宗教書なんだからさー、それが事実かどうかなんておよそ関係ないよ
だから教会幹部が言う「モルモン書は教会の要石」なんて言葉は馬鹿馬鹿しい言葉だよ
この教会の真実性は「御霊」によってのみ証明される
「証拠らしきもの」なんていらないのだよ
「御霊を受けた者は、教会が真実であることは疑いもなく分かる」
「御霊を受けていないものは、どんなに真面目に研究しても、教会が真実であると確信することはできない」
「確信を持てない者」は色々証拠を集めようとするのだが、「反対の証拠らしきもの」によって簡単に確信らしきものは粉砕される
まぁ正確に翻訳されていないと言う評判の欽定訳聖書をいつまでも使い続けるのもいかがなものかと。
キリスト教仲間入りさせてもらってぇぇ、聖書だけに~なんてなったら、かなりやばい気が・・何故、もっとモルモン書強調をは、無かったんかいな?? キリスト教の持つ負の遺産に対しての答えは聖書からではなくモルモン書でしか??
“2020年4月4日、教会の大管長 ラッセル・M・ネルソン 教会がクリストゥスのイメージを特徴とする新しいシンボルを使用すると発表しました。”
❝わたしたちが「主の教会の正しい名称を回復するために全力を尽くすならば」,主は「末日聖徒の頭に,わたしたちが今まで見たことのないような力と祝福を注いでくださる」と,わたしは以前に約束しました。今日,その約束を新たにしたいと思います。
シンボルの中心に位置するのは,トルバルセンが創作した大理石のクリスタス像の絵です。御自分のもとに来るすべての人を受け入れようと手を差し伸べておられる,復活された生ける主を表現しています。
多くの人は,このシンボルに親しみを感じることでしょう。なぜならわたしたちは,復活された生けるキリストこそ,回復された福音そのものだとずっと識別してきたからです。
今後,このシンボルが用いられることで,教会公式の文献やお知らせ,各種イベントを視覚的に見分けられるようになるでしょう。7このシンボルは,これが救い主の教会であることを皆に連想させるものであり,また主の教会の会員として,わたしたちのあらゆる行いがイエス・キリストとその福音を中心としていることを思い起こさせてくれるものです。・・
助けを求めて天を開かん ラッセル・M・ネルソン 2020 4月 総大会
❞ https://www.churchofjesuschrist.org/study/general-conference/2020/04/37nelson?lang=jpn
「キリスト教はコロナといかに対峙したか? いま、宗教の役割とはなにか
人はいつも神との関係を誤ってきた。そうでなければ、「不信心者」や「異教徒」、「野蛮人」「危険な人々」や「不都合な人々」を神の名のもとに殺し続けてはこなかったはずだ。 ・・・
」http://www.webchikuma.jp/articles/-/2438
「日本人とキリスト教:なぜ「信仰」に無関心なのか?
当時の日本の知識人の中には、欧米諸国はキリスト教によって国民の道徳を維持して国を発展させていると考え、日本も彼らに追いつくにはキリスト教を採用するのが得策だと主張する者もいた。日本の有名大学の一つである早稲田大学の創設者・大隈重信(1838〜1922)も、キリスト教を道徳的な教化の手段としては評価したのだが、それでも最終的には「怪談奇談」、つまり単なるフィクションのようなものとしか見なさなかった。当時の日本人が求めたのは、日本を開化し発展させるための現実的な「教え」であり、キリスト教は「道徳」や「教育」など限られた角度からのみ利用される傾向が強かったのである。
」
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00769/?pnum=2
キリスト教 欧米 侵略
https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%20%E6%AC%A7%E7%B1%B3%20%E4%BE%B5%E7%95%A5&ei=UTF-8
「●カナダ先住民の子供たち215人はいかにして闇に葬り去られたのか? | カトリック教会はその死を記録せず「行方不明者」にしていた | クーリエ・ジャポン
https://courrier.jp/news/archives/250661/
【私のコメント】
鬼畜米英の犯罪行為の中枢部隊がキリスト教の教会だった。キリスト教を禁止した秀吉や徳川幕府の正しさが立証された。
」
https://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/f465a99dcfd1a1805ce59baf2d22b53b?st=1#comment-list
“カナダ先住民同化政策・・迫害と虐殺”
https://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/d20f36026500878c8f57024f3bc6094c
で?一番早く眠れるのはどれ??
ちょっと極端すぎる表現だったなー
だから「モルモン書は嘘だ」というのでもないよ
まあ、「関心がない」というか、私にとって大して重要ではないという意味だよ
聖書の無誤性(せいしょのむごせい、英語: Biblical inerrancy)とは、
聖書が原典において全く誤りがない神の言葉であるという、
聖書の教理の前提である。
この立場では「歴史と科学の分野を含んで完全に正確」であり、誤りの部分はないと主張する。
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聖書無謬説
「無謬」:教理や道徳に関する聖書の言及において、誤って導くことがないこと。
「無誤」:聖書の歴史的、科学的言及において、誤った内容のないこと。
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モルモン書や他の聖典も含めて末日聖徒の信仰は明らかに
無謬(むびゅう)的な立場だったわけで。
それを無誤的宗教だと新芽の信仰のうちに誤解してしまうと離れる原因になりやすのかもですね。
リエスさんが考察していたように仲間を失うと寂しさや悲しさの言い訳から教義や教会を批判したくなるのでしょうか。
深い恋愛関係が破綻すると相手を激しく罵倒しなくては立ち直れない、次の恋愛に進めない傾向があるとか。
反モルモンに、ある指導者は「山奥に行って叫べば良いのに」と言ったとか。
ジョセフ・スミスは「あなたは何も分かっていない」と言われたとか。
さすが天才宗教家・本物の預言者は人間を良く分かっていらっしゃる。