ペンギンクラシック叢書 The Book of Mormon
このことは、モルモン書がチャールズ・ディッケンズやシャーロ
ット・ブロンテなどの文学作品と並んで、将来大学の授業で取り
上げられる可能性があることを意味している。
ペンギン版モルモン書の本文(text)はモルモン書1840年版に基づ
いている。それはジョセフ・スミスが在世中最後に改訂の手を加
えたものだからである。当時の版の通りずっと長い章区分で、節
に分かれておらず、普通の小説の赴きが感じられる散文形式であ
る。(物語の内容と展開に応じて一つの章もいくつかの段落に分
けられている。見出しは章の初めにもない。1830年初版と同じ。)
序文を北カロライナ大学でモルモニズムを講じてきた宗教学教授
マフリ・キップ(Laurie F. Maffly-Kip、非会員)が書いている。
キップ女史は、他の独創性に富む作品と同様モルモン書は信じる
者に新しい世界観をもたらし、19世紀から21世紀にかけて教徒に
神聖な真理として受け入れられてきた、と見る。そして、そのよ
うな信者の立場に立とうと、あるいは時空を伸張させて「現在」
を異なった視点で見る創造の産物であると見ようと、モルモン書
は大変複雑多岐にわたる人類の文明、歴史記録、編集作業を織り
込んだものとして注目すべきである、と言う。
そしてモルモン書をどう受け止めるかについて二つのことを提案
している。ひとつはモルモン書と聖書の密接な「テキスト間相互
関連性」(あるいは「間テキスト性」Intertextuality)に注目して
読み、ある書物が「聖典」と見なされるに至る優れた例をモルモ
ン書に見出すことである、と言う。もう一つは、この書をジョセ
フ・スミスの創造の産物と見なす人であっても、「新しい社会に
新しい意味づけをし、また神聖な意味と神の霊感を付与した世界
に自分はもちろん家族、友人を招き入れることによって、世界再
生を試みようとした非凡な創作である」、と見る考え方である。
ネート・オーマンは、末日聖徒の少なさとモルモン書の幻想的起
源のゆえに非教徒でこの本を読もうとする人はあまりいない(コ
ーランや聖書は関心を寄せる人々がいる)、しかし、近年lds側
に護教的に止まらない真剣な学術研究の萌芽が見られ、モルモン
書を取り巻く状況に変化の兆しがある、と言う。このペンギン版
の登場もこの状況変化を反映するものである。ただ、今後これま
で以上に解釈面で豊富な研究成果の提出が求められる、とオーマ
ンは記事を結んでいる。オーマンはWilliam & Mary大学法学大学
院助教授、モルモニズムに関する投稿で知られている。
http://nboman.people.wm.edu/
Sources: Penguin Classics, The Book of Mormon, Translated
by Joseph Smith Jr., Introduction by Laurie F. Maffly-Kipp, 2008
http://www.timesandseasons.org/index.php/2008/11/the-canonization-of-the-book-of-mormon/#more-4859
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洋書コーナーにモルモン書が置かれる
可能性がある。ということですね。
モルモン書は不当に無視されている
と感じていたので、やっとというか…
昔むかしNJさんがモルモンフォーラムで
世間がモルモン書の凄さを認める日がきっとくる
と言っていたのを思い出しました。
そうですね。その可能性は極めて大、と思います。ペンギンブックスのコーナーなどに。
「・・の凄さを認める日がくる」ええーと。そのような表現を記しましたっけ?ちょっと調べてみます:-)
NJさんは控えめな表現をしますから。
さらに直接NJさんのコメントではないかも。
とはいえモルモンフォーラムから読み取れた意識は
「モルモン書(ほか末日正典含む)は批判的な研究に堪えられる価値ある文書である」でした。
当時の私はその動機の裏にあるモルモン書の歴史が創作であったとしても意味があるのだろうかという問いに相当反感を感じたいたのも確かでした。