以前にも転載させていただいた池川寿雄兄弟が、他のサイトに大変解かりやすい見解を載せておられたので、転載許可をお願いしたところ快諾を得ることができた。
--- --- ---(以下転載)
私も知り合いの兄弟たちも出産は不可能ですが、やがて「男性と認められた人」が出産することも可能な時代がくると思います。この世にはご存知のようにトランスジェンダーと呼ばれる人々が存在致します。 例えば「体は女性なのに心は男性であるという人で男として生きたいと願っている人」です。
トランスセクシャルのように性転換手術を望まず、恋愛対象も様々な人がいるのですが、現行の法律が変わり、そのような人が自分で性別を選べる時代になれば、女性の体を持った男性ですから出産できる時代もくると思います。
どこかに書きましたが、世田谷の区議さんは、体は男性ですが心は女性です。その区議さんのパートナーは、反対に体は女性ですが心は男性ですので、法的に結婚できますし、出産も可能です。要は法律の解釈次第といったところです。
教会も法に従う組織ですから、法的に男と認められたものを否定できなくなると思います。そうなれば、法的に男性と認められた「女性の体をもった男性」(教会でいうところの女性)にも神権を与えるべきですし、そのような立場の人に神殿の祝福を開放する必要も出てきます。それゆえ女性の神権付与に先だってLGBTの問題が検討されると考えています。
[注 LGBTとは、女性同性愛者(Lesbian)、男性同性愛者(Gay)、両性愛者(バイセクシュアル、Bisexual)、そして性転換者・異性装同性愛者など(Transgender)の人々を意味する頭字語。1990年代から使われ始めた。]
これは人権にかかわることであり、先進国の流れとしては第三の性が認められていく方向にあります。モルモンが昔からの教義や方針を基に改革を滞らせるなら、神権の問題のように差別主義というレッテルを貼られる可能性がありますので、教会としても早急に答えを出す必要に迫られると思います。
同性婚やLGBTの問題が世間で法的に解決されれば、モルモンは法律を遵守する民ですので、本人が男として生きたいと望めば、女性の体を持っていても男として登録されることを認めざるを得ないと思います。前述の例のように、男性が子供を産むことが出来ますし、法律で男と認められた人を教会が否定したり、神権を授けないなら問題になると思います。
聖句にあるように、神はその人の心を見られるので、もちろん神の教会も心を重視する必要があると思います。私は、LGBTの問題を解決した後に、女性への神権付与が開放される気がしています。
またジョセフは志半ばで凶弾に倒れましたが、その視野の中に女性の神権職への登用もあったかもしれないと考えます。旧約の制度回復にともない、女預言者、女祭司という職が出てきてもおかしくないと思うのです。
教会は世の流れに追従する歴史がありますので、もしかすると世の中に明確な指針を出してほしいのかもしれません。そうなると動きやすいと思います。
マッコンキー長老が言われたように「限定された知識」の元で教会を導いてきたわけですから、教会は今光を求めているのかもしれません。
John Dehlinのような同性愛結婚支持者を破門に処することは逆行することになりますが、会員には越権行為を慎んで欲しいのかもしれません。変更には手順があり、その部分は一般信徒にとってはアンタッチャブルであると感じます。
以上の二点、LGBTの問題と女性の神権職への登用を支持したことが破門の対象になるとすれば、この二点こそクリアすべき問題なのでしょうね。ここを乗り越えれば教会もさらに成長のコマを進めることができると感じています。やがて方針の転換があると期待しているのですが、反対する聖徒はそんなにたくさんいるのでしょうか?
特にLGBTはふた昔前は、倫理的な問題でしたが、現在は捉え方が変わっているように思いますので、一般信者が理解を示し、容認する世論が大きくなれば自然に指導者も問題に真正面から対峙し、受け入れるための理由を考えていくと思います。
--- --- --- (転載終り 一部言葉使いなど編集しています)
遠くない将来、末日聖徒イエス・キリスト教会できっとそうなるであろうという展望を理路整然と説いていて、説得力があると感じた。それでここに転載させていただいた次第である。
[Enlarge Mormons parade in Salt Lake City, June 3, 2012. Photo by Jim Urquhar of Reuters]
参考
このブログ 2011.07.20 同性愛 - - 同志社大小原(こはら)教授の解説
2011.03.19 「同性愛に関するパッカー長老の説教、論争を引き起こす」
--- --- ---(以下転載)
私も知り合いの兄弟たちも出産は不可能ですが、やがて「男性と認められた人」が出産することも可能な時代がくると思います。この世にはご存知のようにトランスジェンダーと呼ばれる人々が存在致します。 例えば「体は女性なのに心は男性であるという人で男として生きたいと願っている人」です。
トランスセクシャルのように性転換手術を望まず、恋愛対象も様々な人がいるのですが、現行の法律が変わり、そのような人が自分で性別を選べる時代になれば、女性の体を持った男性ですから出産できる時代もくると思います。
どこかに書きましたが、世田谷の区議さんは、体は男性ですが心は女性です。その区議さんのパートナーは、反対に体は女性ですが心は男性ですので、法的に結婚できますし、出産も可能です。要は法律の解釈次第といったところです。
教会も法に従う組織ですから、法的に男と認められたものを否定できなくなると思います。そうなれば、法的に男性と認められた「女性の体をもった男性」(教会でいうところの女性)にも神権を与えるべきですし、そのような立場の人に神殿の祝福を開放する必要も出てきます。それゆえ女性の神権付与に先だってLGBTの問題が検討されると考えています。
[注 LGBTとは、女性同性愛者(Lesbian)、男性同性愛者(Gay)、両性愛者(バイセクシュアル、Bisexual)、そして性転換者・異性装同性愛者など(Transgender)の人々を意味する頭字語。1990年代から使われ始めた。]
これは人権にかかわることであり、先進国の流れとしては第三の性が認められていく方向にあります。モルモンが昔からの教義や方針を基に改革を滞らせるなら、神権の問題のように差別主義というレッテルを貼られる可能性がありますので、教会としても早急に答えを出す必要に迫られると思います。
同性婚やLGBTの問題が世間で法的に解決されれば、モルモンは法律を遵守する民ですので、本人が男として生きたいと望めば、女性の体を持っていても男として登録されることを認めざるを得ないと思います。前述の例のように、男性が子供を産むことが出来ますし、法律で男と認められた人を教会が否定したり、神権を授けないなら問題になると思います。
聖句にあるように、神はその人の心を見られるので、もちろん神の教会も心を重視する必要があると思います。私は、LGBTの問題を解決した後に、女性への神権付与が開放される気がしています。
またジョセフは志半ばで凶弾に倒れましたが、その視野の中に女性の神権職への登用もあったかもしれないと考えます。旧約の制度回復にともない、女預言者、女祭司という職が出てきてもおかしくないと思うのです。
教会は世の流れに追従する歴史がありますので、もしかすると世の中に明確な指針を出してほしいのかもしれません。そうなると動きやすいと思います。
マッコンキー長老が言われたように「限定された知識」の元で教会を導いてきたわけですから、教会は今光を求めているのかもしれません。
John Dehlinのような同性愛結婚支持者を破門に処することは逆行することになりますが、会員には越権行為を慎んで欲しいのかもしれません。変更には手順があり、その部分は一般信徒にとってはアンタッチャブルであると感じます。
以上の二点、LGBTの問題と女性の神権職への登用を支持したことが破門の対象になるとすれば、この二点こそクリアすべき問題なのでしょうね。ここを乗り越えれば教会もさらに成長のコマを進めることができると感じています。やがて方針の転換があると期待しているのですが、反対する聖徒はそんなにたくさんいるのでしょうか?
特にLGBTはふた昔前は、倫理的な問題でしたが、現在は捉え方が変わっているように思いますので、一般信者が理解を示し、容認する世論が大きくなれば自然に指導者も問題に真正面から対峙し、受け入れるための理由を考えていくと思います。
--- --- --- (転載終り 一部言葉使いなど編集しています)
遠くない将来、末日聖徒イエス・キリスト教会できっとそうなるであろうという展望を理路整然と説いていて、説得力があると感じた。それでここに転載させていただいた次第である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7a/d8/e35e18e2e569debb868a2249a9d360a4_s.jpg)
参考
このブログ 2011.07.20 同性愛 - - 同志社大小原(こはら)教授の解説
2011.03.19 「同性愛に関するパッカー長老の説教、論争を引き起こす」
>教会も法に従う組織ですから、法的に男と認められたものを否定できなくなると思います。
実は性というのは生物学上も曖昧な定義でありまして、社会では多くの場合外性器で決められてしまいます。
性転換が認められれて法的にも性が変わってしまえば現在でも末日聖徒は結婚を否定していないでしょう。
そういう意味では現在でも開かれているわけですが、性転換手術なしにその人の心によって自分の性を選べる時代になれば良いですね。
問題は性は結婚の欲求に関係がないと主張する人々もいるので、そこは結婚は男女間のもと主張する教会との溝は残ってしまいます。
つまり真実の性でも同性婚を望む人はいるのです。
私は女性の神権問題は同性婚問題の延長線上にはないと考えていてます。
本来の性を選べる運動は男女の役割を強調する思想だからです。
女性が神権を持てるとすれば黒人の神権問題のように黒人本人や周囲の末日聖徒の望む声が大きくなったときでしょうね。
しかし、現在も多くの末日聖徒女性は与えられている指導的役割に満足しており、この先も神権の付与は男性に限られたままだと予想します。
女性神権は、今のところそのような予言がありませんし、難しいように思われます。 差別かと言えば差別かもしれないが、根本的な部分は変えられないと思います。
同姓婚問題については、科学の発達によって医学的な病気かそういう嗜好だけなのか明確に見分けがつくようになれば、教会もいつまでも外見だけの判断にならないように思われます。 その時は神殿結婚ということになるでしょう。
復活の日には不治の病気も治るわけですから、教会が神殿参入を留めておける理由はもはやないでしょう。 つまりこれについては、時が解決するでしょうね。
教会が認めてもいないことをさも事実であるかのように喧伝するのは、いかがなものでしょうか?
同性愛についてはまず公式サイトをよく読み、それから自分の考えと調和しているかどうかよく考えられることを強くお勧めします。
過去においても現在も、まことの生ける主の教会が同性愛を「良し」としたことは一度もありません。
この問題については素人が付け焼刃の知識で医学だの人権だのと口する前に、主が私たちに与えられた予言者がどのように教えているか、まずそこを考えるべきなのです。
古代の使徒や預言者は,非難されるべき無数の罪について言及しています。その多くは性的な罪でした。――姦淫,自然な愛情の欠如,肉欲,不貞,自制心の欠如,汚れた言葉,不純,情欲,私通。これらには結婚関係にないあらゆる性的な関係,すなわち,ペッティング,性倒錯,自慰,および性のことばかりを考えたり語ったりすることが含まれています
(中略)
もし〔同性愛〕の欲望や傾向があるならば,ペッティングや不貞や姦淫に対する衝動がある場合と同じようにそれらに打ち勝たなければなりません。主はこのような行為を,姦淫やそのほかの性的な行為と同様に激しく非難し,また禁じておられます。
(歴代大管長の教え スペンサー・W・キンボール P.180-181)
http://ldschurch.jp/bc/content/Japan/gospel-library/manuals/teaching-of-prophets/of-the-church/36500_300_spencer_w_kimball.pdf
このように「主」ご自身が同性愛を罪であるとはっきり断言しているのです。主はキンボール大管長を通して黒人に神権を与えられました。その同じ予言者が、同性愛は罪だと明言しています。
あなたがた知的モルモンは浅薄な人間の知恵で一方を受け入れ、一方を否定するのですか?
また神権の義務と祝福、『第34課:道徳的な清さ』では教師は以下のことを教えるようにしなければいけません。
清さに関する神の律法
人間が自分の好みに合わせて性的な罪に関する律法や戒めを変えようとしても,神は決してそれらを変えることはなさらない。純潔の律法とは,配偶者以外のだれとも肉体的な関係を持ってはならないことである。主はこのように命じられた。「あなたは姦淫かんいんしてはならない。」(出エジプト20:14)しかし,純潔の律法は姦淫だけに限定されず,この神聖な力を不正に用いるすべての行為に適用されるのである。
•この力を誤って用いるのはどのような場合だろうか。(答えを黒板に書く。)
神聖な力の不正な行使
•同性愛
•堕胎
•自慰行為
https://www.lds.org/manual/duties-and-blessings-of-the-priesthood-basic-manual-for-priesthood-holders-part-a/gospel-principles-and-doctrines/lesson-34-moral-cleanliness?lang=eng&clang=jpn
このブログに書き込まれる知的モルモンの方々は普段は日曜学校や神権会で教師をしておられるようですが、そこで「清さ」について何を教えますか?はっきりと予言者の言葉を伝えていますか?
自慰行為はダメだけど同性愛は構わないなどと言うのであればそれは神の教えではありません。
豚さんに尋ねたいですが、冗談でも副監督(当時)であった人が、私はポルノ小説を書いているなどと言えるでしょうか?
法が認めれば教会もとは単純にはいかないかも。
神殿結婚は同性婚を認めないとかなって欲しくないなぁ。
そもそも末日聖徒の教えの肝は原則を文字通り実践するのではなく、霊によって生かすところでしょうから、配慮が望まれます。
私は得られる情報を精査し、状況を観察して、見通しを得たいと心がけています。信仰については、人々の信仰を、また礼拝や個人の生活における敬虔を尊重し、教会の働きに協力的であるように努めています。
フェースブックでの活動は、閉じられたグループでしか発言していません。普通の会員の目に触れるものではありません。それでも穏やかなトーンで語っています。公開された場所では教会や信仰について述べたものはほとんどないと思っています。
HNにつきましては失礼いたしました
>私は末日聖徒イエス・キリスト教会が唯一まことの神の教会であることを証します(笑)
以前はこの言葉を投稿の末尾につけておられましたね。
それで、私は(笑)がついているので、「私は末日聖徒イエス・キリスト教会が唯一まことの神の教会であることを証します」と言う言葉を揶揄するか否定しているのだと思いまして、「やれやれ」さんと混同してしまいました。
申し訳ありません。
今回の書き込みも、
「私は末日聖徒イエス・キリスト教会が唯一まことの神の教会であることを証します(笑)」
をつけた方が、読者は、書き手の思惑が理解しやすいのではないでしょうか?
ご質問の件ですが、失言の責任を取り辞任しました。
「ろっくん・R・きっこーまん」と言うハンドルネームを、真面目な教会員が使うとは私には思えません。
再度、ハンドルネームと、末尾の決まり文句を戻されるよう、切に希望します。(笑)