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[言葉] 「相違はあって然るべきもの」(グレゴリー・プリンス)

2015-01-17 16:53:56 | モルモン教関連
[グレゴリー・プリンス]

ダイアログ誌の編集員であったグレゴリー・プリンスは、昔BYUの理事会で本学教員がダイアログ誌に寄稿するのは望ましくない、とウィルキンソン学長が提議したところ、出席者の一人があの刊行物は全く価値がない、できるなら焼き捨てたいくらいだと応じた話を回顧している。そこに出席していたマッケイ大管長は、「理事の皆さん、この教会では本を焼いたりしません。次の議題にいってください」と述べたという。

プリンスはこの逸話に続いて次のように述べ、自身が経験した教会幹部と交わした会話を紹介している。

ダイアログ誌は教会員1万人に一人の購読者しかいないけれども、この刊行物を売り込もうとしているわけではない。言いたいのは、他の方法では手が届いていない教会員に、ダイアログ誌や同種の刊行物にはできていることを示したいのだ。事実、この季刊誌は多くの人にとって霊的な支えであり命を与えるものとなっている。すべての人は尊い存在であり、救いの手を差し伸べなければならないという主の勧告を受け入れるなら、効果のあるあらゆる手段を講じなければならない。最近、ある教会幹部と話していて、私はこう伝えた、「本誌のような刊行物があったために教会に留まった大勢の会員を私は知っています。でも、長老はそのような印刷物のせいで教会を去った教会員を三名でもあげることができるでしょうか?」彼はなるほどとうなずき、「そんな風に考えたことがなかった」と言った。

プリンスは相違から始まる多様性は、異なった様々な力を「賜物」と呼ぶパウロ(コリント前12章)と同様、むしろ「祝福」ととることができると、2011年メリーランド州ポトマックワードで聖餐会の話をしたのであった。

http://rationalfaiths.com/celebrating-differences/ 



かつての「モルモンフォーラム」誌もこのブログも、質量ともそれなりのレベルながら日本において同様の働きを果たしてきたのではないかと自負している。皆様のご理解とご協力をお願いする次第です。


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36 コメント

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第三の視点は。。 (オムナイ)
2015-01-17 18:07:10
NJさん著作の「第三の視点を探る」を読んだ時にも思ったんですけれども、第三の視点というのは客観的の意味というよりは第一は(保守的モルモン)で第ニは(批判的モルモン)でそのどちらでもない視点なのでしょうね。

ある意味両者の視点からも不快感を向けれられる恐れがある(^^;
故にはみ出しモルモンには新たな視点が開かれるのでしょうね。

このブログも10年以上ですかー
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Unknown (教会員)
2015-01-19 02:19:21
モルモン原理主義の宣伝VS反モルモンの宣伝ばかり、これじゃあ一般市民への正しい理解などは困難です。

そして第三の視点(リベラルの解説)ということでしょうね。
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福音のテーマ以上 (オムナイ)
2015-01-19 05:04:14
https://www.lds.org/topics?lang=jpn

第三の視点は翻訳された「福音のテーマ」と考察と結論が良く似ているんですよね。

量はそれ以上だと思います、よくぞ一人でここまでと思います。
おそらく教会への態度を決めかねている人や疑問を持っている人にはダイアログ誌のような効果があるでしょう。
このブログも含めて。

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お間違えなきように (ろっくん・R・きっこーまん)
2015-01-19 05:23:16
モルモン原理主義というのは、モルモン教の教えに基づき多妻結婚を現在も継承しているグループを言うのでありまして、それはNJ氏のいう第1の視点ではないと拝察いたします。

もっともNJ氏は何が第1、第2かを説明しておられません。著書は拝読いたしましたがどこにも記述はありませんでした。

あとNJ氏の背教的な言動を諌める教会員が最近増えてきているようですが、これでこそ末日聖徒だと感慨深く思います。サタンは純白の状態から灰色へ。そして徐々に暗黒の状態へと誘うのを常套手段にしていると教会幹部は繰り返し警告しています。

D&C88:81 見よ、わたしは、人々に証し警告するためにあなたがたを遣わした。警告を受けた人は皆、その隣人に警告しなければならない。
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さらにお間違えなきように (ろっくん・R・きっこーまん)
2015-01-19 05:41:20
末日聖徒イエス・キリスト教会の公式サイトに「福音のテーマ」というページがあります。
 ↓
https://www.lds.org/topics?lang=jpn

この内容は真理ではありません。
まずこれは「予言者が受けた啓示」ではありません。

また公式なものでもありません。
たしかに公式サイトの中にありますが、その内容は公式なものではありません。かつての機関紙「聖徒の道」によく質疑応答というコーナーがありましたが、そこには『問題解決の一助として示されたものであり教会の公式な態度を示すものではありません』と但し書きがありました。それと同様です。

教会でかつて使用されたテキストや幹部の著書、あまつさえ予言者の言葉をも『個人の意見に過ぎず公式なものではない』と言い切る知的モルモンの諸兄には言うまでもないことだと思います。

あなたがたがそれら神のものを否定するのとまったく同様の理由です。
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Unknown (たまWEB)
2015-01-19 08:11:52
“NJ氏の背教的な言動を諌める教会員が最近増えてきているようですが”、“沼野兄弟たちはごく少数派 (狼きらい(削除、再掲載)) 2015-01-17 23:09:36   沼野兄弟は、フェイスブックでは、無知からの誤解による誹謗中傷や暴言があります。神聖な多妻婚をジョセフ・スミスは、色情狂だった述べ、自分の意見が正しいと思っています。『モルモン書』はフィクション・・・・ ”とかってありますが、そのサイトのURL、見たいですので、教えてくれませんかいな?!
先週、ちらっと、NJさんのフェイスブック初めて見たんすが、今は見れなくなってる模様。そこには、そういった発信はなかったようで、どこかのフォーラム??

聖文を自身にあてはめるというのはその通りと思いますが、自身以外の教会員に聖句に照らし合わせ、背教と断ずるという聖句、聖文はどこになるですかね??

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大切なのは事実の確認 ()
2015-01-19 10:23:08
その発言が、擁護的であるか批判的であるかと言う選別は、真理を得るうえでまったく意味がない。

真理を得るうえで大切なのは、「何が事実なのか?」の追求です。

NJさんは、保守派からは「批判者」と見られ、改革派からは「擁護者」と見られている。

しかし、誰からどう見られていても、NJさんは一貫して、「事実の検証」を行っている。

もし、NJさんの表明している意見や研究に反論するのなら、その根拠となる資料や文献を提示して、「・・・だからあなたは間違っている」と言うべきであろう。

しかしながら、保守派改革派双方からの、そのような発言はまれである。

さらに、近年モルモン教会自身が、「何が事実だったのか?」を小出しながら表明し始めている。

ジョセフの最初の示現は、少なくとも4っつの異なるパターンが存在する事や、ジョセフが多くの女性を「妻」としていたこと、等がその例に挙げられる。

文献や資料によって裏付けされた「事実」がネット社会の広がりで、「世間に隠しようのない事実」となってきたので、後追いながら、モルモン教会自身がそれを発表する形で追認し始めている、と言う事だと思う。

今モルモン教会の会員に求められていることは、「事実を受け入れる」事ではないか。
たぶん、教会幹部もそれを願ていると思う。

もし自分がモルモンであると自認するなら、モルモンと言う十字架を背負わなければいけない。

事実は、隠すことも曲げることもできない、それは事実だから。
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真理胸に照り~♪ (やれやれ・・・)
2015-01-19 10:48:44
>もし、NJさんの表明している意見や研究に反論するのなら、
>その根拠となる資料や文献を提示して、
>「・・・だからあなたは間違っている」と言うべきであろう。

だってNJさんはご自分が間違っていることを追求されそうになると、「この話題はこの辺りで」って書込み禁止にして逃げちゃうんですもん(笑)

ずっと議論してくれるならいいですよ、いつでもお相手しますけど・・・

でもご自分のブログで恥はかきたくないでしょう。こちらにも仏心があるので追求はしないでいるのです。
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確認です ()
2015-01-19 11:38:54
本題と関係のないことで、恐縮ですが

(ろっくん・R・きっこーまん) さんと(やれやれ・・・)さんは別人なのですか?

差し支えなければご回答ください
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Unknown (教会員)
2015-01-19 23:46:33
末日聖徒イエスキリスト原理主義者も教会内にいて、人々を傷付け、温和な教会員に多くの迷惑をかけています。

原理主義というのは過去に予言者の誰々がこのように述べたことがある。 だから直ちに福音であって、他の末日聖徒も全員そう信じなければならない。 そうでない者は背教者であると様々な方法で攻撃する者のことです。

そのような人々の信仰方針が果たして神が喜ぶか?私は違うと思います。大管長会もある教会員がネット上で誰かを背教者呼ばわりすることは望んでいないと思います。 少なくとも恥ずかしい行為ですし、宣教師さんの足を引っ張ってることはあきらかでしょう。

 恐らく原理主義は罪の一種であり、いつまでも自覚がなければ救われないことになるでしょう。

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