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私は時折りギリシャ語新約聖書に目を通したりするとき、アラム語が母語であった弟子たちがギリシャ語も多少扱えたとしても、なぜ不便な外国語で福音書や書簡などを書いたのだろうかという疑問が生じる。そこでまだ私の勉強は入り口段階にあるため、あがっている理由や当時の状況をノートとしてリストアップしてみた。(1-7の資料は末尾註に。)
1 福音書記者たちが新約聖書の文書をギリシャ語で書いた理由の一つは、ギリシャ語が当時地中海を中心とする世界で優勢な言語であり、リングア・フランカであったことがあげられる。紀元前4世紀までアラム語が地中海沿岸にまで及ぶ主要な言語であった。メソポタミアに続いた諸帝国の長い支配の結果であった。次いでアレクサンドル大王の統治でギリシャ語が広範な範囲に普及した。続くローマ帝国も文学、思想の面ではギリシャ語を受け入れる状況であった。
2 新約聖書の文書が作成された紀元50-100年頃、ギリシャ語は学識ある者が用いた言語であった。多くのユダヤ人はヘブライ語が読めなくなっており、旧約聖書はギリシャ語の七十人訳を読んでいる状況であった。
3 当時の状況や環境から判断すると新約聖書にギリシャ語が用いられたのは自然な成り行きであった。まず、新約聖書の最初の文書を書いたパウロは、異邦人に遣わされた使徒としてギリシャ語を話す人々に彼らの言語で書簡を書いていた。パレスチナでアラム語は最も優勢な言語であったが、唯一の言語ではなかった。ギリシャ語もローマ帝国の一部として人々の間で理解され話されていた。ギリシャ語がユダヤ人の墓石や初期の新約聖書の断片に見られる。
4 新約の文書を書いたのは、タルソのパウロや同僚のルカのようにディアスポラのユダヤ人によって執筆され、多くがギリシャ語を話す都市のキリスト教共同体を対象にして書かれた。ほとんどの聖書学者は新約聖書のオリジナルはギリシャ語で書かれたとみている。
5 イエスの伝承の担い手が変遷し、イエス像も変貌していった。担い手が初め無学な漁師たちであったのが、後にギリシャ語を話す、離散ユダヤ人に変わって、ギリシャ・ローマ文化圏に住む人々に受け入れられやすい、普遍的な呼びかけに変化していった。
6 「最初から目撃して、言葉のために働いた」(ルカ1:1, 2 ) 十二使徒の権威が、ギリシャ語で書かれた新約聖書(マルコ福音書)の登場によって、ギリシャ語を解するヘレニストたちの手に移っていった。この説明は「結果」あるいは「状況変化の説明」と見るべきか、「目的達成のてこ」と見るべきか分かれるところである。このことについて、加藤隆は15世紀に聖書の印刷によってカトリック教会の権威が多くの者に解放されたことに匹敵すると見ている。
7 初期キリスト教はヘレニズム都市の宗教であり、従ってギリシャ語の宗教であったと田川建三は言う。田川は、ヘレニズム的諸都市には使徒やパウロが到着する前からキリスト教が根付いていた、ヘレニズム的都市の状況がキリスト教を引き寄せていたと言う。これらの都市の生活状況にうまく適した宗教であった、と見る。
これまで私の漠然とした理解は、上記1のように、ギリシャ語が当時の地中海東部の世界でリングア・フランカであり、異邦人に福音を伝えるにはギリシャ語が適切であった、というくらいのものであった。そしてこのたびの下調べで、対象がギリシャ語を話す都市のキリスト教共同体であったこと、伝承の担い手がギリシャ語を話す、離散ユダヤ人に変わっていったという解説を読んだ。そして、興味を引いたのは、ギリシャ語で書かれた福音書の登場によって教会を率いていく権威が、謂わば使徒たちの手から解放された、という指摘であった。
参考にした資料リスト
1 http://www.alliancenet.org/cc/article/0,,PTID307086_CHID559376_CIID1936488,00.html
2 http://www.biblica.com/en-us/bible/bible-faqs/in-what-language-was-the-bible-first-written/
3 http://www.ntgreek.org/answers/nt_written_in_greek.htm
4 http://en.wikipedia.org/wiki/Language_of_the_New_Testament
5 レザー・アスラン著、白須英子訳「イエス・キリストは実在したのか?」文芸春秋 2014年
6 加藤隆「新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか」大修館書店、1999年
7 田川建三「書物としての新約聖書」勁草書房、1997年
其の他 岩隈直「新約記者のギリシャ語の特質」、岩隈直「新約ギリシャ語辞典」(増補改訂)教文館、2008, 2011年2版、pp. 531-543
正確には新約聖書に採用されたテクスト群が最初にギリシャ語で書かれたというべきか。
この七十人訳を命じたのは皮肉なことにエジプトのファラオ、プトレマイオス2世。
アレクサンダー大王が。。紆余曲折あってこの頃のエジプトの公用語はなんとギリシャ語。世界的図書館を建設しようとしていたファラオは、ユダヤ人の賢人72人を招いて短期間にギリシャ語に翻訳させます。
出エジプトの物語をどんな気持ちで読んだのだろう?
パウロの書簡で「聖書」とはこの七十人訳聖書のことでそのまま引用されているとか。
つまり、聖書のギリシャ語化はキリスト誕生の何百年も前から仕込まれていた!
神様の御計画です。
四福音書や各種書籍の原資料の記述言語のことを言ってるのか、今我々の手元にあるいわゆる新約聖書の形に纏められた時点を言ってるのか?
中途半端に聖書を読んでいる人はその辺りをごっちゃに考える
それと各地に離散したユダヤ人たちがキリスト教を伝えるなら、アラム語では困るというのがあったと思います。
ただペテロは(書簡もあるわけだしギリシャ語も出来たようですが)、むしろアラム語の方が似合っていて、アラム語で書いた経典のような文章もあったのかも知れないが、わかりやすい分片っ端から焚書になってしまい、聖典の編纂時には残っていなかったり、教会にとって都合の悪いこと(神は三名いらっしゃる、あるいはイエスは神ではないみたいなこと)が書いてあって、意図的に排除された可能性もありますよね。