[画像はルカ2:15に関連して。beavercreekchristian.orgのサイトより]
モルモン書を英語で読むと、この表現が節の冒頭に頻繁に出てくることに気付く。「起こる、生じる」を意味する come to pass を含んだこの表現をどう見ればよいのだろうか。
これはヘブライ語聖書に多用される ワーウ継続法(Waw consecutive) と言われるもので、過去の出来事を連続的に叙述しようとする時に用いられる。ワヨヒー wayehi וַֽיְהִי֙ がそれであり、 חיה to live, to beからきている。散文において濫用の傾向があり、冗語的表現である。直訳的な欽定訳聖書に多く引き継がれているが、他言語に訳出する必要はないので、その他の現代英語訳聖書では姿を消している。
この表現は確かに冗長な印象を免れないので、「キリストの共同体」(元「再組織末日聖徒イエス・キリスト教会」)では、1966年に「読者家版」を出した時現代英語化をはかり、And it came to pass は20%を留める改訂を施している。日本語モルモン書も平成改訂の時、ソルトレーク本部は一時直訳してその都度「次のようなことが起こった」と訳出するよう指示してきたが、結局常識的に訳出しない形になっている。
註
・ヘブライ語聖書に wayehi が1,204回現れ、欽定訳(旧約)に and it came to pass が727回、モルモン書に 1,404回現れる。その頻度の高さが以上の数字からわかる。Donald W. Parry. http://whitebinder.com/index.php/articles/short-thoughts/general/182-and-it-came-to-pass
・別の数え方によると、モルモン書に it came to pass が 1,424 回現れ、BofMの節の数 6,553 に対し 21.7%に達し、聖書の15倍になるという。http://dwindlinginunbelief.blogspot.jp/2006/06/and-it-came-to-pass.html
参考
・Edna K. Bush, “And It Came to Pass” Dialogue Vol. X, No. 4 (Summer, 1977)
・A.E. Cowley, “Gesenius’ Hebrew Grammar by E. Kautzsch” Oxford, 1963
・小辻節三「ヒブル語原典入門」ヒブル語研究同志会、1965年
・松崎透、Notes on the Biblical Formula 'It came to passe ... that, etc. に就て PDF
・Donald W. Parry, "And It Came to Pass" http://whitebinder.com/index.php/articles/short-thoughts/general/182-and-it-came-to-pass
・The Book of Mormon, published by the Reorganized Church of Jesus Christ of Latter Day Saints, Independence, Missouri, 1966
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あるいは侍言葉の「候う」とか。
日本語の場合、これらは丁寧な表現になりますが、ヘブライ語はどうなんでしょう。丁寧表現なんでしょうか。
丁寧な待遇表現は、どんな言語とも同様現代ヘブライ語にもあるはずですが、この wayehi はそのようなものではありませんでした。
“そして、それから、~~となった。”を、ばっちり1414回、訳出してもよかったんでは?!と。そのほうが、かえって読者さんが、なんででんの??と思えば、そこで、識者さんの登場となり、いやいやヘブライ語ではねと、回答して、にゃぁるほ~、そうなんで御座んしたかぁぁと、納得。かえって真実性が増すというもんでは??と、たまWEBだったら、そうしたいなぁぁ・・・常識とかっていうよりあるがままがえぇどすえぇぇ・・・・みたいな。
それに対して、ヘブライ語の文法がどうのこうのと言う話は、つながりにくいと思うのですが??
書いてあったのも、エジプト文字だったとかですし・・?
そもそも、NJさんが指摘するところの、ヘブライ語の文法と言うのが、リーファイがエルサレムから逃れたと言う、紀元前600年ごろに、確立していたんですかね?
考古学的な学説では、旧約聖書の編纂は、バビロン捕囚後のシナゴーグの教材としてまとめられたのが起源と聞きます。
それなら、リーファイの一行がアメリカ大陸に渡った後でしょ?
その辺の時代検証は、言語学者としてはどう見ているのでしょうか?
NJ教授(元)
教会の公式サイトに、ジョセフがモルモン書を翻訳した時の経緯が書いてあります。
ジョセフは、帽子の中に解訳器を入れて、その帽子に顔をうずめて、その言葉を発して、それをオリバー等の筆記者が書き留めたとあります。
決して「霊感訳」では有りません。
私の質問は、ジョセフの翻訳がどうだったのか?と言う問いではありません。
モルモン書の原文を書いたとされる、ニーファイたちや、それをまとめた、モロナイなどが、and it came to passに相当する、ヘブライ語表現を使う可能性が有ったのか?と言う質問です。
これは、NJさんもよくご存知の、「旧約聖書の起源」に関する、NJさんの見解をお聞きするものでもあります。
モルモン書に引用されている、イザヤ書が、文章に成ったのはいつなのか?
旧約聖書に書かれて有る、「and it came to pass」に相当するヘブライ語表現が、歴史的にいつから使われ始めたのか?
その様な事の、研究者としての見解をお聞きしたいのです。
物事は、色々な角度から検証して、初めて「事実だろう」との結論を得るものだと私は思います。
一つの局面だけを取り出して、「だからこうなのだ」と言うのは、誤解いを生む要因になると思っています。
というお問い合わせですが、モーセの五書のもととなったとされる資料のうちヤーヴェ資料が紀元前10世紀近くに、エロヒム資料が紀元前750年頃、申命記資料が紀元前700年近くに成立したと考えられていますから、その頃には wayohi (and it came to pass) が文言として資料に現われていたと推測いたします。(推測と言いますのは、五書に関する資料説というように専門的になると私は一読者以上に出ないからです)。[上の資料説の情報は加藤隆「旧約聖書」2014年によっています。]
私にはこれぞまさに霊感訳だったのですというばかりの光景にしか見えません。 少なくとも手元に原稿を置いてませんので帽子の部分の翻訳は逐語訳ではないのは明らかでしょう。
霊感訳であれば啓示ですから、預言者が慣れ親しんだ英語の聖書の言い回しがたびたび現れても不思議ではないと思われます。 それだけの話です。
紀元前710年ごろからそのような表現が使われていたのであれば、逐語訳の可能性は否定できませんがね。
>モーセの五書のもととなったとされる資料のうちヤーヴェ資料が紀元前10世紀近くに、エロヒム資料が紀元前750年頃、申命記資料が紀元前700年近くに成立したと考えられていますから、その頃には wayohi (and it came to pass) が文言として資料に現われていたと推測いたします。
との事ですが、私もその説は知っています。
ただ、同じ加藤隆氏は、旧約聖書編纂の始まりを、「アケメネス朝ペルシアの支配下で、エズラの指導によって」としています。
エズラの時代だと、紀元前450年ぐらいかと思われます。それでは、リーファイがアメリカに行った後に成ってしまいます。
最初の「・・・資料」の段階でこの表現が存在し、それをそのまま継承したと言う事も考えられますが、そもそも、ユダヤ文字で書かれたのか?(資料の時代にユダヤ文字が存在したか?)と言う事も気になります。
「紀元後1世紀後半に、39文書が聖書の内容だということが、ヤムニアという村で決められ、最終形ができた。」との説を考えると、ニーファイたちが、その様な文章表現をするだろうか?との疑問がぬぐいきれません。
また、旧約聖書の編纂されるのが捕囚の時期になってからであっても、編纂される前の文書がなければ編纂できないわけで、ヘブライ語による文書は当然ずっと遡ると考えられます。リーハイが持って行ったとされる真鍮版は当然今日私たちが知っている旧約聖書ではなく、OT三区分のうち「律法」とイザヤを含む「預言者」の一部であったと考えられます。