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日本聖書協会が新しい聖書の翻訳を出す計画であることは耳にしていたが、5月22日大阪で開催された講演会・懇談会に出席して全容を知ることができた。ここにまとめて掲載したい。大阪の会では翻訳者の一人樋口進氏(元関西学院大学教授)が「新しい聖書翻訳の課題と展望」と題して語り、二部の懇談会で出席者からの質問に答える質疑応答が行われた。
日本の聖書翻訳を時間的に振り返ってみれば、「明治元訳」(1887年)の後、「大正改訳」(1917年。以上文語訳)、「口語訳」(1955年)、「新共同訳」(1987年)とおよそ30年おきに改訂または新訳が刊行されてきたことが分かる。日本語が時間の経過と共に変化し、聖書学の進展、聖書本文の底本の改訂、翻訳理論の変遷、それに先行翻訳の見直し(批判)があって、新しい翻訳の必要が浮上するのである。
新しい聖書翻訳は、日本のキリスト教会の標準訳聖書となり、礼拝で朗読されるのに適した格調を感じさせるものを目指している。朗読に適しているというのは、説教で引用されたり、学びの場で音読されたりすることも含んでいる。「新共同訳」は優れた訳で現在日本の教会の八割が使用していると伝えられている。私も常に用いているが、翻訳の動的等価を重視し解り易さに主眼を置いたため、時に冗長な印象を与えると指摘されている。
聖書協会は2006年から新しい翻訳の準備段階に入り、2010年に翻訳の事業を開始している。新しい訳もカトリック教会とプロテスタント教会の共同訳という流れを継いでおり、作業の進め方において原語から翻訳する担当者と日本語担当者が、初めから二人三脚の形でその都度原稿を仕上げていくことが新しい方式として注目される。また、原稿がある程度まとまってできたときに、朗読チェックという過程があって同音異義語、聞いただけでは分かりにくい単語、句読点の問題などが検討される。翻訳の完成は2018年までにという目標である。
今回の新しい翻訳には18の教派・団体が賛同・支持し、日本のクリスチャン人口の75%強が含まれることになる。まだ「口語訳」、「新共同訳」のような通称はないが、協会側に尋ねるとこれまでの翻訳の集大成として「標準訳」となることを目指している、そんな意識でいるとのことであった。
(末日聖徒イエス・キリスト教会は「口語訳」の大口顧客 [一部教会員自称] であると言われるが、どの翻訳を選ぶかについて日本語聖書を改めて研究し、再検討を行なう時期に差し掛かっているのではないだろうか。いつまでも「口語訳」一本でいくと教会のガラパゴス化が起こりかねない。)
[追記] 2015/12/04
新共同訳の次の聖書 -- 講演会から
2015/4/10 大阪で聖書協会が、現在進行中の聖書改訂について講演会を開催した。私は所属教会lds教会で参加希望を出したところ、整理券が届いたので梅田スカイビルへ出かけた。
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講師は新約翻訳担当の津村春英氏(大阪夕陽丘学園短大学長)で、大変有意義な学ぶ機会となった。津村氏は新約聖書のギリシア語本文(ネストレ=アーラント版)に詳しく、2012年に28版が出て、34箇所本文の変更が見られ、そのことからも改訂が必要であることを訴えていた。例として、ヨハネ1:3,4 で従来「この言に命があった」と訳されていたのは、「言にあって生じたものは、命であった」と訳すのが正しいと言う。
理工系であった氏は、「真鍮」は「青銅」と訳すのが適切という指摘もされた(黙18:12)。今回の改訂は、礼拝用という側面もあり、翻訳プロセスに朗読チェックが入り聞いて分かる日本語を目指す。例えば、文脈から分かる不要な代名詞の繰り返し(「彼は彼の・・」など)を避けるなど。
そのほか、時間の許す範囲で改善すべき箇所、問題となる箇所を解説された。氏の講演は久しぶりに歯切れの良い大学レベルの講義を聴く思いがし、楽しかった。津村師は牧師を務める傍ら、同志社で修士、聖学院で博士課程を終えたというエネルギーにあふれた人で、日本の神学界を率いていく次世代の学者であると感じた。なお、翻訳進行中の新しい聖書は2018年完成の予定である。(この度は「標準訳」という名称に言及されなかった。)
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2010/03/30 2016年に聖書の新訳出版予定(日本聖書協会)
「めくら」と入力して変換しても「盲」の字が出てこないんです。仕事で使う機械部品で「盲プラグ」とか「盲xx」と言うのが有りまして、カタカナで「メクラxx」でも良いのですが、つい昔の癖でね。
それで、最近はパソコンの世界でも「差別用語」は変換されないのか?って思いました。
聖書でも、「差別用語」の問題は有るようですね。
聖書だからこそ問題になるのでしょう。
「差別用語」の視点から見ると、口語訳聖書は今後排除されるんでしょうね。
ただ、モルモンの場合、文章の総合的な意味より「言葉」そのものにこだわる傾向が有るので、聖書の翻訳が変わると、教義解釈も変えなければいけない部分が出てくると思います。
TPPの影響で欧米並みに70年になるとか。
そうなれば、無料特典もないので。
日本で当時最も標準的な口語訳を文語約聖書から切り替えたのですから、「標準訳」採用の可能性は大きいでしょうね。
英文のモルモン書は欽定訳からの抜粋が多いので変えるには、モルモン書を標準的な英文聖書に合わせない限り難しいのでしょうね。
であれば日本語欽定訳をモルモン独自で日本語モルモン書の表現に合わせて作るとか。。ないかー。