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モルモン書を偽典(pseudepigrapha)とみなした学者たち

2009-06-12 23:00:03 | モルモン教関連

以下、モルモン書を偽典と位置づけた学者を古い順にリストアッ
プした。いずれも肩書きは発表当時。参考文献、典拠は末尾にま
とめた。


モルモン書初版の復刻版

1  ウイリアム・F・オールブライト。聖書考古学者。モルモ
二ズムは広義の偽典を所有していると述べる。1959年「考古学と
宗教」「交差する流れ」誌、9巻2号。

2 レイモンド・E・ブラウン。アメリカの著名なカトリックの
神学者。ヒュー・二ブレーの著書を読んでモルモン書は「真正な
偽典」(authentic pseudepigrapha)と呼べると同僚たちに語って
いる。「二ブレー精選論集」1978年に寄せたトルーマン・G・マ
ドセンの序文、xii.

3 クリスター・ステンダール。ハーバード大学新約学部長。山
上の垂訓と第三ニーファイを比較し、モルモン書を偽典文学の特
徴を顕著に具えた書物と位置づけている。1978年ブリガムヤング
大学で行われたシンポジウムで発表。

4 ジェームズ・H・チャールワース。 デューク大学准教授、専
門キリスト教の起源。偽典研究所長。メシア待望論の面で偽典と
モルモン書を比較し、両者の間に興味ある類似点が見られると述
べた。同上シンポジウムで発表。

5 トルーマン・G・マドセン。ブリガムヤング大学リチャード・
L・エバンズ宗教間対話講座教授。2の「二ブレー精選論集」と
1,3,4の「モルモ二ズム論考(Reflections)」の序や各著者紹
介文で、モルモン書を偽典視する説を紹介している。実際、ldsの
世界でモルモン書を偽典と見ることにいち早く着目し発言したの
はマドセンであった。~1978年。 

6 ブレーク・T・オストラー。1983年書評ページでモルモン書を
偽典的拡張、タルグーム化の例と見ることができると示唆。翌年
モルモン書偽典説を発表。さらに87年「古代資料に現代的拡張を
施したモルモン書」という拡張説を発表。

7 アンソニー・A・ハッチンソン。米カトリック大学で聖書学
を学ぶ。モルモン書には解釈を施す(ミドラシュ)技巧、偽名の
使用、教義や本文の改訂が見られ、19世紀に書かれた創作と見る
ことができる。しかし、それは古代の預言者や聖書の著者も行っ
ていたことで、現代に出現した聖典である、と説明する。

8 ロバート・M・プライス。批判神学教授。高等批評誌を主宰。
モルモン書は、徳性を養う目的で伝説的歴史を編纂した後期預言
者の類型に属し、捕囚のユダヤ人が編集した申命記的歴史(ヨシュ
ア、士師、サムエル記、列王紀)に連なる。モルモン書は古代ア
メリカの一種申命記的歴史であり、聖書の歴史を今日まで引き延
ばしつなごうとする試みである。後発の人物が古代の権威ある名
を冠して、信頼のおける聖典を提示しようとする。この点でモル
モン書は広義の偽典にぴったり当てはまる書物である。(ここで
言う「申命記的」はギリシャ語の deutero- 第二の、再- の意味。
漢字「申」には「重ねて」の意がある。)

9 ダン・ボーゲル。リーハイの示現にキリスト教の要素がある
ことから、プライスの説を受けてモルモン書をキリスト教の偽典
と受け止めている。ボーゲルはまたジョセフ・スミスのモルモン
書を「信仰心から発した欺瞞」(pious fraud)と呼んでいる。元
末日聖徒。

10 エドウィン・ファーメッジ Jr. カリフォルニア大バーク
レー校近東学博士課程に学ぶ。ヒュー・B・ブラウン副管長の孫。
多くの明白な要素からモルモン書は歴史的文書ではなく、偽典と
見るのが最もよい、と述べる。ジェーコブ・ミルグロムのもとに
学ぶ。元会員。モルモン書翻訳の順序と内容の分析からも、ジョ
セフ・スミスによる創作であるとみる。

11 [参考] ウエイン・ブース。米文学理論家。語り、語り手
の観点から文学を考察することを進め、「信頼できない語り手」
という概念を提示した。語り手は何らかの偏向や時代的制約、知
識不足を持ち込むことになる、という。修辞的文学理論を構築し
たことで知られる。元シカゴ大学教授。元モルモン教徒。

12 [参考] ドナ・ヒル。ジョセフ・スミス自身モルモン書は
「心に蓄えられた宝庫から取り出すように、古い事物・新しい事
物が湧き出て」できあがった、と語った文を引いている。

13 [参考] ジェーコブ・ニュースナー。「同僚の中には生き
た形の宗教は忌避するのに、死んだ形の宗教にはひどく興味を示
す人がいる。生きた形のもので新鮮なキリスト教的表現が存在す
るのに学界では無視されている。それはモルモン書である。」

14 [関連して] マイケル・R・アッシュ。保守サイドからの
発言に注目すべき表現。それは批判的論調とは言え、「モルモン
書翻訳の半創作的観点」と題するもので、一歩譲って一部認めた
ような文言が見られる。
 「動かない事実は、翻訳される英語の言葉がジョセフ・スミス
か神によって、読者のために選択されたということである。その
読者がジョセフ・スミスであれ、19Cのアメリカ人のいずれにし
てもである。」「神の力によって翻訳したからには、ファックス
受信のように100%一回で完璧にできる筈というのは当たらない。」
「聖書に見られるように、編集者の追加、説明、改訂などが加わ
ることがモルモン書にもあった可能性がある。」 

注 末日聖徒は5 Madsen, 6 Ostler, 7 Hutchinson, 11 Hill
1 William F. Albright, “Archaeology and Religion,”
Cross Currents, Vol. IX, no. 2 (Spring 1959) in Truman G.
Madsen ed., “Reflections on Mormonism: Judaeo-Christian
Parallels,” Religious Studies Center, Brigham Young
University, 1978, xii.

2 Truman G. Madsen, Foreword xii, to “Nibley on the
Timely and the Timeless : Classic Essays of HughW. Nibley,”
Religious Studies Center, Brigham Young University, 1978.

3 Krister Stendahl, “The Sermon on the Mount and Third
Nephi,” in Truman G. Madsen, ed., “Reflections on Mormon-
ism : Judaeo-Christian Parallels,” Religious Studies
Center, Brigham Young University, 1978, p. 152.

4 James H. Charlesworth, “Messianism in the Pseudepigrapha
and the Book of Mormon,”in Madsen, “Reflections.”

5 Truman G. Madsen, ed., "Reflections on Mormonism: Judaeo-
Christian Parallels," Religious Studies Center, BYU, 1978.

6 Blake T. Ostler, “Responsible Apologetics,” in
Dialogue: A Journal of Mormon Thought, Vol. 16, No. 4 (Winter
1983) p. 143. A review on Noel B. Reynolds, ed., “Book of
Mormon Authorship: New Light on Ancient Origins.”
Ostler, “A Pseudepigraphic Theory of the Book of Mormon,”
1984.
Ostler, “The Book of Mormon as a Modern Expansion of an
Ancient Source, Dialogue, Vol. 20, No. 1 (Spring 1987),
p. 66-124.

7 Anthony A. Hutchinson, “A Mormon Midrash? LDS Creation
Narratives Reconstructed,” Dialogue Vol. 21, No. 4, (Winter
1988) p. 70
Anthony A. Hutchinson, “The Word of God is Enough: The
Book of Mormon as Nineteenth-Century Scripture,” Brent
Lee Metcalfe, ed., “New Approaches to the Book of Mormon.”
Signature Books, 1993.

American Apocrypha: Essays on the Book of
Mormon

8 Robert M. Price, “Joseph Smith: Inspired Author of the
Book of Mormon,” in Dan Vogel & Brent Lee Metcalfe ed.,
“American Apocrypha,” Signature Books, 2002, p. 339, 340.
Robert M. Price, “Prophecy and Palimpsest,” Dialogue Vol.
36, No. 4 (Winter 2003), pp. 72, 82.  

9 Dan Vogel, “Joseph Smith: The Making of a Prophet,”
Signature Books, 2004, pp. xvii, xviii, 658

10 Edwin Firmage Jr., “Historical Criticism and the Book
of Mormon: A Personal Encounter,” Sunstone, Vol. 16:5,
(July 1993)
Sheldon Greaves, “The Education of a Bilble Scholar,”
Dialogue Vol. 42.2 (Summer 2009) p. 68

11 Wayne C. Booth, “The Rhetoric of Irony,” 1971.
研究社「20世紀英語文学辞典」2005年、Booth, Wayne C. の項
吉中孝志「The Book of Mormonを文学的に読むとどうなるか」広
島大学表現技術研究、5号、(2009年3月)

12 Donna Hill, “Joseph Smith, the First Mormon,”
Doubleday, New York, 1977, p. 104. Quotation is from
“Messenger and Advocate” 2 (December 1835), p. 229.

13 Jacob Neusner, “Council on the Study of Religion,”
Bulletin, vol. 8, no. 5 (December 1977) in Madsen,
“Reflections,” xi.

14 Michael R. Ash, "A Co-Creative View of Book of Mormon
Translation." Deseret News (online) Jan. 18 2010



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50 コメント

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モルモン信仰の根幹の否定 ()
2009-06-15 09:23:21
モルモン書を偽典と見なす事は、金版、ジョセフの見神、等のモルモン信仰の根幹を成す部分を否定する事に繋がる。

NJさんを含め、モルモン書を偽典と見なす方は、この事をどう考えるのか?
まずその姿勢を表明すべきだと思います。

もしそれをしないで、偽典、と言う位置づけを先行するのでしたら、それは欺瞞だと思います。

つまり、偽(似せ)である事を、「偽典」と言う言葉(概念)を使って、正当化するもので、論理的不一致を放置したまま、モルモン書を評価すると言う学者としてふさわしくない方向に行くのでは無いですか?
返信する
直解主義にも問題 (NJ)
2009-06-15 21:43:58
初めに、この書き込みは別のサイトで問われた「モルモン書は真正な偽典であるという典拠はどこに」に答えたものであることをお断わりします。

・・を否定することに繋がる、というのはlds教会の直解主義(聖典などを字句通り受け取る)のしからしむるところであって、それを超え始めた教徒は広義で受け入れるようになり矛盾を克服しているのではないでしょうか。

(次の点について)偽典の解釈をよく見れば、欺瞞にはならないと思われます。

それでも姿勢の表明を求められるのでしたら、私については 06/2/10 「私の宗教上の姿勢」に出ています。07/4/16の記事も参照してください。
返信する
天使と悪魔 ()
2009-06-16 13:02:17
今朝の朝日新聞で、映画「天使と悪魔」に関して、ローマ法王の科学に対する姿勢が、ちょこっと書かれていました。

記憶だけで正確では有りませんが、

「ビッグバーン(宇宙の始まりとされる現象)以後に関しては、研究しても良いが、ビッグバーンの原因に関しては研究すべきではない。」と言う趣旨だったと思います。

つまり、宇宙の創造に関する問題に立ち入るべきではない。って事なんでしょう。

宗教を「科学が立ち入れない部分に関して論述する(推論する)」と言う考えでしょうか?

私は、宗教と科学が別の次元に存在するとは考えておりません。どちらも、人間の認識によって成り立つものですから、その両者は、同じ時間と空間に存在すべきものと考えます。

モルモン書が「偽典」で有るとするならば、それは、「モルモン書が神がジョセフに命じて金版から翻訳されたものでない事」と認めた事に成ります。

そこから、派生するのは、「ジョセフが世の中を偽った」と言う事実を認めると言うことでしょうか?
又、今日のモルモンが、「事実で無い事を、事実だと主張している」と言うことでしょうか?


私の頭で考えると、そう言う事に成ります。
この考察に何か間違いが有るでしょうか?


同時に、事実を認めると、モルモンは存在価値を持てない宗教なのでしょうか?


私が思うに、現在多くの宗教が、科学と矛盾を持ちながらも、同じ人間の中に同居しています。
人間の思考と言うものは、それを許容する事が出来るのだと思います。

ただ、「矛盾してる」と言う認識を捨てるべきでは無いと思います。
返信する
リベラルは次世代へ (ワサッチ)
2009-06-16 19:24:55
>それを超え始めた教徒は広義で受け入れるようになり矛盾を克服しているのではないでしょうか。

少数ですがモルモン書を事実でないと知りつつモルモンとして生きる価値を見出している人たちがいることを知ることは励まされることです。

http://mormonstories.org/

にはそのような若い世代へのインタビューが何件も掲載されています。

私が特に好きだったのは元ヒッピー改宗者、BYUで哲学を教えているクリス・フォスター教授。リベラルで陽気で楽天的そしてモルモンの霊性を楽しんでいる。少し異様な雰囲気も醸し出していていい感じでした。

返信する
神話の価値 (ワサッチ)
2009-06-16 19:36:33
>「ジョセフが世の中を偽った」

そうかもしれない。
そしてジョセフの本心がどこにあったのか・・・
研究は始まったばかりです。

それでも教会に教会でしか見出せない霊性があるのも事実。ただの嘘から霊性が生まれるとも思えない。

聖書を信じるキリスト教はみな同じ問題を抱えている。
聖書という「嘘」をどのように理解すればいいのか。

モルモン書は近代に生まれた真正な「偽典」ですから聖書という「嘘」を理解する貴重な鍵になる可能性も秘めているのではないでしょうか?
返信する
皆で渡れば・・ ()
2009-06-17 09:20:57
>モルモン書は近代に生まれた真正な「偽典」ですから聖書という「嘘」を理解する貴重な鍵になる可能性も秘めているのではないでしょうか?

「赤信号皆で渡れば怖くない」って言うのが有りましたが、ワサッチさんの弁では「赤信号皆で渡れば青信号」ですね。

>それでも教会に教会でしか見出せない霊性があるのも事実。ただの嘘から霊性が生まれるとも思えない。

霊性なんて、インチキ宗教団体にだって有ると思いますよ、オウムにも有ったはずですよ。



>少数ですがモルモン書を事実でないと知りつつモルモンとして生きる価値を見出している人たちがいることを知ることは励まされることです。


モルモン書が嘘と分かっても、モルモンから去れない悲劇なのかも??


カラスを何とかサギと思い込もうと必死で努力する、その様な会員がモルモンを支えている事が、「モルモンの悲劇」なんじゃないですか??

歌にも有るじゃ無いですか

♪どうせ私をだますなら だまし続けて欲しかった
  酔っている夜は痛まぬが 醒めてなお増す胸の傷♪

http://8.health-life.net/~susa26/natumero/36-40/onnagokoronouta.html



チューと半端な嘘ほどたちが悪い。
返信する
時間がかかるけれども (NJ(まとめレス))
2009-06-18 23:50:45
6/16付けコメント「天使と悪魔」について

>私の頭で考えると、そう言う事に成ります。
この考察に何か間違いが有るでしょうか?  

このことについてどう表現するかは個人次第だと思います。マドセンは偽典と言われたことをプラスに受け止めました。豚さんの突っ込みには「直解主義」の問題がかかわっており、「偽典」をどのような意味で捉えるかで岐路に立つと思います。

6/17 付けコメント「皆で渡れば・・」について

中に留まる者が意義を見出そうと努めるのは自然なことではないでしょうか。「宗教」についてどう受け止めるか、という問題だと思います。「立派な」「キリスト教」も批判神学の前には豚さんの厳しい言葉が皆該当してしまいます。

啓示宗教はそうなのだと思います。多分、イスラム教も。モルモン教は宗教として十分他の宗教と並び得る存在である、という見方を私は持っています。

斜めの見方で否定的な像を描くのはそろそろおいてもいいのではないでしょうか。豚さん、自らもその中にいるのじゃありませんか。

(この件はこれで終りとさせてください。)
返信する
「モルモン書」の著者はニーファイ? (トマ2)
2009-07-04 15:14:54
1.注意事項
偽典(pseudepigrapha)とは「偽の著者名を冠する書物」である。「内容上の偽り」ではありません!

ところで、「モルモン書」の著者はニーファイであると話していた指導者がいたっけ?
「ニーファイ書」が正しいということになると「モルモン書」は「偽典」になってしまうのか?

でも、今更「モルモン書」は「ニーファイ書」と書くのが正しかったなんて言えないし・・・?

2.聖典性の話し
どれが聖書でどれが聖書外の書物かをどうやって判定し、その判定基準は何?

で考えると、一般敵的な学者の考えでは、言語霊感・逐語霊感・十全霊感説が浮かび上がるが、多くのキリスト教が支持している「救世主を鮮明に著しているもの」が聖書とも言われている。
そして、預言とその預言の成就が記されたもの、それが神が人類に与えた聖なる教えの証明なのである。尚、預言は全て成就していません!なので聖書は完結していません!聖書は66巻だけでないのです。外典・偽典・指導者の言葉OKなのです。さあ、残りの預言の成就の担い手となろうではないか。

返信する
でも・・ (NJ(?))
2009-07-04 16:38:54
1 「モルモン書」の著者はニーファイである

あまり聞かない説ですが、何という指導者の言葉ですか。

2 預言の成就は興味あるテーマです。担い手となろうという発言にも興味を覚えます。聖典を閉じられたものと見ない考えはldsと学者に共通するものではないかと思います。

(BTW, トマ2さんてどなたなのでしょう?)
返信する
エドウイン・ファーメッジ Jr (NJ(1人追加))
2009-07-04 17:39:54
10番目に一人追加しました。
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