福音書を読む度に、7年前に取り上げた山形孝夫と同様、私も「本当に?!」という思いがするのをおさえることができないでいた。現代の感覚からすれば、あまりに非現実的に思えるからである。この度、上村静が山形とは異なる視点から、ある意味、山形を越えて明快に説明しているのを読んだ。(上村 静「宗教の倒錯」)。
治癒行為を含む奇跡物語りは、元来ユダヤ人の間に民間説話として伝承され流布していたものが、教会によって取り込まれ、伝達の場面(宣教・説教)に合わせて変形させられたものと見る。イエスに病気の治癒や悪霊祓いの異能があったという事実の報告なのではなく、イエスの活動の象徴的・神話的な表現なのである、と言う。
病気には病(やまい、illness、非健康、異常)と疾病(disease、医学的)があって、前者は文化的な側面が強く、病人は罪人視されて共同体から隔離される。隔離された者は戻りたいという願望があり、復帰できればそれは奇跡に等しいことであった。イエスの癒しはこのケースが多く、物語り化された。この病(やまい)の癒しが疾病の癒しとして伝えられるに至った、というのである。
(イエスに異能があったかもしれないと著者は断り、もしそうであったとしても重要なのは、イエスの意図がどこにあったかであり、その手段ではないはずだと言う。)
[補足] ルカはイエスによる治癒の記載で、癒された者が「すぐに」立ち上がったと書いている。4:39, 5:25など。同じ場面をマタイ、マルコは「すぐに」という副詞を用いていない。福音書記者の物語化の一端が現われていると言えるだろうか。ルカはこの副詞を多用(16回)している。この語は παραχρῆμα 。
典拠: 上村 静「宗教の倒錯: ユダヤ教・イエス・キリスト教」岩波書店 2008年 10章
参考: 当ブログ 2012.04.28 神話研究の貢献。山形「治癒神イエスの誕生」を読んで
千の風」は、それまでのそうした観念をひっくり返す不思議な歌であったのだと指摘する山形氏は、続けて、東日本大震災の復興ソングとしてヒットした「花は咲く」に言及します。「『千の風』の歌の流れは、3・11以後、こんどは『花は咲く』に引き継がれ、1本のガーベラの花を手に、静かに祈るように歌う東北ゆかりの俳優や歌手をとおして、被災地から日本中にひろまり、世界の各地で歌い継がれつつあると言うに。遠くから『誰かの歌が聞こえる・・・・・・それが誰かを励ましている・・・・・・笑顔が見える・・・・・・』。いったい励ましているのは誰なのか、笑っているのは誰なのか。涙を抑えて歌っているのは、他でもない『死者』ではないか」
そして、「死者のざわめき」の「おわりに」で、山形氏は以下のように述べるのでした。「問われているのは、残された者の悲しみであり、数え上げれば際限のない悔いと、やり場のない怒りである。そうした途方もない理不尽の痛苦と、いかに向き合って生きることができるか。問題は、そうした理不尽や際限のない感情に、どうすれば居場所を与えることができるか。それがどうにも分からない。だから『ざわめく』のである。確かなことは、この『ざわめき』の地平から『宗教のレッスン』が開始される、ということである。『ざわめき』の奥に、耳を澄ませば、死者たちが、きっと何かを語りかけてくる。『千の風』のように、『花は咲く』のように」
」
そもそも仏教は墓に死者がいるなんて教えじゃないけど。
お墓なくても・・・
http://www.hakairazu.com/zero.html
千の風 抱擁
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E2%80%9D%E5%8D%83%E3%81%AE%E9%A2%A8%E3%81%AB%E2%80%9D%20%20%E6%B3%95%E4%BA%8B
昔、クモラの丘霊園とかってありましたっけな・・
「ルカの医学的な視点はほかにも多くの箇所に表われます。イエスが「病気と痛ましい疾患および邪悪な霊から大ぜいの人を治し」たことについて伝えるに当たり,ルカは専ら身体的な性質の治ゆと悪霊の関連したものとを分けています。(ルカ 7:21)イエスが捕縛される直前に祈っておられた際,イエスが『もだえた』こと,および『汗が血の滴りのようになった』ことを伝えているのはルカだけです。(ルカ 22:44)医師としての関心はイエスのたとえ話に関する記述にも表われます。『良いサマリア人』のたとえ話を伝えているのはルカだけです。そのサマリア人が道端に倒れていた男の人の傷にどんな手当てを施したか覚えておられますか。ルカの述べる事柄は当時の医学のならわしにのっとったものでした。(ルカ 10:29‐37)『富んだ人とラザロ』の記述を載せているのはルカだけです。ラザロの健康上の問題についてルカが用いた正確な記述を思い起こせますか。ルカ 16章20節を開いてご覧・・・」
https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1982126
「22 見よ、神の御子イエス・キリストは、群衆の聞いている所で、この世にとどまることになっていた御自分の弟子たちと、ほかのすべての弟子たちに次のように言われた。「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。
23 信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、信じない者は罰の定めを受ける。
24 信じる者には次のようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、蛇を取り上げるであろう。また彼らは、毒を飲んでも害を受けない。彼らが病人に手を置けば、病人は快復する。
25 何も疑わないでわたしの名を信じる者に、わたしは自分の言葉が確かであることを証明する。地の果てに至るまで、そのとおりにする。」
26 さて見よ、だれが」(モルモン9)
そのような召しを受けている人が必ずしもそのように信ずる信仰の持ち主ということでもないのかもだし・・・ま、いろいろあるんでしょう・・
スターバックスだと思ってしまった方もいるかもしれないが、
モルモン教の神殿に行ってきた。(モルモン教正式名称は 、末日聖・・・
日曜日のミサで、神父さんの一人が
「モルモン教の教会を見に行かないように!」
と言っていたのになんて閉鎖的で心が狭いんだ!と反発して
皆で見に行こう!と
見学を計画したのである。
(別に見るだけなら行ってもいいんじゃない?っていう神父さんもいるよ。。)
モルモン教はキリスト教系の宗教だけど・・・
」
https://ameblo.jp/mammamia12/entry-12438785958.html
ブラジルのアリゴーや英国のハリー・エドワーズらが研究されてるのかな・・・フィリピンのヒーラーの多くは自分らは神の力を与える仲介者にすぎないと言ってるようだにゃ・・
ホセ・アリゴー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%BB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B4%E3%83%BC
元のユダヤ教の口伝は歴史の中で消滅したのでしょうか、比較論文等あれば読んでみたいものです。
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%20%22%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E5%8C%96%22
「2013/12/25「クリスマス特別配信・岩上安身による上村静氏インタビュー(前半):岩上安身氏」https://sun.ap.teacup.com/souun/12962.html
上村氏「10歳で洗礼を受けてクリスチャンになりました。大学で聖書学に関する本を読んで、親の言っていたことは嘘八百だったんだなと気づきました(笑)」
上村氏「聖書学というのは、『聖書からイエスへ帰れ』というのがスローガンです。聖書原理主義から離れて、テキストを批判的に検討し、史的イエスの探求を目指す、というものです」
上村氏「ただし、『史実=真実』という、科学主義的・啓蒙主義的な態度とは距離があります。なぜなら、そのような科学主義的な態度こそが、原理主義を生んだからです。原理主義の人達は、聖書は真実であり、したがって科学的に正しいのだ、と考えます」
上村氏「アメリカで中世的な信仰と最先端の科学が同居できる理由がここにあります。アメリカというのは科学信仰から生まれた国だからなんですね」
以上で「クリスマス特別配信・岩上安身による上村静氏インタビュー(前半)」
の実況を終了します」
>そもそも仏教は墓に死者がいるなんて教えじゃないけど。
仏教に詳しいわけでは有りませんが、釈迦は死後の世界を「存在確認が出来ない」として、その事についての考察が意味の無いものだと教えていたと思います。
ただ、だからと言って、現在の仏教が死後の世界を否定しているとは思えません。
津波で多くの犠牲者を出した市庁舎を保存するかどうかで、意見が分かれたように、ある人にとって、死者のモニュメントは必要なものだと思います。
偶像礼拝を否定しながらも、キリストの肖像画を家に飾る人は多くいます。
私も、死後の世界の存在には否定的です。はっきり言うと、そんなものは存在しない、と思っています。
しかしながら、死後の世界を、人間個人と、人間社会の中で存在を肯定することに異議を唱える気は有りません。
それは、人にとって必要な事なのだと思います。
イエスの癒し物語も、たとえ事実でなくても、多くの人に本当の癒しをもたらしていると思います。
そういう意味では、イエスは今も多くの人を癒しているのでは無いでしょうか?
最近の先端医学でも、人間の心理作用が、肉体に大きな影響をもたらすことが証明され、その事を疑う人は居ないと思います。
まだ私にはできませんが、本当に神やキリスト、天国の存在を心から信じられたら、素晴らしいと思います。
ただ、その個人の信仰が、社会の害にならない限りですが。
「今日あると同じように明日も有る」と、何の根拠もなく信じて居るんです。
そう思うと、イエスが多くの人の病を治癒した、と言う事を根拠もなく信じても一向に差し支えないと考えます。
ただ、問題なのは、「自分の思い込み」でしかない「信仰」を、他の人にも「そう信じなくてはいけない」と主張する事です。
宗教者が、自分の信仰について、謙遜さを失った時、信仰は「癒し」ではなく「苦痛」に成ります。
人間社会の中で、最低限守るべき基本ルールは、人間同士の意思疎通によって、共有されればいいのだと思います。
しかし、それ以上の個人の思い込みによる、過剰なルールは人を苦しめる要因になると思います。
私は宣教師から、この言葉を聞いた時に、一つの答えを得たように感じました。100点満点の正解でもなく、論理的に正しいとも思いませんでしたが、「その答えは良い」って思ったんです。
でも、残念なことに、モルモンの教義を知れが知るほど、その答えから遠いように感じてきました。
こんな教義で、幸福になれるんだろうか?って。
モルモンの教義が、人を教会に縛り付けえるための手段ではなくなることを願っています。
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%22%E4%B8%8D%E4%BF%A1%E4%BB%B0%E3%81%AA%E7%A7%81%22%20%20%E3%82%86%E3%82%8B%E3%81%97
或いは信じれる範囲内で十分じゃないのかな??
http://www2.ezbbs.net/16/darebuta/
同一ではありますが、人物ではありません。豚ですから。
でも、皆さんご存知だと思ってたんですけど。
掲示板て言うのが、まだ存在してるのが、すごい思いません??
モルモン書の金版か、豚の掲示板かってぐらいね!!
ところで、この倒錯、フロイトの使った言葉からなんでしょう。上村氏、キリスト教へのチャレンジャーになったんでしょうかね・・
倒錯 フロイト
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E5%80%92%E9%8C%AF%20%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%88
http://kazuno.in.coocan.jp/99kotowaza/watashi/watashi-data/18W-06/Frankfurter%20Schule.htm
https://utahcams.blogspot.com/
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=utah%20live%20camera
東欧で革命が成功しない原因は、
人民の伝統的大衆文化(キリスト教的思考)が染みつき
真の革命が出来ない、
と分析しました。
(従って革命を起こすには、
伝統的大衆文化を根底から破壊することであり、
古い価値の根絶と新しい価値の創造を
主張しました)
それは、
(暴力)革命路線を変更し
「文化破壊」を目指すことです。
・マックス・ホルクハイマ―が、
同学派の中心となり
プロレタリア(労働者階級)は、
革命の主体にならないと考え、
知識階級(インテリ)を相手にしました。
インテリを通じて
その国の歴史伝統文化を
じわじわと破壊しようと企てました。
・それは、
新しいマニュアル(啓蒙の弁証法)です。
その破壊対象は、
宗教、資本主義、権威、家族、家父長制、
階級制、道徳、伝統、性的節度、
忠誠心、愛国心、国家主義、相続、
自民族中心主義、因習的保守主義などで、
全てが破壊の対象です。
hegelian 2015/05/28 14:41
”
フランクフルト学派による、この大規模な社会工学プロジェクトに加わったバートランド・ラッセル卿は、1951年の著書『科学が社会に与える影響』の中で秘密を漏らした。・・・」
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=294689
さらに、安保法案にしても、個別であろうと、集団であろうと、「自国の安全を守るのが自衛権であり、国民の命を守る責任」を強調するのは至極当然なはずだが朝日新聞などの左翼メディアに掛ると「戦争できる国」「立憲主義の破壊」だと穿った解釈をして、「群れる側」の民意を捉える。
合計1億人とも言われている大量殺戮を実行した共産党が人権と安全を叫ぶとは、度胸は据わっているがまったく感心もしない。
そして、渋谷区から始まった同性パートナーシップ条例も今後の地方公共団体の動きに注視しなければならない。
渋谷区に早々と追随したのが、都内では中学時代から学生運動で事件を起こした極左の保坂展人区長の世田谷区。また近ごろ保坂区長と同じ「土井チルドレン」と呼ばれた中川智子市長の兵庫県宝塚市が条例制定した。さらに、林文子区長の神奈川県横浜市なども着々と条例化に向けた草分け運動を展・・
」https://ameblo.jp/hot-coffee-break/entry-12108010884.html
共に「性の秩序を破壊」して「家族を解体」し、
それによって、「革命を醸成」する役割がある。
つまり、これらは『共産主義革命の手段』として行われている。
かつて、共産主義者はロシア革命後、西欧先進国での革命を試みたが、
彼らのいう家父長的権威主義的な “家族” とキリスト教の “性道徳」・・・」
http://joliechat5.blog.fc2.com/blog-entry-223.html?sp
この場合、学識者・知識人の研究が、知ってか知らずかそのような大きな歴史の流れの影響下にあるんではと、フランクフルト学派の、やっぱり文化破壊という・・・まぁ、識者ではないから、そう見えてしまうんでしょうかね・・・
昔、いつだったかぁ、泉掲示板だったか、鳥瞰的なというんですか、マクロな視点持ってるみたいな御指摘をNJさんからいただいた記憶が・・・まぁそれをポジティブに受け取って、ちょいと調子こきすぎでしたかぁぁ・・
でも学者じゃないわけだからぁ、多少それても漂流的でもゼロ・コメよりは大目に良しとみてもらってぇぇ・・・なんてね・・・
効果のないビタミン剤が難病を癒すことがある。
いわゆるプラシーボ効果も信じる力、生命の不思議です。
神の子と強く信じる人には奇跡は起こりやすく、信仰なき人に奇跡は起こり難い。
そういう事なんでしょうね。
癒し 治療
キリスト教会には、癒しの儀式はあるが、治療の儀式は〔言わ〕ない
宗教としての視点から見るか
それとも
医学としての視点から見るか
によって、見方は変わると考える
また福音記者個人の視点、物の見方でも
内容、書き方が変わる物です。
イエスがどんな意図で行ったのかがとても大切なことであると思います。
奇跡や癒し、また喩え話から読むことで、何の目的があって行い、話したのかを
私たちの御霊によって感じとったりや知識として学んだりすることができるのではないでしょうか。
学術的からの視点も必要だと思えます。
奇跡を知的に説明したつもりが奇跡の存在を否定していないだろうか
ルカによる福音書17章11節〜19節
です。キリスト教会では「感謝をする」ことを教えられています。
その本人が奇跡を信じたとしても、その後の人生においてどう変わったかが大切ではないだろうか。
パウロの回心やイエスについていくなどなど。
>宗教としての視点から見るか
>医学としての視点から見るか
どちらも頼れば良いのではないでしょうか。
相乗効果で治癒率UPだと思います。
病人の治ろうとする気力も周りの励ましも大切なファクターらしですね。
今回、URLを掲載しようと思ったのですが、
こちらのコメントではできませんでした。
人類学と宗教学の視点というものがあったものですから、載せてみようと思いました。
オムナイさんのコメントで、思い浮かんだのがあります。
それは、医療チャプレンです。日本では、臨床宗教師とも言います。日本では名前は違いますが、宗教者で構成する団体が幾つかあります。
東日本大震災を機に広がりました。
病気だけではなく、人の死にも、精神的な支えが必要ですね。
弱音を吐くことも時には大事なことだし、
その苦しみを和らげる人も必要なことです。
わたしは、臨床宗教師まではならなくても、
ミニスタリングすることの大切さを知って行ってもらいたいと思います。
医者はいつも高価な腕時計を自慢にしていたのですが、やがてその時計に飽きてしまって、手から外して放り出していました。
医者の留守の時に、僧侶が家に来て、その時計を見つけました。
家人に、時計が放り出してあるわけを聞いて、僧侶はその時計を腕につけて持って帰りました。
それを知った医者が怒って、「なんで私の物を持って行くんだ!」と文句を言いました。
すると、僧侶は「医者が見放したものは、坊主のものだ」と言いました。
(落語の枕で・・)
実は、意外にその知識と知恵を私たちは既に得ているのかもしれません。
「イエス・キリストは、世の光であられる。」
少しかみ砕くと、
「光」=可視光線は、人の目で見える電磁波のことです。
イエスは、目で捕らえられない電磁波も含めて、あらゆる周波数をもった「波動」的存在とも言えるかもしれません。
それを踏まえて、イエスが行った治療の謎に迫りたい方は以下の本を読むことをお奨めします。
・未来を救う「波動医学」
船瀬俊介(著)
福音の知識がある方は、新たな価値観を生むと思います。
私も、あらゆる物質に設計図が備わっているとする「インテリジェント・デザイン」の考え方を改めて思い知らされました👍