新約聖書の初めの方にバプテスマと言う語が登場する。(マタイ3章、マルコ1章など)。この語は全身水に沈めるのか、そうでないのか論争がたたかわされた。それで全身水に沈めるのが正しいと考えるグループは、「洗礼」という翻訳を嫌って「浸礼」または「バプテスマ」と訳すことを求める。
口語訳は「バプテスマ」と音訳し、新共同訳は「洗礼(バプテスマとルビ)」、新改訳は「バプテスマ」としている。カトリックのドン・ボスコ訳は「洗礼」、塚本虎二訳も「洗礼」となっている。では、昨年暮れに出た「聖書協会 共同訳」はどう訳しているか。「洗礼(バプテスマとルビ)」で、新共同訳を踏襲している。なおリビングバイブルは、「バプテスマ(洗礼)」としている。
以上のように二つに分かれている。あるいは、ルビをふったり、カッコに別訳を入れたり工夫している。原語のギリシャ語はβαπτίζω バプティゾー (動詞)で、意味は「水につける(dip)、沈める(sink)」である。従って、全身水に沈める儀式と取るのは適切である。
ただ、中国語の聖書では「洗禮」となっていて(和合本、現代中文訳本)、漢訳「モルモン書」(1984年版、IN20:1など)でも「洗礼」となっていて、中国語ではキリスト教のバプテスマの訳語として定着していると考えられる。(中国語の語彙にまた聖書の訳語を通じて日本語の語彙にもなっている。)われわれは「洗礼」という言葉を聞いても、普及した、キリスト教のバプテスマの訳語として、おおらかな態度で受け止めることも知恵ではないかと思う。(「洗礼」は両国語辞典に採用されている。漢語詞典、大字典)。
なお、韓国語「モルモン書」(1978年)では침례(チムリェ, 浸礼)となっている。(세례 セリェが洗礼に相当。)
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また聖餐が大管長の指示で水とパン(末日聖徒)、ワインとパン(それ以外のキリスト教)ではこちらのほうがよほど儀式の意味が変わってくるのではないかと思われる。
ビショップ判断でジュースや麦茶でも構わないなら状況が赦すかぎり、せめて正式に習ってぶどう液でやるべきだろう。
自分とこだけが正しい儀式を行ってる!と言いながら、儀式の内容をころころ変えるのは、信ぴょう性を疑われますよね。
いや、どっちかというと、アジフライをソースで食べるか醤油で食べるか程度の違いですよ。
珍しく意見が違うので。
何度もバプテスマの証人をするうちに一発で沈めるコツみたいなものを習得しますw
棒が倒れるようにではなく足を曲げて座るように受けると良いだとか、あらかじめ服を胸元まで濡らすとか、長い髪の方はまとめるとか。
バプテスマはアロン神権の範疇の儀式、すなわちモーセの律法の流れ。
髪の毛一本たりとも浮いてはいけない。
厳格な様式を守り続ける部分かなと。