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末日聖徒イエス・キリスト教会の教義に反する見解を率直に公開してきた、ユタ州立大学院生(博士課程)ジョン・デーリンは2月8日の宗紀評議会(教会法廷)の結果、破門された。結果を知らせる9日付け書簡が届き、本人が10日発表したものである。
デーリンは教会歴史や教会が直面する問題について、著名な論客とのインタビューの形でインターネットに公開してきた。彼は同性婚と「女性に神権」の運動を支持する表明を行なってきた。
末日聖徒の識者や進歩的、柔軟な考えを持つ教会員から支持され、8日夕刻の宗紀評議会(教会法廷)の時間に合わせてユタ州ローガンの教会敷地に人々が集まり、成り行きを見守った。
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彼はポッドキャスト*を活用して、「モルモンのインタビュー室」(仮訳. [英語はMormon Stories Podcast])とでも呼べる新しいメディア活動を2005年秋以降展開してきた。様々なモルモニズムに関連する主題を取り上げて、その分野に詳しい人や時の人にインタビューを行ない、関心のある人々が聞いてコメントを寄せられるようにした。信仰の危機に直面した末日聖徒の関心事も取り上げ、疑問に答える形で結局合計523篇の「エピソード」を発表している(2/11現在)。それぞれ一篇が1時間前後にわたる音声メディアである。視聴者の数は多いもので1篇25,000のダウンロードに及んでいるという。
(*podcast は i-pod と broadcast を合わせた造語で録音した音声をネット上で拡散するシステム、またはプログラムを言う。)
インタビューで取り上げられた主題は、黒人と神権の問題 (G. プリンス、ダライアス・グレー[括弧内は取材相手])、多妻の問題(トッド・コンプトン)、最初の示現(リチャード・ブッシュマン)、アブラハム書(ブレント・メトカーフ)、末日聖徒の女性(マーガレット・トスカノ)、同性愛の起源(ビル・ブラッドショー)など多彩にわたっていた。時期的にも内容の点から言っても、LDS教会が一連の教義について論文風の声明(essay)をインターネットに公表した時期に先行し、少なくとも間接的な影響を与えたものと思われる。
いずれにしてもこの活動は新しく画期的な形で、意欲的、バイタリティを感じさせるものであった。モルモニズムに関して第一線の論者、専門家を次から次へと取材・面談していき視聴者に紹介したからである。
デーリンは火曜日、「私は今も教会を大切に思っているし、教会員も愛している。ユダヤ人がユダヤ教の全てを信じ、従わなくても自分はユダヤ人であると考えるように、私も自分がモルモンであると思っている。振り返ってみると教会に感謝の気持ちをいだいているし、今後も周縁的モルモン教徒と共に癒しと成長を目指して努めていきたい」と語った。(nytimes.com Feb. 10)
参考
当ブログ 2014.06.12 「三名の活動家、教会から破門の通告を受ける」
うーん。ポッドキャスター。
てのがアメリカでは流行してるのかな。
ピーター・バラカンのポッドキャストは良く聞いていました。
ざっと破門になった彼のサイトを見ると、それほど反対者的な感じはしませんでした。
例のケイト・ケーリーさんに同調しすぎた?
しかし、清々しい感じですね。
ここにきてモルモンにとってはネガティブなニュースが続きますね。
そして、何よりも末日聖徒の人口密度が高いユタ州のような地域では、人々の目が厳しくなるなど社会的生活に影響が出ると思います。
こうした厳めしい呼び方であっても別にその人を拘束したり、傷つけたり、財産の没収をするわけではありません。最悪の結果としてでさえ、教会員ではない状態になっていただくという、ただそれだけなのです。これはその人にいったん教会を離れた立場に身を置いていただき、じっくり考えていただくためにあります。
今回のデーリン氏の件を会社や大学に置き換えて考えてみてください。どのような企業でも学校でも、そこの方針に従わない人には別のところに移ってもらうことになります。会社経営をされた方や、教師の経験がある方ならお判りでしょう。
方針に従わないばかりではなく、自分の行為が改善を促すことになるなどと勝手に思い込み、仲間を増やし、その所属団体のほかのメンバーに嫌な思いをさせていてはどうしようもありません。やはりどこか別のその人に合った場所へ移っていただくべきではないでしょうか?
たとえばブログや掲示板でも開設者の意向に合わないことを繰り返し書き込み、他の参加者に嫌な思いをさせている方については『困った人だ』とお思いになるのではありませんか?そういう方に対しては、言いたいことがあるのならどこか別の場所を自分で作って、そこで自由にやってもらえばいいでしょう。こうした感情もブログや掲示板運営のある人ならお判りになるはずです。
この世に教会はモルモンだけではありません。
しかしそれでもモルモンが自分のいるべき場所だとデーリン氏が考えるなら、もう一度バプテスマを受けて再加入することができます。
また別の見方をしますと今回の件では、教義の一部を受け入れられないため『破門』となったことを周知することになりましたが、それは結果的にデーリン氏にとって良かったでしょう。何の事情も分からず破門になったと聞けば多くの人は、彼が重大な犯罪でも犯したのかと勘ぐってしまうものです。そのようなことにはならずデーリン氏の名誉は守られたままになります。
このようなことから考えてみてもやはり教会の判断は適切で寛大なものであったと考えるべきでしょう。末日聖徒イエス・キリスト教会は地上における唯一まことのキリスト教会であることを証します。
ご指摘の論旨は十分理解いたします。難しいのは宗教内の異なった見解をどのように、どこまで許容するか、でどの宗教も苦労していると聞きます。
時代の流れ、識者、研究者の知見との整合性が問われていると思います。
>末日聖徒イエス・キリスト教会は地上における唯一まことのキリスト教会であることを証します。
この二つは矛盾してますね。
破門と言う行為が、「寛大」だと言うのは、モルモンの教義を真剣に信じていない人しか言えない言葉です。
破門による損失はそんな簡単な事ではありません。
破門により、神殿の儀式を受けられなくなることは、昇栄への道を閉ざされることです。
同性婚の問題でも然り。
いつも、思うのは、教団組織を守るために、その人の昇栄への道を閉ざし、次の世に神のもとに帰り、家族とともに住まう、と言うモルモンの教義を信じる人にとって、その命にも代えがたい権利を奪う事を、認識していない。
教会の教義に異論を唱えることが、そんなに大きな罪なのか?破門に値する行為なのか?
そして、異論を唱える人に納得のいく説明が出来なかった、指導者の責任はどうなのか?
自分の思った事を、そのまま表明することが、罪なのか?モルモンの中には、言論の自由は認められていないのか?
いずれにせよ、この様なモルモンの悪しき習慣は無くすべきだと思う。
破門制度を全部なくすべきとは思わないが、何か実力行使を行ったりでもないわけだし、一般の大学でさえ自分のブログで組織の方針に反対する意見を述べただけで普通は免職にはならないし、ブラックでない一般企業でさえも解雇は難しいよ。
今日は珍しく90%豚さんに賛成だ。愛の押し付けは愛とは言わない。
豚さんがそんなことを自信満々に語っていたのを思い出して笑えました。
人間と言うのは、どこかの誰かが、他の誰かを排斥している姿を見ると『おい、そんなことは止せ』と注意したり、『お互い仲良くする方法は無いのか』と思慮深い感想を述べたりするんです。でもいざ自分の居場所が荒らされる立場になると『出て行ってくれ』と言い出すものなんです。『これは排斥じゃない、運営上必要な措置だ』などともっともらしい言い訳をしてみたり、ね。NJさんもこのブログで嫌な書込みを消したりイエローカード宣言をしたりするじゃないですか。
私はそれを悪いとも良いとも評価しません。それが人間の本質なんですから。他人事なら冷静に理性的な判断を下せても自分の事では感情が先に立つものです。都合の悪い人やモノは消したい、出て行ってもらいたい、もしくは懲罰として追放する、これは人間の作った組織なのですから普通の出来事なのですよ。
そろそろ南部あたりでは、梅も見ごろなんでしょうか?
相変わらず、梅干しみたいに酸っぱい書き込みで、口の奥にしみますね(笑)
ご指摘の話の前に、これを読んでいる方々に、ちょっと確認したいことが有ります。
>宗紀評議会(教会法廷)の結果、破門された
これだけを読むと、世間の人は「大管長に破門された」と受け取るかもしれません。
しかし、会員の方はよくご存知かと思いますが、「破門」はステークの評議会で決定されるんですよね。
長い事、教会の役職から離れてるので、最近はどうなっているのか知りませんが、古い記憶では、ステークの評議会で神権の剥奪や、会員資格の停止、たぶん破門も決定できたと思うのですが?
それで、私は今回の破門の決定を下したのも、ステークの評議会じゃないかと思っています。
NJさん、どうなんでしょうか??
ま、その事は置いといて、本題に移ります。
やれやれ...さん
このブログの管理者は、NJさんですが、モルモン教会の管理者は、大管長ではありません。
管理者はイエス・キリストです。
それで、私は、今回の決定が、「イエス・キリストの教えとは違っている」と思うので、その決定に対して、「間違っていると思います」と書いてるわけです。
私の聖書の読み方が間違っていないのなら、イエスはユダを破門していない。
それと、ブログと教会、イエスと豚は基本的に違います。