[画像:初め「信仰講話」が含まれていてそれが「教義」の部分に相当し、次に啓示言いかえると「聖約」が続いた。講話の部分は間もなく除かれた。]
アドニー・Y・小松伝道部長は「教義と聖約」がまだ文語訳であった時、英語版は普通の英語でこんなに難しくない、と言っていたことが思い出される。しかし、そうは言っても外国人である日本人にとってやはり容易ではない。
オハイオ州マイアミ大学で教えるジョン・C・ダフィ教授(lds)は、8歳の少年の時教義と聖約を読んでも何が書いてあるのか解らなかったと振り返る。そして、「易しく読める教義と聖約」(Easy-to-Read Doctrine and Covenants)を出している。その序文で彼は教義と聖約の英語が読みにくい理由を次のようにまとめている。
まず①語彙の点、次に②文の長さが長いこと、そして聖典はしばしば③文体が繰り返しを含んで冗長である、そのこともあって④1節で文が完結していないことがある、そして普通ならカッコに入る⑤説明文が挿入されて文の流れが悪くなる、最後に⑥啓示には幾通りかの意味に取れる不明瞭な表現がある点をあげている。
ダフィが少年の時読んで解らなかった第一の理由は語彙の問題ではなかったかと思われるが、キリスト教の用語や聖典の格調ある表現は日本人にとっても越えるべき第一の敷居であると思う。私にとっては、長い文、冗長な表現、説明文的挿入が手強い特徴である。読んでいて、初めの主語がどう続いていくのか見失いそうになるのである。また、繰り返しが続くように感じると、弱い私の脳は麻痺していくような錯覚(簡単に言えば眠気)に陥るのである。解りにくいと感じる時、ダフィ版に助けられている。
参考
John C. Duffy, “Easy-to-Read Doctrine and Covenants and Pearl of Great Price” Estes Book Company, 2000.
John C. Duffy はオハイオ州オックスフォードにあるマイアミ大学宗教学部教授。BYUでB.A.(英語), ユタ大学でM.A.(英語)、北カロライナ大学でM.A.(宗教学)、北カロライナ大学でPh.D.(宗教学)を取得している。
国会の答弁の様なものですかね?
http://liberalmormonspirituality.blogspot.jp/
https://search.yahoo.co.jp/image/search?ei=UTF-8&p=John-Charles%20Duffy%2C%20a%20lecturer
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=ldsendowment.org
で、検索していたら現代のセミナリーずいぶん進化していたんですね。
マスター聖句というのは昔からありましたが。。(苦手だった。。)
現在はマスター教義とかオンラインセミナリーとかあるようで。
効果的に学べるのでしょうね。
https://www.lds.org/manual/doctrinal-mastery-new-testament-teacher-material/instructions-for-teachers?lang=jpn