ホセア書を読むたびに、後続のイスラエルに対する叱責と預言は理解できるものの、冒頭のホセアの家庭の記述は受け入れ難かった。事実、多くの解説書で不条理な命令と当惑を隠せないでいるのも無理からぬことである。
預言者の象徴行為 (Symbolic Act) という言葉は、関根正雄の「十二小預言者」(そのホセア書)に解説が見られる。3章で見ると神の命令があり(3:1)、その実行(2, 3節)、その解釈(4, 5節)が続く。
1節「他の男を愛し姦淫を行なう女を愛せよ。」
2節「そこでわたしは銀と大麦を払ってその女を買い取った。・・わたしに対し謹慎しておれ。」
4節「イスラエルの子らは立ち帰って神なる主を求め、終りの日におののきつつ主とその恵みに向かうであろう。」(関根訳、要旨に圧縮)。
象徴行為と解するということは、実際に行なったと見るのである。他の象徴行為の例、エレミヤ13:1-11、27, 28章、エゼキエル4:1-3, 12:1-16、I ペテロ3:21、イザヤ 20:2 など。エレミヤ13:1-7の場合、エレミヤは主に命じられて麻の帯を買い、腰に締めユーフラテスに行って隠すが、後に行って探し出すと腐っていた、というものである。
それに対し、多くの註解書がホセア冒頭の話は北イスラエルの背信を責め、下る審判を預言する比喩と見ている。神が不義を犯した女を娶るよう預言者に求めることはない、と反応する。末日聖徒はその立場に立っている。日曜学校教師・生徒用手引き、シドニー・B・スペリー、エリス・T・ラスマッセンなど。E. J. ヤング「旧約聖書緒論」も同様である。(なおBYUでヘブライ語聖書を教えるドナルド・W・ パリー教授は象徴行為の例として末尾の注にホセア1:2-11, 3章をあげている。)
私はまだ二者択一の結論に達していない。象徴行為としてホセアが本当にそのようにしたのか、そうかもしれないという思いと、子供の名前や2章を読み進める時に象徴の可能性を強く感じるからである。いずれにせよ、学び続けることは楽しく、聖書から解説書の助けを得て多く教えられることを大変嬉しく思っている。
- - - - - - - - -
参考
・D.W.Parry, "Symbolic Action as Prophecy in Old Testament" in Sperry Symposium Classics: The Old Testament, ed. Paul Y. Hoskisson (Provo and Salt Lake City: Religious Studies Center, Brigham Young University, and Deseret Book 2005), 337-355
・山我哲雄「一神教の起源」筑摩選書、2013年。山我はホセアが実際に結婚した可能性を見ている。p. 230.
”妻の「ゴメル」の動詞「ガーマル」(גָּמַר)は「(失敗して)断たれる」という意味と、「(主によって)成し遂げられる」という意味の二面性をもった語彙
”
ゴメルの語源説明は、lds教会の手引きではなく、上の「牧師の書斎」というブログに出ていますね。勉強になりました。たまWEBさんの指摘に感謝いたします。
日曜学校で教える準備に利用させていただいております。ハッキリ言ってLDSの教師用手引きの百倍役に立ちますね。
これくらい勉強している人になって初めて聖書を教えられるんだろうなと思います。
聖書学者でも意見の分かれるところです。
ただゴメルは父親の名前が書かれているところを見ると実在の人物と捉える必要があり、実際に存在していたのであれば、その行動と結婚の記述は実際の出来事であったかなとも思います。
イスラエルという国に重なるところがあるので、この書はホセアの家庭を通してイスラエルへの神の愛を民に感じさせる道具となっているのでしょうか?
事実ではないと結論付けるには、問題がありそうです。
教師も困りますね。
他教会教派のサイト、牧師個人的なものも読みますが内緒にしています。強制ではありませんが末日公式サイト以外は見ないように言われていますし。
余談ですが、某ペンテコステやニッキの教会で、モルモンに通ってる…と言ったら「何しに来たの!!」と怒られた経験あります。まともに話してくれないし追い出されるような感じでした。私が男性なら怒鳴られなかったのでしょうか。
信徒勧誘と思われたみたいです。